第二十話 仮想世界の最後の日常
クリアさんがデモンの家を調査した日の夜、オレはハイダニアに無事に戻ることができた。
そして――それからさらに数日が経った。
剣を振りまわす度に、空気を切る重い音が鳴る。
切っている――というより、空間そのものを振り回しているみたいだ。
ハイダニアの闘技場の中の空気が勢いよく混ざり合う。
まるで、温度を下げようとして何度も水を掻き回しているお風呂の中みたいだった。
そうして最後に、巨大な剣を振っているオレ自身の身体が剣に振り回されてしまう。
「あ――うわったったった!」
オレの手の中からすっぽ抜けて、特大剣の刃が宙を舞う。
それを、デモンがぼーっとした表情のまま、視線も動かさずに片手で軽くキャッチした。
「今のは失敗…………もっと肩の力を抜かないと――――駄目」
「中々うまくいかないや…………ゲームの中で、こんなことあるわけないってわかってるんだ。でも、正直に言うとさ――」
『――肩の力を抜いたら、肩の方が抜けてしまいそうで怖い』
思わずそう言ってしまいそうになって黙り込んだ。
(危ない危ない……そんなこと――オレがデモンに言うわけにはいかない)
ハイダニアに戻った後に、デモンに特大剣での攻撃の仕方を教えて欲しいと頼み込んだ時のことを思い出す。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『デモン――お願いがあるんだ』
ちょっと色々あって、この時オレの格好はボロボロだった。
ハイダニアに戻って、迎えに来てくれたところにいきなり頭を下げたからデモンには一瞬だけ驚かれた。
『わかった――私に任せて……』
『まだ、何も頼んでいないんだけど……』
『“何でも頼んで良い”…………レットの言うことなら――私、何でも聞く。…………レットの役に私が立てることがあるなら――それに越したことはない』
『……それじゃあ駄目だよ。これは“お願い”なんだ。きちんと聞いてもらった上で、デモンが嫌なきちんと断ってもらわなきゃ』
軽く咳ばらいをして、デモンに目線を合わせる。
『改めて、デモンにお願いしたい。オレに――対人での特大剣の使い方を教えて欲しいんだ』
デモンは無表情のまま、数回ぱちくりと瞬きをした。
『私の戦い方は――戦い方って言えるか怪しい。――私は…………ただ攻撃することしかできない』
『だからこそお願いしたいんだ。今のオレにできることは“守り”だけ。ソードマスターの――特に“対人での攻撃”の仕方を教えてくれる人は――居ないから……。デモンの本気の時の戦い方が、デモンにとって“良くないもの”っていうのはオレにもちゃんとわかっている……。だから、これはただのお願い。コツを口で説明してくれるだけでも良いし――嫌なら、断ってくれても良い』
『…………良いも悪いもない。だって、教えてくれた人のこと――何も覚えていないから……私がレットの役に立てるなら――私は……気にしない。でも――』
デモンは不安そうな表情でオレを見つめる。
『――――私の為に強くなろうとしているなら、辞めてほしい。レットにこれ以上無理……してほしくない』
『デモンの為だけじゃないよ。クリアさんにはオレが必要以上に強くなることを渋られたけど、オレは強くなりたいって思える理由を見つけられたんだ。いずれ説得するつもりだけど、もしも教えてくれるのなら――クリアさんには黙っていてほしい』
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「――どうしたの?」
あの時と同じように、デモンが不安そうな表情でオレの顔を覗き込んでくる。
「――正直に言うとさ。………………いざって時に、この戦い方がちゃんとオレの攻撃手段として通用するのかちょっと心配になっちゃって」
咄嗟に取り繕って別の言葉をデモンに伝えた。
ここでオレが怖がってしまったら、デモンはオレに戦い方を教えてくれなくなってしまう。
「それについては…………心配いらない。レットは――センスがないわけじゃない」
「そ、そうかな!」
「うん……人並みに――強いと思う」
その言葉を聞いて、オレは肩を落とす。
「つまり、普通ってことだよね……」
「そう――だから、レットのスキルの構成を……変えることができた」
自分がセットしているソードマスターのスキル一覧をメニューから開く。
クリアさんの教えてくれた守りのビルドに、デモンが考えたスキル構成が少しだけ混ざり合った状態になっていた。
「今までのレットのスキル構成は……“才能が全く無い人向け”。“人並み”のレット自身を、必要以上に守り過ぎていて――勿体なかった。だから――守りのスキルの枠をいくつか減らして、余った所に攻撃用のスキルを何となく詰めてみた……。深い理由はない……ただ――何となく……」
クリアさんもオレの才能は“人並み”と言ってくれていたはずなのに、実際に教えられている戦い方は“才能の無い人向け”のやりすぎた物だったみたいだ。
その話を初めてデモンから聞かされた時、オレはクリアさんから信用されていないのかもしれないと落ち込んだ。
それにしても――
(デモンは“何となく”って言ってオレに色々教えてくれるけど、理には叶っているような気がするんだよなあ……)
クリアさんがオレに組んでくれた守りのビルドのスキルは、一つ一つの効果が小さく持続的で長時間の安定を図っている。
デモンの“なんとなく選んでくれたスキル”はそれとは逆で、短時間限定だけどどれも効果が大きい物ばかりだ。
守りを損ねることなく、少ないスキル数で瞬間的に最大の火力を取れるようになっている――ような気がする。
デモンは教え方も結構フィーリングに頼っている。
攻撃の仕方を教えてくれる時は『びゅーん………………』『ぐわー………………』とか、擬音がやたら多い。
それでもある程度理解できるのは、クリアさんに普段から自分の動きを言語化してもらえているからなのかもしれない。
辛うじてデモンの教え方をちゃんと理解できるし、戦い方もなんとなくだけど言葉にすることが出来る。
クリアさんの教え方の姿勢は、デモンとは正反対で“理詰め”って言うのだろうか?
かなり細かく理論的に教えてくれていたのを覚えている。
実際の戦い方まで、正反対だ。
『この戦い方は……身体に染み込ませて、思うがままに剣を振るのが大事――だったはず』
そう言ってから始まった“戦い方”のレクチャーも大雑把で感覚的で、巨大な剣を本能と感情の赴くまま(デモンは無表情だったけど)に振り回しているように見えた。
そもそもデモンの戦い方には守るという行動が自体が無い。ひたすら直感的に攻め続けるだけだ。
これは――
『良く考え、どれだけ無駄なく、効率よく落ち着いて理由のある防御を行うか』
――っていう考えに基づいてクリアさんが教えてくれた戦い方とも正反対の物だ。
あっちは感情的な物とは無縁で、とにかく決まった動きを一つ一つ、理由付けできっちりと覚えていく。
“守りと攻め”。
スキル構成と教え方に出てくる“理論と感覚”。
戦い方の根っこにある“理性と本能”。
“ひたすらその場で守る静”と“自分から相手に向かって攻める動”。
デモンとクリアさんで全部真逆なのが不思議と面白かった。
「今日は――ここで終わり……レットは………………理解が早い。これなら、一人の時でも――充分練習できる……はず。このまま続ければ、あの技もいつか実戦でも使えるようになる。特大剣の一番使いこなすのが難しい武器スキル。“一番綺麗な技”」
「オレ的には、あんまり“綺麗なイメージの技じゃない”けどね。名前がちょっとなあ……」
そうぼやきながら、オレはデモンと一緒に闘技場を出た。
「レット。今は、ネコニャ――チームの家にいる? アザラシが………………見たい」
“アザラシ”という単語を聞いて、以前は意識があやふやだったデモンにチームメンバーを改めて紹介した時のことを一瞬思い出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『前ここに居た時は意識がはっきりしていなかったかもしれないから、デモンに改めてチームのメンバーを紹介するね。まず――――――コタツから頭だけ出して、髭を引っ張られながらアザラシの赤ちゃんみたいな顔で寝てるのがネコニャンさんね』
『……怖いけど――可愛い』
ネコニャンさんは相変わらずクリアさんと同じようにデモンの“避ける対象”だったけど、遠目で眺める分には問題なかったみたいだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――どうだろうね。今は、ネコニャンさんは家に居ないかも――当分来ないかも」
「そう――残念……また話しているところとか――寝顔……眺めたかった」
ネコニャンさんがチームの家にずっと居る理由は、既に無くなってしまった。
――“いなくなってしまった”っていう方が、正しいのかもしれない。
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今から数日前。
それは突然の出来事だった。
お年寄り達が一人ずつ、時間を空けて――それでもたった一日の間に全員が、びっくりするくらいあっさりとログアウトしていった。
「……心配はしないでいただきたいです。後は、現実で適切な対処がなされるとのことです。……悪いようにはならないでしょう」
ロックさん曰く、あの人たちは完全に身元が明らかになって、“現実での安全確保の目処がついた”らしい。
「いつもと違って、妙に饒舌だな」
クリアさんは怪しんだけど、実際その日のロックさんは妙に協力的で――
「……すでに、終わった件ですから」
――そう言って、可能な限り(個人情報を除く)事件調査の詳細な情報を提供してくれた。
クリアさんは一旦は納得はしたようだったけれど――
「“終わった件”か――デモンの件は、まだ終わっていないと?」
最後にそう質問を投げかけた。
ロックさんは返事をすることなくオレ達に背を向けて、ログアウトしていった。
「あの人たち……大丈夫かな?」
心配から出たオレの独り言をベルシーが笑い飛ばした。
「なんの捻りもなく、あのGM女の言う通りになるだろ。警察じゃねえにせよ。行政の“然るべき機関やら部署”がちゃんと動くんだよ。結局は家族が、あの年寄りどもを半分黙らせる目的でゲームにぶち込んでいたんだろ? 少なくとも今後は、今よりもまともな環境で生活できるってことだな。――オイタナカ、きりきり作業しろや! ……何も泣くこたあねえだろ!?」
ベルシーが首を傾げる。
タナカさんは、部屋の隅でずーっと泣いていた。
「良かった……本当に良かった……。あの人達が救われて……私……今まで――に――本当に――」
「……テメエ、あの年寄り共にさんざんな扱い受けてたくせに、最後までつきっきりだったよな? ――マジでイカレてるのか? どうでもいいから、さっさと作業に集中しろよ!!」
涙を拭いながら石工の手伝いをしているタナカさんと、呆れながらも激を飛ばすベルシー。
「……よかったな。タナカさん」
そう呟きながらクリアさんはタナカさんを見つめているけれど、どこかしら浮かない表情をしている。
それが気になってオレはクリアさんに話しかけた。
「無事に解決して、良かったですよね? びっくりするくらいあっさり解決しちゃって、いい意味でちょっと肩透かしだったかも」
「レット――お前は本当にそう思うのか?」
「――え?」
「……ロックの一言で良く分かった。今回の件に関して、運営には“ゲームと現実を切り分けられてしまって対処されてしまっている”可能性が高い。こんな冷たい世の中だ。似たようなことをやっている連中が他に居てもおかしくない。――それに、彼らはゲーム内で“売られる予定の人質”だったはずだ。つまり――『買い手が存在している』。結局、そいつらはお咎め無しで――おそらく今この瞬間も、ゲームをしている。完全に解決したと言えるか怪しい」
「まだ――悪い奴らがいて……こんなことが起きるかもしれないってことですか……」
「そうだ。俺はヒーローじゃないからな。似たような事件が起きても、率先して助けようとは思わないだろう。せいぜい気になった情報を集めて事前に調査しておくくらいだ。だがレット、お前はどうする? そういう悪い連中の話を聞いた時。出会った時。お前はどう動くつもりだ?」
突然質問を投げかけられて、言葉に詰まってしまう。
泳いでしまった自分の目線の先は、クリアさんが物憂げな表情で見つめている先と同じ。
そこには、泣きながらも喜んでいるタナカさんが居た。
「オレは――」
「にゃにゃ~ん!」
突然、ネコニャンさんがたくさんの羽織のような物を抱えたまま、勢いよく部屋に入ってきた。
「今日は、爺ちゃんと婆ちゃん達に、裁縫の合成スキルで“ちゃんちゃんこ”作ってきたんですにゃ。自信作ですにゃ! これで、外から隙間風が吹き込んできても、もうちっとも寒くないんですにゃ! 昨日は夜なべして作ったから、ねむい~、ねむい~」
メンバー達は唖然としていたのか、それともかける言葉が見つからないのか――部屋の中は、しーんと静まり返った。
「――む? 爺ちゃんと婆ちゃんどこに行ったんですかにゃ? もう個室でおねむですかにゃ?」
間をおいて、クリアさんが淡々と事実を伝える。
「あのですね……………………ネコニャンさん――全員、帰りましたよ」
「何言ってるんですにゃ? 皆、どっかに出かけてたんですかにゃ? “帰った”ってことなら、この家に居るはずなんじゃないですかにゃ?」
「だからつまり、その――――――――お年寄り達は全員無事に現実に帰りました。もう、帰ってきません!」
ネコニャンさんはクリアさんの言葉を聞いて、何度か瞬きしたかと思うと――そのままくるりとUターンして部屋を出て行った。
その後、オレはクリアさんの指示でネコニャンさんの家(デザインが和風だった)に様子を見に行くことになったんだけど――
「〔クリアさん。ネコニャンさんなんですけど――――――ショックで壁の方向いて、煎餅布団で寝込んでます〕」
「〔あの人はもう………………極端なんだから……。レット、俺の代わりに何とか元気づけてやってくれ。俺は“急用を思い出すという急用ができた”〕」
――おいこの野郎。
突然無理難題を押し付けられて、オレは困惑して黙り込む。
人の気配を感じ取ったのか、ネコニャンさんは壁を剥いて寝込んだ状態のまま一人でつらつらと話し始めた。
「クリアさん。やっぱり、来てくれたんですかにゃ……」
「……………………………………」
「いっつも酷い目見て、慣れっこになっている自分でも、流石に今回は堪えましたにゃ……」
「……………………………………」
「誰も悪くないのはわかっているし、喜ばしいことなのもわかってるんですにゃ。それでもにゃ――――」
「……………………………………」
「――一度で良いから、たった一回で良いから。あの人たちを『おとうさん、おかあさん』って呼んだ時に、返事をして貰いたかったにゃ……。“ペット扱いから、抜け出したかった”ですにゃ……」
「……………………………………」
「――なんていうのはね。あの人たちからすればいい迷惑なんですけどにゃ……。この年になると、色々思うことがあるんですにゃ……」
「……………………………………」
「はぁ…………自分はこのまましばらく、横になってますにゃ………………ふぃー……」
言うだけ言って、ネコニャンさんは布団に潜り込んで団子みたいになってしまった。
それにしても――
(なんやかんやこの人、“クリアさんが来てくれると思っていた”んだな……)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そんなこんなで、多分ネコニャンさんは未だに寝込んだままで――デモンだけが未だに一人ゲームに取り残されている。
……オレは不安だ。
デモンの家に置いてあったアイテムの調査もクリアさんがしてくれたみたいだけど――
(オレもクリアさんの案内でデモンの家を一度見てみたけれど、結局何もわからなかったし――本当にこのままで大丈夫なのかな?)
闘技場を出るトンネルを歩きながら、オレは左腕にしがみついてくるデモンを見つめてみた。
デモンは不思議な女の子だ。
いつも首が座っていなくて無表情に見られることがあるけれど、変化が小さいだけで、表情の移り変わりは多い。
まるでスイッチのオンオフがあるみたいに、オレと話すとき以外はいっつもボーっとして口が半開きになっている。
オレとある程度喋ると、エネルギーを使い果たしたみたいにしばらく何も言わなくなってしまう。
ぼーっとしている時に耳を澄ますと考えごとが口に出ているのか、小さな声で呟いていることがある。
「――まこまこー………………」
この言葉は、オレとネコニャンさんの会話を遠目で見て"覚えた独り言"だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『昔、オンラインゲームっていうのは声じゃなくて文字でやりとりしてたんですにゃ』
『文字かぁ……キャラクターが面と向かって会話するのに文字を使うって、なんか不便そうですよね』
『例えば挨拶なら、一人目がログインして「こ」ってチャットするじゃないですかにゃ? 「こ」「ん」「ば」「ん「は」「ー」って皆が文字つなげて挨拶作るみたいなライブ感があったんですにゃ』
『へぇ~。それはちょっと面白そうかも』
『だけど悪ノリした人が「と」とか繋げて書き込んだりするんですにゃ』
『こんばんはー“と”!? なんか、流れがおかしくないですか?』
『結果的に、“こんばんはー「と」「ま」「こ」「ま」「こ」「ー」”みたいによくわからん文章が出来たりするんですにゃ』
『こんばんわー……と……まこまこー。まこまこー……。まこまこー……』
『デ……デモン、どうしたの? 何か様子が変だけど……』
そして――
《こんばんはですー》
《……まこまこー》
《Σ》
――こんな風に、デモンは“聞くだけで脱力するよくわからない言葉やフレーズ”を覚えて気に入ってしまうみたいだ。
前もにゃーにゃー言っていたけど。デモンはぼーっとしている時、繰り返しの擬音を好んでよく使うみたいだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして、デモンが気に入って取り入れるようになったのは、言葉使いだけじゃなかったみたいだった。
闘技場から城下町に出た途端に――
「どう……レット――――――似合う?」
――オレの前に立ってデモンが装備品を着替えた。
いつの間に街着を揃えたんだろう。
上半身は丈の短いライダージャケットみたいな装備。
その下に、フードのついた布装備をまるでパーカーみたいに着ていた。
ダメージの入ったショートパンツは色合いのせいでジーンズみたいに見える。
キャットの頭を模したマスコットのような見た目の可愛い帽子をかぶっていて、紫と白のしましま――ボーダーっていうのかな?
そういうデザインの靴下を履いていた。
「へぇ……凄いな。とっても良く似合っているよ」
「街中で……この格好で歩いている人が居て……………………いいなと思って――真似したの……」
ひょっとすると、これはどこかのアニメキャラを真似した格好なのかもしれない。
たまにそういうコスプレみたいな装備品の着こなし方をする人を見かけることがある。
その度に『こういうファッションを、よくゲームの装備品で再現できるな』と感心してしまう。
「……ピース」
デモンはポーズを取って、こっちに“笑いかけてきた”。
この娘の表情が大きく変わる唯一の例外は、エモートをする時だけだ。
キャラクターが決まった動作をするから普段は割と感情を顔に出さないのに、エモートの時だけ満面の笑みになったり、したり顔になったり、ドヤ顔になったりする。
普段ボーっとしているので、その表情のギャップがなんというか――すごい。
そこが可愛いように感じることもあるけれど、オレとしては一日でも早く、この娘がエモートじゃなくて心の底から本当に笑える日が来るといいと――そう思っている。
「オイオイオイオイ。なんだよテメエら、街中でイチャイチャしやがってよお!?」
急に因縁を吹っ掛けられて、焦ると同時に安心した。
ゲームの中でいきなり因縁をかけてくるなんて、この辺りじゃオレのチームのメンバーくらいだからだ。
「なんだ……タチの悪いチンピラかと思ったらベルシーか。何か用?」
「会って開幕ディスってんじゃねえ! 見知った顔を見つけてただ煽りに来ただけだっつーの。餓鬼共が色気づきやがって。目に入った途端にイライラするぜ。おい餓鬼、そのセンスのねえ格好、何を参考にしたんだよ」
「イメージは……ちょい不良……タカビー……。ナウなヤングに――バカウケ……」
聞いたことのないような――やっぱりどこかで聞いたこともあるような言葉がデモンの口からポンポン出てきて、オレは困惑してしまう。
「………………オイ“劣徒”。この餓鬼は、どこからこういう言葉を覚えてくるんだ?」
「た、多分ネコニャンさんが会話で使っている言葉なんじゃないかな。近くに居るだけでデモンは結構影響を受けていたみたいだし……」
……あの人はチームの家で、普段何を話しているんだろう?
「やれやれだ。オイ餓鬼、文字通り“言葉に気を付けな”。あのネコカスの使う言葉なんて基本ほぼ全部死語だぜ。今日日、“平日の病院の待合室”で使われているような古くせえ言葉ばかりだからな。意味が通じねえぞ」
「じゃあ……わかりやすく言うと――にぃと雰囲気……お揃いにしてみたの」
「全ッッッッ然似てねえよ! オレのファッションはそんなに古臭くねえしダサくねえし、なまっちょろくねえっつの!」
それは、どうだろう。
傍から見ると確かに、ちょっと闇系っていうか、“同じ雰囲気の仲間”にしか見えない。
よく見ると、デモンが被っているネコの帽子はベルシーのキャラクターの肌の色と同じだ。
……ひょっとすると、意識してデモンは同じ色にしているのかもしれない。
「所謂小悪魔系――――ファッション………………………………デモンなだけに」
「うるせえよ!」
ベルシーが、デモンの頭部を――ネコをイメージした帽子をひっぱたいた。
「だ、駄目だよベルシー! 頭を叩くだなんて!!」
だけど叩かれた首の座っていない当のデモンはボーっとした表情のままで、ゆっくりと目だけを動かす。
上を見て下を見て――もう一度を上を見てから顔を背けつつ最後に斜め下に視線を反らし、呟いた。
「…………………………ぴぃ」
「おい! 何なんだよその『仕方なく反応してやったみたいな反応』は! 餓鬼が一丁前にイキリやがって!」
再び怒り始めてベルシーを見て感じた違和感を、オレはオブラートに伝える。
「どうしたのさベルシー。いつもイライラしているけど、今日は“いつもよりいつもイライラ”しているような……」
「二言三言余計だっつーの! ……まあ、イライラしているのは事実だけどな。ワサビちゃんの料理を、今日は貰えなかったんだよ」
「そんな…………ご飯貰えなくて拗ねてるネコじゃあるまいし」
「……うるせえな。オレからすれば死活問題なんだっつーの。ワサビちゃんにはいつも料理のスキルで作ってもらった“愛ある余り物”を色々もらってるんだけどよ。“何か準備をしないといけない”っつーんで今料理を作る余裕がねえんだとさ」
「“愛ある余り物”って一言で矛盾してるじゃん。それに“余裕がない”と貰えないってことは――ベルシーってワサビさんの中でも、優先順位低いんだね」
「テメエ……オレに喧嘩売らないと生きていけねえ性でもあんのか?」
「そういうわけじゃないけどさぁ……」
なんやかんやで、ベルシーの情報には間接的に何度も助けてもらっているから、一言だけでもお礼を伝えたいと思っているんだけど――普段の素行が乱暴すぎる。
だからこっちも好き勝手言ってもいいやと言いたい放題言ってしまって、いつも喧嘩みたいになってしまう。
「にぃ……………………イライラしちゃ――駄目……お腹が減っているなら――私に任せて」
デモンがゆっくりと歩きだす。
行先は、オレ達のすぐ近くに置いてある城下町の各所に設置されている“合成用の窯”だった。
「え――もしかして、デモンが料理を作るの?」
オレの質問にこくりと頷いて、デモンがシステムメニューを開いて調理を始めた。
「……まあ、今は昼時で、現実でもゲームでも腹が減っているのは事実だけどよ。調理するなら“調理用のキット”を使った方が出来上がりが良くなるんじゃねえの? つーか“劣徒”。この餓鬼、料理のスキルでも極めてるのかよ?」
「そんな話は聞いていないけど……デモンはゲームの上級者だったみたいだから、自分なりの技術で凄い料理を作ってくれるんじゃないかな?」
「窯だけでか? 流石に難しくねえか?」
ベルシーとオレが背後で見守る中で――デモンは最初に、ジャケットのポケットから怪しげな薬包を片手で摘まむように取り出した。
「オイ――その“ちょい悪”の格好で、ジャケットのポケットから薬包出すのやべえだろ……まるで“違法薬物”の売りに加担してるみてえだぞ……。窯で溶かして自分の身体に注射でもするつもりかよ……」
「最初に…………入れるのは――――薬味…………タカノツメ……」
デモンが沸き立つ窯の中に、薬包を"開けることなく放り込んだ"。
「……オレの見間違いじゃなけりゃよぉ……。今テメエ――【デザートイーグルの爪】を薬包ごとぶち込まなかったか? 食いもんじゃねえぞ!?」
「だから――――――“タカノツメ”……」
その場に緊張が走ったような気がした。
オレとベルシーの間に、不穏な空気が流れる。
「……ち、ちなみにデモンは何を作ろうとしているの?」
「――――――かやくご飯……」
そう呟いて、デモンが白米と一緒に"装備のインベントリー"から何かを取り出して放り込んだ。
「……ヤベエな。オレ、ゲームの中で眼精疲労になったのかもしれねえ。今この餓鬼が、窯の中に赤色火薬ぶち込んだように見えたぜ」
「だから――――――"かやくご飯"……」
その言葉を聞いて、自分の顔が引き攣っていくのを感じた。
「あの――デモン……大丈夫? その料理――何を参考にして作っているの?」
「きっとうまくいく…………………………戦闘と同じ。料理も――――"何事も直感"」
瞬間的に、これは駄目だと思った。
思考が停止し、オレの顔が真顔になると同時に――
――目の前の窯が大爆発を起こした。
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
視界が、炸裂する光と散乱する白米で真っ白になる。
「ごめんなさい……――――失敗した」
「げほっ! げほっっあ! 口の中まで……米だらけだぜ…………しかもこれゲロ不味いぞオイ! ふっざけやがって……まんまとこの餓鬼に一杯食わされたぜ! ――――――――文字通りな! ……ってうるせえよ馬鹿!」
ベルシーがついに自分自身にツッコミを入れた挙句にキレ始める。
そして床に散らばっている白米を、半開きになっているデモンの口に乱暴に放り込んだ。
「そ、そんな酷いことしちゃだめだよ!」
「一体“何に対して”の発言だよ!! 酷い目にあってるのはオレだろうが!」
「ぐ………………げほっ……けほっ――これ――――――美味しくない」
「――へっ! ボーっと口を開けてっから、なんでもかんでもそうやって放り込まれるんだよ! ザマーみやがれってんだ!」
ベルシーはついに我慢できなくなったのか、“全身真っ白な状態”で悪態をつきながら離れていった。
オレはメニューを弄って床に散らばっている残った白米を、アイテムとして全て回収する。
(“料理が失敗して爆発”か…….。ゲームの中とはいえ、本当にこんなことって起きるんだなあ…………)
デモンは、酷く落ち込んでいるみたいだった。
「ごめんなさい………………私――――――全然、上手くいかなかった。合成に関して……………………何の知識も思い出もないのに――――上手くいくと思い込んで――出しゃばった……」
「…………………………………………よし!」
覚悟を決めて、オレはアイテムとして手に入った失敗料理を取り出して、口に含む。
デモンが驚きからか、目を見開いた。
つまり、デモンにそういう反応をされるような味だったわけで――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――いや、大丈夫だ。オレは大丈夫。
オレの名はレット。ちゃんとオレにはオレがわかる。
混乱しているわけじゃない。大丈夫。
(良かった点だけは――ちゃんと食べて伝えないと――――デモンが――――――可哀想だもんな)
「う……………………………………うん。その………………なんだろうね。確かに失敗はしたし、美味しくはないかもしれないけれどなんというか――――――“笑顔になれる味”かも!」
「レット――――――私…………………………」
「今度料理する機会があったら、二人で一緒に作ってみようよ。オレも全然料理は詳しくないけれど、練習しておくからさ」
「うん………………――今度は、レットに服も………………選んでほしい。にぃは――私の格好……嫌がっていたから……………………」
「センスの無いアイツの言うことなんて、聞かなくても良いって。オレはちゃんと、似合っていると思うよ」
「後で――にぃに謝りたい。美味しいご飯を――作れなくて――自分で食べることも……できなかった」
(自分でも食べてみたかったんだな……)
「――そうだ! 代わりになるかわからないけど――はい。これ!」
オレは懐から、包み紙を取り出す。
「ワグザスに逆戻りしちゃった時に、こっそり買っておいたんだ。デモンが気に入ってた【七面鳥の香草包み焼】!」
それは数日前に買ったものだったけど、腐ってもいないし温かいままだ。
今だけは、ここがゲームの中で良かったと思った。
「――――――私の為に……買ってくれていたの?」
デモンは、今にも泣きそうな顔をしている。
「なななな、泣いちゃ駄目だよ! そこは、喜んでくれた方が嬉しいかも!」
デモンは目を擦ってから、包み紙に片手を伸ばしてすぐに引っ込める。
それから、地面を見て数秒考え込んで――閉じていたはずの口を開いて、横目でじっとこちらを見てきた。
「えっとォ…………………………」
オレは少し考え込んで――
『――へっ! ボーっと口を開けてっから、なんでもかんでも放り込まれるんだよ!』
「――――あ、あ~ん?」
オレの口からぎこちない声が出た。
ちょっと恥ずかしいながらも、包み焼を手で軽くちぎってデモンの顔に近づける。
デモンは口を大きく開けると――
「……あむ」
――オレの指にまで噛みついてきた。
「うひゃぁっ! く――くすぐったいよ! くすぐったいって!」
「……ゲームなら、痛くないし――涎の汚れもすぐ落ちる……だからできる――――――“不意打ち”」
デモンは慌てているオレの反応が可笑しかったのか――
「……………………………………ピース」
――再びエモートで笑顔を作った。
さっきと同じ笑顔だけど、どこか悪戯っぽく見えて思わず苦笑してしまう。
「もう、悪戯しちゃだめだよ?」
「ごめんなさい……。とっても、美味しかった――――レットの指」
「料理の味じゃなくて、オレの“指の味”なの!?」
「不思議……………………安心できる味がした」
デモンの言葉の意味がよくわからなかったけど。
その後もふざけ合いながら、オレとデモンは二人で並んで包み焼を食べた。
(このまま。デモンの件も、平和に終わってほしいな――)
包み焼を前よりも元気そうに咀嚼しているデモンを見つめながら、オレはそう思った。
――何事も無いように、デモンが無事に現実に戻れる日が来てほしい。
突然、聞き覚えの無いエフェクトのような音が鳴って、オレは咄嗟に振り返る。
城下町の、家と家の間の路地の隙間で何かが一瞬、動いたような――
(……気のせいかな?)
まるで、ついさっきまでそこに居た誰かに、じっと見られていたような――――――――――――
【Battle Result】
《メンバーの状態》
デモン 軽傷(窯の近くに立っていたため、爆発でダメージを負った)
レット 軽傷
ベルシー 精神を著しく害した(ある意味で重傷を負った)
《得たアイテム、ゴールド》
・【失敗した米料理】
レットが余すことなく持ち帰って、全て平らげた。
《失ったもの》
・現時点では、特に無し。