館長と機械道具
『初期起動完了。名前を入力してください』
木製肘掛椅子に座った彼女が目を覚まして、発した言葉は機械的なものだった。感情的な抑揚はない。実際、機械道具なのだが。こちらを見てくる深い茶色の瞳にも光はなく、無機質に景色だけを映しているように見える。どうしたものかと思いながら彼女を観察した。彼女は微動だにせず、返答がないのを見てもう一度『名前を入力してください』と言った。図書館の事務室としては少しばかり場違いな雰囲気をしている。
「グレイ館長?」近くにいた秘書に名前を呼ばれた。怪訝そうな顔をしている。
「あ、ああ。そうだね、名前は……」
名前。息子を助けてくれるパートナーツールのための。正直、パートナーツールは好きじゃない。生身の人間離れが進んで、アンドロイドとしか関りを持たない人間が中毒に似た症状で増え続け、一種の社会現象化していると聞く。いくら人間と瓜二つになったとしても、アンドロイドはアンドロイド。機械の思考は設定さえ変えれば、いくらでも変わる。人間恐怖症のように、生身の人間と上手く関係を築けなくなるようにはなってほしくないし、生身の人間でないモノに息子を任せたくない。けれど、体が弱い妻に負担をかけたくはない。
「うむむ……」
秘書が何かに気付いた顔でこちらを見て、言った。
「館長もしかして、」
「考えてなかった」
「やっぱり」
秘書は苦笑いをして、パートナーツールに「一時保留・スリープモード」と伝える。すると、彼女は目を閉じて起動する前と同じように動かなくなった。
「そんなこともできるのか……。てっきり、起動させたらそのまま決めなければならないのかと」
「裏技らしいですよ」
秘書は決まったら教えてください、再起動させますからと言って部屋を出ていった。
さて、どうしたものか。
「おいじじい! まーたスキキライしてんのかぁ!? ヴァーカッ!」
ドアのほうを見ると、秘書と入れ替わりに入ってきたのか若い男がいた。従兄弟のカータだった。つい最近十八歳になったばかりで、まだ二十五歳の自分をじじい呼ばわりしてくる生意気な奴だ。
「誰がじじいだ。まだ二十五歳……」
「知ってるよ! 考え方がじじいなんだよ!」
「はあ!? どこが」
「アンドロイド嫌いなところとか!」
勢いで突っ込んでくる従兄弟に、へぇ、と相槌を打って僕は口角を少し上げる。そして、他には? と返した。
「ほ、他?」
「“とか”というなら他にもあるんだろう? じじいみたいな考え方をしているところが」
「えっと……」
カータは挙動不審で目をそらして少し考え込んだ後、
「とりあえず、じーさんだ! アンドロイドの敵め!」
と怒鳴ってからドアを乱暴に閉めて出て行ってしまった。頭の弱い彼には少しばかりいじわるだったか?
きっと、カータが言ったアンドロイドの敵ってのは、この図書館のアンドロイドが少ないせいか。
自分が館長を務める公立図書館は、貸出返却システムを機械道具がこなしている。全機で十機。同時に使用するのは五機で、一週間毎に交代し、トラブルがあった際にはその都度交代し、修理・調整を行っている。他の図書館はレファレンスサービス・配架もアンドロイドがこなしているところ、ここみたいに生身の司書が担当しているのが滑稽に映ったのだろう。探せば、他にもあるだろうに。
ふぅ、とため息をついて僕は、僕の息子があんな電子の世界にのめり込んでいかないことを願う。