秘密のお茶会
晩餐会の会場を抜け出した俺は、ある場所へと向かった。
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はあ、間に合ったー。ずっと我慢してたんだよ、トイレ!
通訳してる以上、なかなか言い出せなくてさ。危なかったっすよ、いや、かなり。
いやあ、すっきりすっきり!
さて、会場に戻りますかね。
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はい、迷いましたねー。
晩餐会が行われていた会場って、城の奥のほうにあってさ。普段は入れないようになっているところにあるんだよ。当然俺も初めて来たわけで。それで、今帰り道が分からなくなったってわけさ。
はは、もう泣きたい。
パーティーの方に駆り出されているせいか、人の気配がまったくない。
もう、どうしようかしら。
人が来ることを想定していなかったのか、明かりもほとんどついていない。薄暗い廊下を泣きそうになりながら俺はただただ進んでいった。
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どうしよう。
あれから、俺は泣きそうになりながらも足を進めた。でも、似たような景色が続いていくだけで一向に知っている道には出られなかった。
俺は一度立ち止まって深呼吸をする。
たしか、迷路とかで迷ったときは、壁に手をついて歩けば、いつかはゴールにたどり着けるって聞いたことがあるぞ。よし、それやってみよう!
一瞬、広大な城の俯瞰図が頭に浮かんだ気がしたが、気づかないふりをして俺は一歩足を踏み出した。
そのときだった。
「グエッ」
急に首が締まり、前につんのめる。
「ふんぬっ」
気合を入れて踏ん張り、かろうじて倒れることは回避した。
「ふぅ。セーフ!」
俺は、両手を水平に広げながら上体をゆっくりと起こした。
それにしても、今の何だったんだ?
俺が後ろに目をやると、俺の服を掴む小さな白い手が見えた。
「ひっ!」
俺は息を呑む。
視線の先には、子供がいて、俺をじっと見上げていたのだ。
なんで、どうして。今まで誰かがいる気配なんてしなかったのに。
もしかして、ゆ、幽霊・・・・・・?!
一人汗をかいていると、また服をくいっと引っ張られた。
「ん?」
子供の幽霊はクイクイッと強めに引っ張ってくる。
「えっと、着いて来いってこと・・・・・・?」
俺は恐る恐る尋ねてみる。
すると、子供は表情を変えずに、コクリと頷いた。
うーん、これって着いて行っても大丈夫なやつなのかな?
でも、考えていても仕方がない。
俺は、子供に手を引かれて薄暗い廊下を進んでいったのだった。
「ちょっと、待って・・・・・・!」
子供は俺の言葉に耳を貸すことはない。ただぐいぐいと俺を引っ張っていった。
その力は子供のものと思えないほど強い。歩くスピードも速いので、俺は置いて行かれないようにと自然と早足になっていった。
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子供が止まったのは、それからだいぶ歩いた後だった。
俺は乱れた息を整えつつ、辺りを見回す。
そこは小さな空き地になっていた。
空き地の真ん中に、誰かが立っている。その誰かの元に、子供がパタパタと駆けていった。
子供が駆け寄ると、その人物は子供の頭を撫でる。子供は先ほどまでの無表情が嘘のように、嬉しそうに笑ったのだった。
「いい子だね。ご苦労様」
男の撫でる手に、うっとりと目を細めている子供。
二人だけの世界に、俺はどうしたものかと視線を彷徨わせる。
すると、ふいに男がこちらを向いて言った。
「さてと」
俺は、思わず肩が跳ねる。
それを見た男の目が、楽しそうに細められた。
「とりあえず、座らないかい?」
男の後ろには、いつの間にかテーブルと椅子のセットが置かれていたのだった。
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男の人は、アビィさんと言うんだそうです。
「アビィさん、このお茶すごく美味しいです」
あれから、俺はどういうわけかアビィさんとお茶をしています。
給仕をしてくれているのは、俺をここまで連れてきてくれた、あの子供。名前はニコ君だって。片手にお盆を乗せて、お茶を注いでくれている。うん、器用だね。
「アビィさん、このお菓子も美味しいです」
「それはよかった」
アビィさんは、にこやかにほほ笑んでいる。
実は、俺、晩餐会であんまり食べられなかったんだよね。
ほら、通訳の仕事とかで忙しかったからさ。
だから、小腹が減った今、こうして軽食が食べられるのは正直ありがたいわけで。
お皿が空くと、すかさずニコ君が新しいのを乗せてくれるから遠慮も何もないっすよ。
なんかこれって、あれみたい。そう、わんこそば。
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「今夜は月がきれいだ」
「本当ですね」
この世界にも月はある。ただし、大きいのと小さいのが二つ連なっている不思議な形をしてはいるが。
「さっきから辺りを気にしているけど、何かあった?」
小腹が満たされたころ、アビィさんにそう聞かれたので俺は答える。
「いえ、花が・・・・・・」
「花?」
俺は、空き地に目をやって言った。
「植物が無くて寂しいなって。・・・・・・あれ、俺何言って」
確かに、空き地には草木が全く生えていない。だけど、それを寂しいと思うなんて唐突すぎやしないだろうか。俺は、自分の言った言葉に自分で驚いていた。
俺は、慌てて言葉を続ける。
「あ、あの、なんか変なこと言っちゃってごめんなさい。今のは忘れてください」
俺は、馬鹿なことを言ったかなと思った。
しかし、アビィさんは「ふむ」と一言つぶやくと辺りに目をやった。そして、おもむろに指を鳴らす。
すると、何もなかった地面がぼこぼこと動き出す。そこから、芽が出て茎が伸びて・・・・・・。
やがて、何もなかった庭に白い花が咲き乱れた。
「うわあ、きれい・・・・・・!」
白い花は月明かりを受けて、青白く輝いている。
俺は、胸の奥が温かい気持ちになった。
だがどうしてか、同時に胸が締め付けられるように切なくもあった。
なんだろう、この感覚は。懐かしい・・・・・・?
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「アビィさん、ありがとうございます」
俺がお礼を言うと、アビィさんは照れたように笑った。
「僕にはこれくらいしかできないけど・・・・・・・」
そう言って、咲いている花を一輪摘み取ると、おもむろにキスをする。そして、その花を俺の胸ポケットにさしてくれた。
「よく似合ってる」
そう言って笑うアビィさんから、俺は慌てて視線を逸らす。
俺の顔は今、真っ赤だろうから。
赤くなった顔をごまかすように、お茶をあおる。
ふーっと一息ついたとき、テーブルの上からカタンと音がした。
ん? 何だ?
音のした辺りに目をやると、なぜかお菓子の一つがカタカタと動いていた。
目を凝らしてみると、そこには小さな人間がいて、今まさに焼き菓子を齧らんとしているところだった。
「えっ! 小人?」
それとも、妖精?
俺の声に驚いたのか、小さな人はティーカップの裏に隠れてしまった。カップの裏からそっとこちらの様子を伺っている。俺と目が合うと、信じられないものを見たかのように目を見開いて固まってしまった。
「あ、いいよ。続けて。驚かせてごめんな」
俺は、焼き菓子を小さい人の方に寄せてやる。さらに、自分の皿にあったピンクの砂糖菓子を摘まんで小さい人の方に持っていく。
すると、小さい人はおどおどとしながらもそれを受け取ってくれた。
あ、なんか可愛いかも。
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「ごちそうさまでした。俺、そろそろ戻ります」
そう言って俺は席を立つ。
すると、アビィさんも立ち上がって言った。
「送っていこう。ニコ、頼んだよ」
ニコ君は、黙って頷いた。
「ミコト」
「はい?」
別れ際、アビィさんに引きとめられる。
「あなたに、幸おおからんことを」
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ニコ君に送ってもらって、やっと知ってる場所まで戻れました。
「ありがとう、ニコ君」
俺がそう言うと、ニコ君は黙って頷いた。
このままお別れかな、と思っていたら、ニコ君がちょいちょいと手招きをした。
何だろうと、彼の目線まで腰を下ろした時だった。
チュッ、と頬に柔らかい感触。
「なっ・・・!」
ニコ君はいたずらに成功した子供の顔をしている。にやりと笑うと、そのまま踵を返して元来た道を走っていってしまった。
しばらく、茫然としていた俺だが、はっと我に返る。
「・・・・・・あんな顔もできるんじゃん」
年相応の顔を見せたニコ君を見て、俺は安心したのだった。
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会場に戻ると、異様な光景が広がっていた。
「な、何これ・・・・・・?」
会場は宴会場になっていた。俺が部屋を出る前には一部だった酒の席が、他のグループにも拡散していたのだ。
「おい、みこと。 どこ行ってたんだよ」
「あ、勇人。 これ、どういう状況?」
俺の問いに、勇人は苦笑いで答える。
「いや、酒が入ったらこうなった」
うーん、見たまんまだね。
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「うぉーい、ミコトォ」
「うわっ」
急に背中が重くなったと思ったら、誰かに後ろから抱き着かれていた。
「ろ、ロイ・・・・・・」
ロイの筋肉マッチョな太い腕が肩にまわる。
「ん? 何だ、ミコト?」
「いや、呼んだのロイでしょ・・・・・・」
「そうかァ? それにしても可愛いな、ミコトは」
「うわぁ、やめてください!」
大きな手で頭をぐしゃぐしゃとかき回される。
っていうか、これ以上体重をかけないでくれ、重いから・・・・・・!
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「いけませんよ、ロイ」
「フィルフォードさん!」
よかった、助け舟が来たよ!
「さあ、ミコト。こっちに来なさい」
「はい!」
ロイの腕の中から何とか抜け出し、フィルフォードさんの元へと走る。
「ありがとうございます。助かりました!」
フィルフォードさんは、俺の手を取る。そして、おもむろに俺の指に口をつけると、いきなりペロリと舐め始めた。
「ヒァッ!」
俺は慌てて手を引くが、フィルフォードさんは離してくれない。
「フフ、可愛いですね」
何だ、フィルフォードさんの様子がおかしい!
俺は、その時やっと気が付いた。
フィルフォードさんの目が据わっているということに。
俺は、思わず一歩後ずさる。
けれど、掴まれた腕は離れることはなく・・・・・・
「そんな顔されると、いじめたくなります」
フィルフォードさんは、舌なめずりをして妖しく笑ったのだった。
嫌ぁー! 誰か、ヘルプミー!
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フィルフォードさん相手に困っていると、突然体が浮かび上がった。
「うわぁっ!」
そのまま、フィルフォードさんから引き離される。
「お前は、こっちだ」
「アレックス!」
俺を抱き上げたのは、アレックスだった。
「いやあ、マジ助かったよ。サンキューな」
それに対してアレックスは、何も言わずにただ微笑み返してくれた。
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アレックスは、俺を抱えたまま奥の席まで戻る。そして、俺を膝に乗せたままグラスをあおり始めた。
「あ、あの」
「何だ?」
アレックスの有無を言わさぬ笑顔に、俺は怯む。
だけど、今日は言わないと! がんばれ自分!
「あの、降ろしてほしいかな、なんて・・・・・・」
言った! ついに言ったぞ!
いつもは、流されてされるままだったけど、今日はちゃんと言えたんだ!
さて、退散しますかね。
そう思って、アレックスの上から降りようとしたのだが。
「アレックス・・・・・・?」
アレックスの様子が、何かおかしい。
「アレックス、どうしたの・・・・・・って、えぇっ! 泣いて、るの・・・・・・?」
アレックスの目は真っ赤に充血していたのだった。
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「・・・・・・グスッ。 俺のそばにいるのは、嫌か?」
「え、いや、そんなことは」
「そうか。俺が頼りない王だから、失望したんだよな」
「えっと、だから、違っ」
「そうだよ。こんな自分が王だなんて過ぎたことだったんだ。俺なんて所詮かりそめの存在なんだ。そうだ、今からでも位を返上してどこか遠くに・・・・・・」
何だろう、すごく面倒くさいです。
俺は、アレックスの膝の上で延々と愚痴を聞かされています。
アレックスって、泣き上戸だったのかな。
「あのね、アレックス」
「・・・・・・何だ?」
「アレックスはいい王様だと思うよ。えっと、皆のために頑張ってるし、無理に威張ったりしないし。あっ、俺なんかが何言ってんだって感じだけどさ」
何言ってんだろう俺。
急に恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「頑張ってるの皆知ってるし。あ、あと、俺のことも城に置いてくれたしさ! 俺、アレックスがいなきゃどうなってたかわかんなくて、だから あの時はありがとう?」
ぎゃーっ、何言ってんだ自分。
俺が羞恥で身もだえていると、アレックスがぼそりと何か呟いた。
「アレックス・・・・・・?」
俺はアレックスが何て言ったのか確かめようと顔を上げた。
だが、アレックスはなぜか俺から顔を逸らしてしまった。
「あの、アレックス・・・・・・?」
よく見ると、アレックスの耳が赤い。ひょっとして、飲みすぎたのだろうか。
俺は、近くにあったグラスを手に取った。
「アレックス、これ水だから飲んで・・・・・・?」
そう言って、手に持たせようとした。
しかし、アレックスの手はなぜか震えている。
「アレックス、大丈夫?」
俺は心配になって、アレックスの顔を覗き込んだ。
すると突然、アレックスは俺の肩をガシッと掴んだ。
「ククッ・・・・・・」
「あ、アレックス・・・・・・?」
「・・・・・フハハハッ!」
「うわぁっ!」
そのまま、俺はアレックスの胸に抱きこまれた。
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今度は、笑い上戸ですか。
なぜか急に機嫌がよくなったアレックスは、俺の頭を撫でまわしている。俺は、もう何も考えないことにした。
「ミコト、お前も飲め」
「えー、俺まだ未成年だし」
何が面白かったのか、アレックスはまた笑いだした。
もう、嫌ー!
******
「ミコト、お前いい匂いがする」
アレックスがそんなことを言い出したので、俺は噴き出した。
「な、何言って・・・・・・」
アレックスは、俺の首筋辺りをクンクンと匂っている。
俺はアレックスから逃れようと普段使わない頭をフル回転させる。
「あ、これじゃないかなっ。花の匂いだよ!」
俺は、慌てて胸ポケットにある花を差し出す。アビィさんにもらった白い花だ。
しかし、アレックスは花を一瞥しただけですぐに首を横に振る。
「・・・・・・いや、この匂いじゃない。 もっと、甘くて魅惑的な・・・・・・」
アレックスの目はうっとりと潤んでいる。
熱を持った視線で見つめられて、俺は慌てて視線を逸らす。
やばい、なんだこの雰囲気。
俺は、ごまかすようにテーブルの上に置かれたグラスを一気に煽った。
途端に、胸がカーッと熱くなる。
まずい、これアルコール入って・・・・・・――――――
そこで、俺の意識は途絶えたのだった。
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俺は、鈍い頭痛とともに目を覚ました。
あれ、俺どうしたんだっけ。
辺りを見回すと、そこは晩餐会が開かれた会場だった。机に突っ伏している人もいれば、床で寝ている人もいる。その人たちの間をパタパタと走っているのは、俺のよく知っている人だった。
「リリスさん・・・・・・?」
俺が、声をかけるとリリスさんはパッと笑顔になる。
「あらぁ、ミコト。 起きたのね」
「えっと、これは・・・・・・」
辺りを見回して言うと、リリスさんは顔をしかめる。
「・・・・・・もしかして、覚えてない?」
「何をですか?」
リリスさんは、一つため息をつくと首を横に振った。
「・・・・・・まあ、いいわ。今朝方、城のかわいい子が私を呼びに来てね。何事かと思って飛んできてみたら、呑兵衛の介抱しろっていうじゃない! もう、参ったわよ。まあ、大事なお客様らしいから、慎重になるのもわかるんだけどね」
そう言って、リリスさんが向けた視線の先にいたのは、ロイやアレックス、フィルフォードさんで。
「でも、あいつらは別。自業自得だわ」
「・・・・・・?」
アレックスたちが、何だか疲れた様子なのは気のせいだろうか。
「それより!」
ビシィッと指を突き付けられて、俺は思わず仰け反る。
「な、何ですか?」
リリスさんは、意味深に笑って言った。
「あなた、またつけられたわね」
「へ? つけられたって・・・・・・?」
何を?
俺の疑問には答えず、リリスさんは俺のことを探るように見ている。
「ふむ、前のやつとは別ね。前ほど粘着質じゃなくて、もっとソフトな感じ。でも、本気になるとすっごく一途。周りが見えなくなって、危険かも? 気をつけなさいね」
リリスさんの言ってる意味がよく分からなくて、俺は曖昧に頷いておいた。
その後は、リリスさんを手伝って皆の介抱をしたのでした。