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火星に願いを

作者: 夕岐

2003年の夏。六万年ぶりに、火星が地球に最も近付いた時の小話。

 

 8月27日の夜のこと。

 

 夕食の後、見るともなしに点けていたテレビの中の声を拾い、

思い出したように麻子が言った。


「今日ね、この6万年くらいの間で地球と火星の距離が一番近いんだって」

「そう。でも、曇りだ。そろそろ雨も降りそうだし、残念だね」

 僕は幾許かの感情と共に微苦笑を返しつつ、ふと思った。


 地球と火星は、隣り合う二つの惑星だ。大きさも質量も随分異なるこの

二星は、夢見る人たちから〔兄弟星〕と云われたりもする。

(似ている。というなら金星の方がずっと兄弟っぽいと思うんだけど、

その件について今ツッコミを入れるとややこしくなるから黙っておく。)


 ともあれ、その〔兄弟星〕が世紀の――どころか六万年もの時を経て

〔一大天文ショー〕を見せてくれるのが、今夜。らしい。


 僕は個人的には天文にはほとんど興味もないし、今までのこうした

お祭り騒ぎはどれも取り立てて気に留めて来なかった。

 テレビやネットでは数日前から賑やかに〔宣伝〕されていたけれど、

どうせそれもあと数日のことだろうって、醒めた目でみていた。

 

「まったくだよ、折角の機会だったのに」

 こちらの考えなど微塵も気付いていない様子で拗ねた調子でそう言うと、

言葉の勢いそのままにソファへ倒れこみ、肘おき代わりのクッションに

ぽこぽこと軽いパンチを加えて八つ当たりする。

そしてその勢いのままクッションに顔を埋め、じっと動かなくなった。

 

 外の雨の音と、僕が論文の頁を繰る音だけが聞こえてくる。

 しばらくして――。

「ま、いいや。まだ、時間はあるし。……えいっ」

 そう言うと、ソファに寝転がったまま、力いっぱいクッションを投げた。

 彼女に背を向け、向かい側の座布団に座っていた僕の、頭に向けて。


 反射的に振り向いた。


「わ。なに――」

 辛うじてクッションを受け止め見上げた先にあったのは、

ハッキリと頬を膨らませた顔。

……エゾリスみたいだ。言わないけど。


「ナニ、はこっちの科白。 あんた、全然残念だなんて思ってないでしょ。

 なら、『残念』なんて口にしないでよ。

 ホントにそう思ってる私の気持ちが、可哀相だ」

「え?」

「あ、その顔。気付いてないと思ってた?

 確かに私イロイロ軽い自覚あるし勉強嫌いだけど……鈍くはないよ」

 ソファからぴょんと身を起こし、僕と真っ直ぐ視線を合わせて言うと、

ニヤリと笑った。


「良いことを教えてあげよう。

 今年の火星はね、これから先一週間くらい、一番よく観られるの。

 で、十月の頭くらいまで、『今世紀で一番』キレイに大きく見えるわけ。

 どうせ、マスコミの言う〔六万年に一度の大接近〕って所だけ聞いて、

 『今日しか見えない』って思ってたんでしょ?」

「……」


 思わず言葉に詰まる。図星、だった。

 知ろうともしなかったんだ。どうせいつもと同じだろうって。

マスコミの情報に踊らされるなんて、まっぴらだって――あ、まいった。


「甘い。テレビだってネットだって、利用するためにあんのよ。

 自分が踊りたいと思えるものを探したり、見つけたりするためにあるの。

 踊らされる情報なんて、ホントの情報じゃないよ。踊らせる側に都合良く

 加工されたモノでしかない。 ……違う? 新米研究者さん」


 さっきの人の悪い笑みは何処かへ消して。いつにもまして澄んだ目で

僕を見つめて言う。その言葉が、脳より先にするりと腑に落ちる。 


 ――あぁ、まただ。

 確かに、知ろうとしなかったのは、僕。 踊らされたのも、僕だ。

 彼女は選択していた。

 自らの意志で、この六万年に一度のショーと共に踊ることを選んだ。


「で、どう?今週中はどうやら無理そうだけど、九月半ば辺りなら、

 天気も持ち直しそうなんだ。だからさ――」

 

 ふたりで星見ながら、過ごさない?

 

 その声は、後ろから聞こえた。

 いつの間にか背後に回り込まれていて、言葉と共に軽く後抱きにされて

バランスを崩した僕の、眼鏡がズレる。

 茶色く染めた彼女の長い髪がさらりと僕のレンズにかかり、天井の

蛍光灯の光に透けて朱く見えた。


「火星って、朱色?」

「んー……火の色。まんまだし、良く分かんないけど、多分。写真見てると

そんな感じ。でも、虹色かも。私もまだ実物観たことないんだよねえ」

 あっはっはー。と底抜けに明るく笑う姿に、今度は皮肉でなく僕も笑った。

「いいよ。一緒に観るなら、面白そうだ」

 

 どんなに長い時を経てでも、どんなに長い命でも、どんなに短くても。

 何の因果か巡り会う相手があり、共に時を重ねる相手がいるのなら。

 確かに、それほど退屈せずに過ごすことも出来るだろう。

 

「でも、これって考えてみれば、七夕より希少価値高いよね。

 ねぇ、願い事したら叶うと思う?」

 前言撤回。確かに退屈はしなさそうだけど……僕の奥さんは、どうやら

煩悩の固まりらしい。


「……なにを願うの? 〔六万年に一度〕の兄弟星の再会に」

 ヘッドロックをかけられたまま、眼鏡のズレを直しつつ溜息と共に問う。

 すると彼女は僕の顎をグッと引き、微かに触れるだけの軽い軽いキスを

落として、楽しそうに囁いた。

 

「あんたと、ずーっとこうしていられますように。って」

 

 でも、兄弟星じゃ恋愛相談は聞いてくれないかなー?

 さらりと腕を外し、呑気に笑いながら向かい側のソファへ腰掛け直す姿を

目で追いつつ、僕ははっきり自覚した。




 今日だって六万年後だって、きっと、僕はコイツに敵わない。







空が高く澄んできて夜空も一層鮮やかに見える秋の星空が好きです。

でも、どことなくまったりとした夏の星空も、やっぱりとても好きです。

 

(※初出より十年以上経っていたことに気付き、愕然としつつ……)

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