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07 獅子王の支度係と王さまの憂鬱

 それはいつものように香枝がクロードの身支度を整えているときのことだった。部屋仕えの侍女の一人が、支度室に入って来るとそっと香枝に声をかけた。


「ジル様が急用とのことですが、いかがされますか?」

「――ジルが?わかった、通せ」


 香枝が侍女に聞いた伝言をクロードに聞けば、クロードは頷いて視線だけで香枝を見た。それを聞いて、香枝が侍女に頷いて見せると彼女はすぐに扉の外に出て行った。そしてすぐにジルを伴って戻って来る。


「身支度中に悪いな。……しっかし、鬣っつーのは随分面倒臭そうだな。俺みたいにさっぱりしたらどうだ?楽だしモテるぜ?」


 ジルは入って来るなり、鬣をまとめている途中のクロードの様子を見て哀れむように目を細めた。そして自身のつるりとした頭を撫でながらクロードたちを見た。確かに白トカゲの様な頭を持つジルにはまつ毛もなく、髪の毛一本すら生えていない。その代わりに鱗のようなものが肌を覆っているのだ。まさに白いトカゲだ。


「断る。我の鬣の方が良いに決まっている。そもそも、お前らの種族の美意識とは違うだろうが。……ところで、何の話だ?こんなことを話しにやって来たわけではないだろう」

「ああ、そうだった。今でなくてもいいかとも思ったが、早いに越したことはないかと思ってな」


 クロードに言われて、ようやく用事を思い出したらしいジルがはっとした顔で言った。


「何があった?――いい。カエもそのままでかまわない」

「はい。かしこまりました」


 まだ鬣をまとめる途中だったので、クロードはジルが入ってきても座ったままの体勢で話を聞いている。香枝はこの場から離れるべきかと手を止めたが、クロードが手で制したのでそのままこの場でクロードの身支度を続けることにした。


「国の結界の一部に解れが生じている。原因は恐らく老朽化だな。何せ、何百年も前のものだからな。そろそろ綻びが出てきても仕方が無い」


 ジルが話し始めた内容は国の一大事と言っても過言ではないものだった。

 この国は城や王都だけでなく、国自体にも大掛かりな結界が張られているらしい。それこそジルが今言ったように、何百年も昔からある古い守りの結界である。王都からほとんど離れたことのない香枝自身はそれを目にしたことはないが、国に害を及ぼそうとする者を拒むという結界なのだと言う。

 魔法という概念がない世界からやって来た香枝にはまだ状況が読み込めないために、香枝の頭の中には疑問だらけである。しかし、気配を殺して空気を読んでいると何やら一大事であるような空気を感じる。


「すぐに直せるのか?」

「まぁ、そう大変なことではない。だが、直すというよりも結界を張り直さなければならないだろうな。今ダメになっているところを直しても、しばらくしたら別の場所に綻びが生まれるだろう」


 ジルはそう言って考えるように自身の顎に手を置いて頷く。


「つまり?」

「一瞬、無防備な状態になる」

「ほう」


 ジルの言葉にクロードが眉を寄せて頷いたところで、香枝は恐る恐る口を開いた。


「……あの、私が聞いてはいけない内容なのではないですか?」

「誰かに言うつもりなのか?」


 香枝の質問に質問で返してきたのはジルだ。彼は黄色の瞳を細めて、不思議そうな顔で香枝を見て、香枝の返事を待っている。


「そんなことしないわよ!でも、誰が聞いてるか分からないじゃない」

「それはそうかもしれんが、ここにはクロードが防音の術を施しているし、クロードとカエと俺しかいないだろ?」

「……それはそうだけど」


 ジルの言葉は尤もだ。確かにこの部屋にはクロードとジルと香枝しかいない。きっとクロードの防音の術は完璧で、部屋の外にいる者には物音一つ聞こえないことだろう。

 しかし、だ。下手したら国の一大事になるかもしれないような話を一介の侍女である香枝に聞かせてもいいものなのか。答えは否である。もちろん香枝はそんなことを微塵も考えてはいないが、もし軽率な女であったらどうするのか。うっかり誰かに話してしまったり、どこかのスパイになっていない可能性などないではないか。香枝はそう思ったが、それを口に出すことは憚られて、悶々とその考えを巡らせているとクロードがようやく口を開いた。


「――なん、だと……?」


 彼は大きな身体を振り乱し、香枝をジルを驚きの目で見つめていた。


「クロード?どうした、そんなに驚いた顔をして」

「やっぱり、私に聞かれてはいけない話だったのでしょうか?」


 ジルと香枝がそれぞれクロードに向かって問いかけるが、クロードはそんな言葉が聞こえた様子でもない。今度は愕然とうな垂れて、床を見つめている。


「……何でもない」


 明らかに様子が変だ。その声色も何でもないのはずがない調子である。香枝はジルを顔を見合わせて、再び問いかけてみても、それの返事をもらえることはなかった。


 そして、それどころかクロードはその日一日沈んだ様子で暗い表情を見せていた。初めは香枝が何か余計なことをしてしまったのかと思いもしたが、彼にはそうではないとはっきり言われた。だが、彼が暗い顔をしている理由だけは明かしてくれないのだ。仕舞いには香枝が何を話しかけてもダメで、まさにお手上げ状態だった。





「――陛下のご様子?」


 そして苦し紛れに香枝が取った行動とは、クロードの周りの人に話を聞いてみることだった。一人じゃどうしようもないことも、知恵を出し合ったら何とかなるかもしれない。所謂、文殊の知恵作戦である。

 手始めにクロードとも親しいジルや、身近なところでも清掃係のニーナにも聞いてみたが、彼らからはこれと言って良い返答はもらえなかった。


「はい。少し考え込んでいらっしゃるというか、沈んだ様子をしていらっしゃるのです」


 そして最後に香枝が聞いてみたのは、クロードのお目付け役的存在の宰相テオドールである。香枝が傍仕えとしてクロードの傍にいる以外の時間は彼とほとんど一緒にいると言っても過言ではない。それに加え、香枝が仕え始めるずっと前、クロードが幼い頃より傍にいる。つまり、香枝が知らないことも彼なら知っていると言えるだろう。

 香枝が心配に瞳を揺らしてテオドールに問いかければ、彼は考え込むようにうんと唸ってそのふさふさの尾をゆらりと揺らした。ゆらりゆらりと揺れる尾は思わず触りたくなるほどの毛並みであるが、今はそれ所ではない。


「まぁ、状況から考えて思い当たる節が無いとは言えないが」


 彼は顎を撫でながらそう言うと、見透かすような瞳で香枝を見た。


「本当ですか!」

「しかし、私が言うことではないだろう。陛下が話されないのであれば、私も同じ。時機に陛下からお話があるだろう」


 思わずテオドールの言葉に飛びつきそうになった香枝であったが、テオドールの言葉は当然のものだった。彼の主君はクロードだ。どんな内容であれ、主君が口を開かないことを彼が言うわけがない。


「……そう、ですね」

「クロエが陛下を心配していること、陛下もよく存じておられる」


 テオドールは落ち込む香枝を見て眉を下げると、ぽんと肩を叩いてそう言ってその場を離れた。




 ――そして、その夜。

 夕食の時もクロードの様子は変わらず、どこか落ち込んでいるようなそんな沈んだ様子だった。そして寝支度を整えようとすれば、今度は「いらない」と断られてしまった。こんなことは香枝がクロードに仕えるようになって初めてのことだった。

 言われて、どうにか「かしこまりました」と頷いて部屋を出てくるのが精一杯だった。


 明日も朝は早い。部屋の明かりを落として、瞼を閉じてからしばらく経つ。早く寝なくてはと思うのに、香枝になかなか眠りが訪れようともしない。

 もしかして、クロードが自分をいらなくなってしまったのではないかと嫌な考えばかりが脳裏を過ぎるのだ。そんなはずない、とその考えを頭の中から追い出そうにも上手くいかない。


「……ああ!もう、じれったいわね!気になるなら本人に聞いてみなさいよ」


 ベッドの傍で声を上げたのはティアだった。その声に驚いて身体を起こすと、カーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされた絶世の美女が仁王立ちして香枝のベッドの脇に立っていた。


「ティア様!」

「クロードから渡されているもの、あるでしょう?会って、話をしなさい」

「でも……」


 それでも決心が付かない様子の香枝にティアがため息を吐く。


「自分が捨てられるんじゃないかって不安?」

「……」


 ティアが言った言葉はまさに図星だった。香枝はこの世界で一人だけ異なった容姿を持つ女。正直、不安がないと言ったら嘘になる。せめて彼がただの一般人であればよかったと思うのに、彼はこの国を統べる王だ。身分のない自分とクロードとの間にはどうしても埋めることの出来ない溝があった。


「クロードはいい男よね。何たって、あたしが認めた男だもの」

「はい。本当に私には勿体ない方です」

「アンタがそうやって自分の価値を下げるの、クロードに失礼よ。クロエのことを好きなクロードの価値までも下げているんだもの」


 ティアはそう言って優しげに目元を細めて香枝を見た。


「え、私、そんなつもりじゃ……!」

「クロードはクロエが良いの。どうせ今も下らないことで拗ねてるだけよ。だから、さっさと会って来なさいよ。クロードに元気がなくってつまんないったらないわ」


 そう照れくさそうに言うと、彼女は現れたときと同じようにいきなり消えてしまった。


「ティア様、ありがとうございます」


 香枝は自身の胸を押さえて見えなくなった彼女にお礼を言って、その手を耳元のピアスに持っていく。



「――クロード!」

「……カエ?どうした、今日はもう良いと言っただろう」


 彼のその胸に飛び込む形で現れた香枝だったが、クロードは驚く様子もなくいとも簡単に香枝を抱き止めた。だが、彼のその言葉には香枝を拒絶する色がはっきりと現れていた。


「クロードに嫌われてしまったのですか?もし、そうならはっきり言って下さい!」

「そんなわけない!」


 香枝がクロードの胸にしがみ付いたまま言い放った言葉にクロードは驚いたように目を見開いた。


「それならどうして?どうして私がお傍に居るのをお嫌そうにされていらっしゃるのですか?」

「それは……」

「クロード?」


 クロードに詰め寄る香枝を顔を見て、クロードは言いにくそうに口をもごもごと閉じた。そしてさらに詰め寄ると、クロードは照れくさそうに顔を背けた。


「……カエは我にいつまで敬語を使うつもりだ?」

「……え?」


 クロードの口から出て来た言葉に香枝からは驚きの言葉が零れた。


「ジルに話していた言葉がカエの普段の話し方なのであろう?我にもそのように話せば良いではないか」

「え、でも、それは誰かに聞かれたら……」

「何を今更!皆、我とカエのことは知っている」


 先ほどまで恥ずかしそうにしていたはずのクロードは開き直ったように胸を張り、フンと鼻息を鳴らした。

 まぁ、今更と言えば今更なのだ。確かにクロードの居室までやって来れるような人には香枝とクロードの関係を知らない者はいないと言っても過言ではないだろう。それに、すでに敬称をつけることすらやめている。敬語で話すことをやめる、やめないも今更のことかもしれなかった。


「あの……。もしかして、私がジルには敬語を使っていないのに、クロードには敬語を使っていたことに怒っていらっしゃったのですか?」


 思わずくすりと漏れてしまった笑みにクロードは気まずそうな表情を浮かべて、眉を顰めた。


「カエはまだ我にそのような口を利くのか」

「え、でも」


 前になし崩しのように敬称をつけることをやめてしまったわけであるが、恋人という関係であってもクロードは香枝の主だ。クロードが許そうとも、その主人に軽い口を利いて良いものかと香枝は悩んでいた。そしてそんな香枝の様子に痺れを切らしたのはやはりクロードであった。


「でもではない!良いか?次からそのような話し方をしたら、我の鬣を撫でさせてやらぬ!」

「えっ!そんな!」


 クロードが言い出した言葉に香枝は悲鳴にも似た声を上げた。

 彼の美しい鬣は美しいだけでなく、その触り心地は抜群に良い。正直、こんなに触り心地の良いものがこの世にあったのかと思うほど滑らかで柔らかいのだ。そして香枝が彼の鬣を触ることが好きであることをクロードは誰よりも知っているのだ。


「フン。分かったら、我にも普段通りに話すことだ」

「は……うん、分かった」


 香枝がどうにか敬語を使わずに頷くと、クロードは満足そうに目元を緩めて香枝の頬に唇を落としたのだった。

 そして香枝の手が無意識に彼の首元の毛並みを撫でていたことは言うまでもない。

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