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06 獅子王の支度係と不思議の泉

 いつものようにクロードの寝支度を整えながら鬣に特製オイルを付けて最後の櫛を通していると、クロードが思い出したように口を開いた。


「カエ。今度、東にあるティアーゼの泉へ行くことになった」

「ティアーゼの泉ですか?」

「ああ。前に東の領主が水源のことで来ておっただろう?しかしそれが他の者ではどうにもならんということでな。来週から訪問する」


 それを聞いて、前に東の領主が訪ねて来ていたことを思い出した。

 この国は大きく四つの地方に分けられて、それぞれに領主が置かれている。そのティアーゼの泉があるのは東の地方だ。その東の領主が治めている水源で何か問題があったということで、王を訪ねてきたことがあった。ティアーゼの泉は別名、乙女の泉と呼ばれていて不思議な力がある泉なのだという。


「そういえば前に領主様がいらっしゃってましたね。分かりました。それでは必要なものを用意しておきますね。何日間くらいの旅程ですか?」


 うんと頷いて、香枝は頭の中で何をどれくらい用意すれば良いだろうかと考えながらクロードに尋ねる。クロードは普通の人よりも上背があって身体が大きいので、それだけで荷物が膨らんでしまう。それなのにクロードは一般人ではなく、王である。そのことがあるので、普通の人が数日旅行に行くのよりも圧倒的に荷物が増える。


「何を他人事な。カエも行くのだぞ」

「……は?私もですか?」

「当たり前だろう。一日でもカエの顔を見ずになどいられるものか」


 呆れたようなクロードの声に、思わず手を止めて香枝はきょとんとした顔で首を傾げた。その香枝の手を優しく包んで、その手の項に唇を落とした。その仕草があまりにも香枝が思い描く王子様のようで、思わず香枝の心臓が跳ねてしまう。


「……もう、まだ櫛の途中なんですからね」


 少しだけ拗ねたような態度を見せても、それがクロードには本当に拗ねてなどいないこと分かっているのだろう。クロードはにやりと笑って立ち上がったので、その日の櫛はそれまでになってしまったことは言うまでもない。





 あれから数日後、香枝はクロードのお供で東の領地まで移動していた。先ほどとった休憩が最後の休憩で、もうじきティアーゼの泉近くの街に着くらしい。

 馬車の中には一緒にニーナが乗っていて、今回の視察に同行する女性陣は二人だけだ。香枝がクロードと交際していようとも、香枝の身分はあってないようなもの。だからこうして城の外に出ると、香枝とクロードの身分の差がはっきりする。香枝の身分ではクロードと同じ馬車に乗り込むことすら出来ない。


「……ニーナ、お菓子食べる?まだあるよ」

「食べる、食べるー!」

「はい。それにしても、ジルも一緒だったら良かったのになぁ」


 嬉しそうにお菓子を頬張るニーナを見つめて、ぽつりと漏らす。ニーナと一緒でそれだけでも楽しいが、いつもはジルも含めて三人でお茶したりしていることが多いので少しだけ寂しいのだ。

 今寂しいと感じているこの気持ちは、そのせいだと自分に言い聞かせるような声色だった。


「ジルは役目があるから仕方ないよ。お土産買って行ってあげよ!おいしいものあるかなぁ」

「うん、そうだね。でも、ジルだったら薬草とかの方が喜ぶんじゃない?」

「いーの。ジルが食べなければあたし食べるし」


 ニーナは悪戯めいた顔でにしし笑う。確かにジルが呆れた顔でニーナを見ながらお茶を飲んでいる姿が簡単に想像できてしまったことは否めない。香枝は小さく笑みを零して、馬車の窓から風景を見つめた。

 城で勤め始めるよりも以前、王都へやって来る際にも長旅があったが、こんな風に居心地の良い旅ではなかった。風景を眺めるような心の余裕なんて全く無かった。あの時は分からなかったけれど、今こうして見てみると木々は葉を茂られて生きる力に満ちている。


「綺麗」

「うん。いー天気だね」


 そうして景色を見ているうちに、馬車が静かに停車した。馬車は慎重にスピードを落として、一軒の屋敷の前で止まった。まずは従者であるカエたちが先に降りて、主人であるクロードを迎える。クロードの馬車は一際大きく、豪華だ。白く艶のある車体に金の蔓が這うように彫刻がなされ、扉には王家の紋章が彫られている。遠方に出る時もこの馬車では目立ちすぎるのではないかとも思ったが、だからこそこの馬車に乗らねばならないのだ。地方にも王が直々に訪れることが、どれだけの民の心に届くだろうか。


「――陛下。遠路、ご足労いただきましてありがとうございます。東の地を預かります、ジョルジオ・バートレットでございます。すぐにお休みいただけるようにしておりますので、どうぞこちらでお寛ぎ下さいませ」


 クロードの馬車の扉が開かれると、その目の前に進み出て片膝をついたのはジョルジオ・バートレットと名乗った目尻に皺のある初老の男だった。彼の身体は屈んでいても、まるで岩のように大きい。背丈でけでなく、身体そのものががっしりと大きいのだ。その大きな身体は猿人、恐らく森の賢者と呼ばれるゴリラのものだろう。顔はすっかりそのものだが、優しさが滲み出るような表情で怖さはない。


「うむ。日も暮れていることだし、視察は明るくなってから行かせてもらおう」

「はい。では、こちらへどうぞ」


 そう言って歩き出した二人の後に香枝とニーナも続く。


 屋敷は無骨な印象の飾り気の少ない木造の作りだ。柱や梁は太く、しっかりとしていてまるで大木の上に建つツリーハウスのような屋敷だった。

 王に割り当てられた部屋に着くと、香枝が荷解きをする前にニーナが簡単に部屋の掃除を始めた。その姿を、そういえばニーナが掃除をしているところ初めて見たななんて考えながら眺めていた。クロードの執務に使うものは触ってはいけないものも多く、そのために清掃を行うのも専任の人なのだと聞いた。その専任で清掃を行っているのがニーナで、そのために今日も随行しているのだろう。


「――とりあえず、この部屋は大丈夫です」

「そうか。ご苦労だった」


 一通り終わったのだろう、ニーナはクロードの前に立つと頭を下げて頷いた。


「いえ。――それじゃあ、クロエ。あたしもう行くけど、荷解き大丈夫?」

「うん。今日使うのはそれだけ分けて荷造りしてきたからそんなにないし」

「そ。それじゃあ、他のとこ掃除してるから、もし手が足りなければ言ってね」


 ニーナは香枝にそう言い残すと、ひらひらと手を振って部屋を出て行った。恐らく、王が使用する他のスペースの掃除をするのだろう。香枝はよし、と気合を入れるようにして頷くと急ぎで荷解きをしなければならないものを優先的に封を開ける。


「陛下、お疲れでしょう。お茶でも飲まれますか?」

「……陛下、だと?」


 香枝がいつもと違う呼び方をしたことに目敏く気付いたらしいクロードは不満げに眉を寄せて、香枝を見ている。


「だって、ここは城じゃありませんし……。いつ誰が聞いているか分からないじゃないですか。私が御名をお呼びするのは相応しくありません」

「それもそうだが、部屋の中であれば問題なかろう?我の遮音の術を破れるような者などいるものか。カエ」


 クロードはそう言って香枝を見つめると、荷解きしていた香枝の手を掴み唇を寄せる。


「……部屋の中だけですからね。ちゃんと魔法かけておいて下さいよ?」

「ああ」


 香枝がクロードの視線に耐えかねて、小さなため息を一緒に頷くとクロードは嬉しそうに顔を綻ばせる。嬉しそうに笑うクロードを見ると、鉄のようだったはずの意思も紙よりも容易く破れるものに変わってしまうのだ。


「そういえば、ティアーゼの泉。乙女の泉と呼ばれているのでしたっけ?どんなところなのですか?」

「うーむ。そうだな。……カエも来るか?」

「え。でも、私お邪魔になりませんか?」

「問題ない。危ない場所ではないしな。あれも喜ぶだろう」

「あれ、ですか?」

「まぁ、行けば分かる」


 そう言って意味深に笑みを深めるクロードに香枝は首を傾げて頷くしかなかった。


 ――そして、次の日。日が昇り明るくなると、香枝はクロードに伴われてティアーゼの泉へと来ていた。

 領主の館からは少し離れた場所にあり、鬱蒼とした森をイメージしていたのだが、そんな想像とは違い適度に日の光が入る明るい森だった。クロードと香枝の前を護衛たちとジョルジオが歩いている。このまま森を散策するのも楽しいかもしれない、と頭に過ぎるくらいには平和な森だった。


「こちらでございます」


 しばらく歩いて、ジョルジオの足が止まる。道が細い小道に入っていく。どうやらここから入っていくと、ティアーゼの泉らしい。あまり人が立ち入らない場所なのか、道は細く草木に囲まれていて、人一人が通るのでやっとだ。クロードの後を恐る恐る着いて行くと、すぐに視界が開けた。


 そこには分厚い岩で覆われた洞窟のような場所があった。底が見えないほどに深いその中には滾々と水が沸いていて、奥が青く光っている。どうやら、岩に隙間があるらしく、そこから光が差しているらしい。


「……わぁ!とても綺麗ですね!」

「だろう?――ティア!いるんだろう?出て来てくれないか」


 思わず漏れた言葉にクロードはにやりと笑うと、何を思ったか泉に向かって声を掛け始めた。すると、泉の水がまるで噴水の水のように勢いよく弾けた。思わず瞼を閉じた香枝が、その瞼を開けた次の瞬間。水の上には、薄布を一枚纏っただけの美しい女性の姿があった。さらさらと真っ直ぐの髪は足元まで流れていて、その姿はまさに絶世の美女。水の上に立っていることから、恐らく人ではない。だからこそのものなのか、妖艶に光る青の唇さえも恐れ多いほどの美しさだった。


「あら、クロード。久しぶりに顔を見せたと思ったら女連れ?失礼しちゃうわ」


 そう言って胸の前で腕を組んで拗ねた顔だ。そんな彼女の言葉を男性陣は神妙な顔でを受けていた。


「そう言うな。領主から聞いたぞ、ちゃんと話を聞いてやってもらえないか?」

「そうねぇ。クロードの話なら聞いてあげてもいいけど?」


 水の上に立ったままの彼女はそう言うと、するりと浮かんで青白く細い指先でクロードの(ひげ)を撫でる。


「ティア。この地を治めるのは、このジョルジオだ。お前も知っているだろう?」

「だって、この人好みじゃないんだもの。もうちょっと若い方が好みだわ」

「……全くお前は……」


 ティアの物言いにクロードは大きなため息を吐いて、米神のあたりを押さえた。


「あら?男は若い方がいいに決まってるじゃないの。そこの坊やなんて結構好みだわ」


 ティアはそう言うと、クロードの後ろに控えていた護衛の一人にウィンクを飛ばす。すると、犬顔の護衛はびくりと身体を揺らし、尻尾をピンと立てて硬直してしまった。


「こいつの事は勘弁してやってくれ。第一、お前の任はこの地の水を守護することだろう?ティアの男の好みは関係ない」

「あら!折角顔を合わせるなら、好みの男を眺めてたいっていうのが女心じゃないの」

「……女、だと?」

「やーん!酷い!体は男でも、心は女だもの!女心で間違ってないわよ!」


 ぴきり、と空気が凍る。そして次の瞬間、ティアが両手で顔を覆い、こちらに背を向けた。


「――男なんですか?こんなに綺麗な人が!信じられません!」


 思わず漏れたのは香枝の言葉だった。


「あら?私ってばそんなに綺麗?」

「はい!絶世の美女って、貴女みたいな人を言うんだなと思っていました」 

 思わず力強く頷いて、近づいて来たティアをうっとりと見つめた。


「やーん!美女?絶世の?照れちゃう!私、素直な子は好きよー。貴女、気に入ったわ。彼女に免じて、そこの男で我慢するわ。水のことなら何とかしてあげる」

「……全く、初めからそう言えば良いものを」

「だって、こうしなきゃクロードってば会いに来てくれなかったでしょう?オウサマって忙しいんだものねー」


 くすくすと笑うティアは満足そうにクロードを見ている。彼女がクロードとどういう付き合いなのか分からないが、純粋にクロードに会いたかったのかもしれないと思った。


 少しして、ジョルジオと話がまとまり、クロードたちはこの場を後にすることとなった。そして彼女に別れを言って、帰ろうとすると最後尾に居た香枝だけをティアが呼び止めた。


「そうだ。お嬢さん、貴女の名前は?」

「名前ですか?」


 一瞬、そう言って首を傾げたものの、こちらでは変わった顔の作りに分類される香枝が名前を尋ねられるのは珍しい話ではない。


「――!待て!」

「――香枝です。黒田香枝」


 クロードの制止も虚しく、すでに香枝の口からは自らの名前が出ていた。


「ふーん。クロダカエ?変わった名前ね」

「そうですね。周りにはクロエって呼ばれていますけど」

「クロエね。まぁ、いいわ。私は貴女の名前を『貰った』わ。私の名前もあげる。ティア・ゼクオン・アリアーナよ。ティアって呼んでちょうだい」

「ティア様ですね――ひゃっ!」


 そう言って彼女の名前を発すると、身体を何かが巡った。例えるなら冷たい水が、身体の中を一周したような。そんな感覚だった。


「契約完了っと」


 ティアはそう呟くと、にっと唇を弧の形に変えて満足そうに笑った。


「……女とは契約しないんじゃなかったのか?」

「気が変わったの。たまにはいーじゃない!気の小さい男は嫌われるわよー?」


「ええと、契約って……?」


 恐る恐る言葉を出すと、クロードが呆れた顔で香枝を見ていた。


「精霊に名を渡し、精霊からも名を貰うと契約が成立する。精霊の力を借りて、力を使うことができるようになる。これは本人の魔力にもよるところが大きい。カエには力がないから、今の生活と変わらないとは思う」

「そうそう。何にも問題ないわよー」

「全く、ティア、お前は……」


 楽しそうに笑うティアと、ため息と吐くクロード。そして状況がよく分かっていない香枝。


「――クロード様!いかがされましたか?」

「いや。何でもない。今行く」


 なかなか道に出てこない二人を心配してか、護衛の一人が声を掛けてきた。それに返事を返して、クロードはティアを見る。


「とりあえず、我は行く」

「はーい。大丈夫、彼女のことは私が守ってあげる。大事な子なんでしょ?」


 ティアはにっと唇を弧に描いて、香枝にウィンクを飛ばす。


「ティア様。ありがとうございます!」

「いーのよ。私、クロードのことは気に入ってるから、ついでよ。つ・い・で」


 ティアはそうとだけ言うと、恥ずかしそうに目を伏せて泉へと消えてしまった。

 その場に残されたのは香枝とクロードの二人。


「クロード、ありがとうございます。――それじゃあ、行きましょうか。皆さんをお待たせしていますし」

「ああ、そうだな」


 そう言って優しく微笑むクロードの手をふわりと握る。香枝のそれよりも一回りも大きなそれは鋭い爪も生えているのに、こんなにも優しく温かい。

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