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獅子王の支度係(連載版)  作者: 香坂 みや


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08 獅子王の支度係と守り人

 その日、珍しくクロードから急な呼び出しがあった。恋仲である二人ではあるが、一応主従の関係でもある。そのために他の人に示しが付かないという理由で、日中など仕事をしなければならない時間に二人で過ごすことはほとんどない。

 それなのに、珍しく日中であるというのにクロードから呼び出しがされた。その上、呼び出された場所は普段香枝がほとんど近づかないクロードの執務室である。


「――香枝です」

「ああ。入れ」


 何の用だろうと考えながら香枝が執務室の扉をノックすると、扉の向こうからはいつも通りの落ち着いたクロードの声が聞こえた。そして、声に従って部屋に入ると予想外の人物が一人、クロードの傍に立っているのが目に入った。


「おお!来たな、クロエ。これを持っててくれ」

「え?ジル?何?」


 部屋に入って早々に香枝に話しかけて来たのは、香枝を呼び出したクロードではなく、ジルだった。そのジルに手渡されたのは、親指の爪ほどの大きさの薄いガラスようなもの。それは銀色の鎖に留められて、ネックレスのような形状にされている。

 見たことがないそれに香枝は戸惑いを隠せず、それを受け取ったまま首を傾げた。そもそも、ジルに装飾品を渡される意味も理由も分からないのである。思わずきょとんとしてそのネックレスとジルとを見比べていると、傍で見ていたクロードが香枝の向かいに立つ。そしてそれを香枝の手からそれを受け取ると、香枝の首に掛けた。


「これをしばらく首に下げていてくれないか」

「あの。これは?」


 クロードによって首に下げられたそれは光を反射してきらりと光る。ガラスのようだと思ったけれど、思っていたよりも薄い。ガラスというよりも、まるで貝殻のようなそんな質感に見える。


「それはお守りだ。この国で一番安全なのはクロードの傍だからな。だからクロエが適任ってことだ」

「今、何だかとても恐い言葉が聞こえたような……」

「はっはっは!まぁ、クロードの傍に居れば問題ねーから。うん。大丈夫、大丈夫!」


 ジルはそう言って納得した顔で笑うと、まだ状況が掴めないクロエを他所に何やら一人で頷いている。 

「ジル?」

「どうだ?体調に変わりないか?気持ち悪いとか、頭痛いとかないか?」

「うん?特に変わりはないけど……」


 心配そうに香枝を見るジルの瞳と目が合った。彼の独特な黄色の瞳は香枝の全身の変化を見定めるようにきょろきょろと動いている。

 香枝の体調に今の所変化はない。昼食を食べた後なので食後特有の少しの眠気はあるが、それだけだ。彼が言うような気持ち悪さ、頭痛などは特に無く、異変などは無い。


「よし!それなら問題なさそうだな。本当なら里から代わりの守り人を呼ぶところなんだけどなー。里も祭りの準備で忙しいとかで、人が来れないんだそうだ。クロエがいてくれて助かったよ。普通の魔力のあるヤツだとそれを持っていられねーからな。じゃ、俺は行って来るわ。俺が帰って来るまで、くれぐれもそれを外すなよ!」

「え?守り人?――って、あ!ジル!」


 香枝が呼ぶ声も虚しく、ジルは足取りも軽く執務室を出て行ってしまった。そして残されたのは香枝とクロードの二人だけである。


「……クロード。説明が欲しいんだけど」

「カエはこちらの人間ではないのだったな。――話は少し長くなる。こちらに座れ」

「うん」

「そうだな……。カエはジルのことどのくらい知っている?」


 傍のソファーセットに座ると、クロードは少し考えるように顎に手を置いて口を開く。

 もしかしたらジルの姿を見れば誰でもが「何か」に気付けるくらいの有名人なのかもしれない。こちらに来て数年が経つけれど、常識となっているようなことは知っていると思って、意外と誰も教えてくれないということはよくあることだ。今回のこれもそういう類のことなのだろうかとクロードを見る。


「ええと。ジルのこと?身体的特徴を除けば、資材庫にいつもいること、あとは普通よりも魔力が高いことくらいしか。彼の出生や能力については知らないかな」

「ジルがこの城から出られないことは?」

「役目があるからとは聞いていたけれど、詳しくは聞いたことがないと思う」


 クロードに言われて、ジルのことを思い浮かべた。この城で生活するようになって、数少ない友人の一人であるというのに驚くくらいに彼の事を知らない。毎日のように一緒にお茶をしたり、雑談をしたり、それなのに彼という人のことは知らないことばかりだった。

 ジルはお茶を淹れるのが上手で、少し猫舌で、聞き上手。そんな彼の人となりは知っていても、彼がどこからやって来た誰なのか、そういった個人情報にあたるようなことは何も分からなかった。

 分からなかったと言うよりも、そこまで踏み込んで聞くことをしたことがなかったのである。ジルのことは友人だと思っているが、だからこそずかずかと踏み込んでいいわけではない。そもそも、この城の中心である王の近くにいるということだけで彼が何か重要な役目や能力があることが推察できる。だから、必要になったのでもない限り、彼の出生や役目などについて詳しく聞いたことがなかったのだ。


「ジルの役目は守り人だ」

「守り人?さっきも話に出てたけど」


 先ほど、ジルも自ら会話の中で話していた。里とか、守り人であるとか。それらの単語は香枝にとっては知らない言葉であったので反応もできずにいたのだが、こちらでは何か重要な意味があるようである。詳しく話を聞こうと首を傾げてクロードを見れば、彼は真剣な顔で頷く。


「守り人はジルの一族の役目だ。彼らの中で一番魔力が強い者がその役目を追う。今はジルのことだ」

「その役目っていうのは……?」

「あいつが城から出られないのはその役目が理由だ。自ら結界の中心に居て、国を守る。国に害意があるものを入れないという結界を保っている」


 結界、それは先日ジルとクロードが話していたことだろう。随分古いもので、それに綻びが出来ているとかそんなことを話していたことを思い出した。


「結界ってジルが!え……?じゃあ、このネックレスって?」

「それはジルの鱗、だな。我としても他の男のものを身に付けさせるのは許しがたいが、事が事であるから今回はどうしても認めざるを得ない」


 クロードはそう言って悩ましげにため息を吐いた。その吐いた息によって鬣の一部が揺れる。今日もクロードの鬣はさらさらの艶々である――ではなくて。


「……これってジルの鱗!じゃなくて、もしかして……私がその国を守る結界とやら?」

「端的に言うと、そういうことだな。正確には、そこにジルがいるように錯覚をさせて結界を張るための媒体みたいなものだ。前に聞いたと思うが、結界自体が大分古くなっていてな。それを直すためにジルが城から出なくてはならなくなった。それで、ジルの代わりに結界の中心になる者が必要になるということだ」

「えー……何だかよく分からないけれど、これを身に着けるとジルの身代わりになるってことなの?」

「うむ。そういうわけで、ジルが帰って来るまで我の傍を離れることを禁ずる。カエが結界の中心と分かればカエを狙う者が現れてもおかしくないゆえ」

「……うん?」


 クロードはそう言うと、軽々と香枝を膝の上に抱き寄せた。香枝の頬にはクロードの柔らかい鬣が触れる。ふわふわとしたそれは毎日自らが念入りに手入れしているだけあって、何事にも変えられない触り心地だ。


「さて、我は書類に目を通さねば」

「え!クロード、このままで仕事する気なの?」


 クロードの右腕で私の背を支えながら、器用に左手で宙に浮かせた書類のページを捲っている。


「何?問題か?」

「でも。重いし、邪魔でしょう?この部屋から出たらいけないって言うなら大人しくしてるから」

「香枝の重さなど感じぬぞ?何だったら、そのまま寝ても良いぞ」

「……それもとっても魅力的なんだけど!どうせなら鬣に櫛を通してても良い?」


 クロードの滑らかな鬣に頬を埋めて眠りにつくなんて、それは大層心地よい眠りにつけるに違いない。それでも、香枝は頷きそうになるのをギリギリで踏みとどまって首を振った。


「何?のんびりしていてもかまわぬのに」

「でも、クロードの鬣に櫛を通すの好きなの。どうせ一緒にいられるならクロードに触れていたいなって。……いけない?」

「いけなくは……ないな」

「ふふ。ありがとう」


 そう言って香枝はにっこり笑うと、書類に目を通すクロードの後ろに回って彼の鬣に櫛を通す。後ろに回ると、彼の表情は全く分からない。それでもクロードと香枝を包む空気は柔らかい。


「カエ」

「はい?」

「くれぐれも我から離れるなよ」

「……クロードったら心配しすぎだよ。結界は害意がある人を通さないんでしょう?」


 クロードがあんまりにも神妙な声で言うので、思わず手を止めて笑みを零す。するとクロードがくるりと振り返って香枝を見た。


「こういう言い方をするのは好かないが。害意を持つ者がこの国に入れずとも、やり方はいくらでもある。国に害意を持たずとも、金や何かのために人を傷付けることを厭わない者はいくらでもいるのだから」

「……それは」

「きっと香枝は争いの少ない場所からやって来たんだろう?香枝を恐がらせたいわけではない。でも、だからこそ覚えていて欲しかった」


 クロードが話す言葉の意味は分かった。香枝はこの世界に来て数年が経つが、そのほとんどをこの城で守られて暮らしてきた。この国で暮らしているとは言え、実際には城の中しか知らないと言っても過言ではないのだ。

 確かに香枝にとって、人に傷付けられるとか命を奪われるという事実があることを知っていても、それが自らの身に起こることだという意識は薄い。いや、想像もしていなかっただろう。


「クロード……」

「我は決して香枝に恐ろしい思いをさせない。それは誓う。だから、我の目が届かない場所にだけはいかないでくれ」

「うん。分かった。……ありがとう」


 しゅんとうな垂れた香枝の頬を肉球のついた手のひらが撫でた。爪が隠されて、しっとりと柔らかいそれは香枝の心を慰める。

 香枝はいつもクロードに守られてきた。そしてそれはこれからも変わることがないだろう。香枝に知り合いが少ないのも、クロードが香枝のことを隠そうともしないことも、それらは全てクロードが香枝のことを想うからなのである。

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