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<甲のケース>
甲(仮名)はごく普通の学生だった。毎日楽しくもない学校に通い、友達と中身のないくだらない話を。残念なことに彼の学校には女子はいなかった、男子校。故に彼は高校生にもなって彼女ができたことは一度もなかったし、そして大学になってもいることはなかった。
小学校からの生活、女っ気のない生活にも完全に慣れていた。たとえ3つ離れた兄が彼女を家に連れてきて挨拶をしようとも、3つ離れた妹が彼氏と毎週のように出かけようとも。彼には何の劣等感さえ生まれなかった。確かに小さいころは共学に通う兄弟たちがうらやましかったことはある、うきうきとチョコを作る妹の姿に何かこみあげてきたこともあれば、道端あるくカップルを羨望の眼差しで見つめ続けたこともある、ただもう彼にはそんな気力さえもなかった。
彼の周りには彼に近い者ばかりがあつまった、似た物同士、しかし決して社会に対する劣等感も感じていない。深夜遅くまでやっていたアニメを見てその感想を話し合う、どこどこにいついつ集合な、そうやって電脳世界での集合を約束する、そのために彼は学校に通っていたとも言っていい。だからといって彼は落ちこぼれでもなかった。成績は非常によく、このままいけば就職もできるだろう。だから、それゆえに彼は暇なのだ。
いっそ成績が悪くてもよかった、そっちのほうが勉強をすることで暇をつぶせるのだから。いかんせん要領が変に良い、試験前の一夜漬けで楽々成績をとれる程度の。当然抜き打ちのテストに合わせて復習はなんとなくやっている、それで万事うまくいっている故。何をしても気分が乗らない、スポーツにも、ゲームにも。まだゲームのほうがやっていて色々と時間は潰せる、だから新作のゲーム機が出ると知ったとき絶対に買おうと思ったのだ。今までのような画面を見るだけのものとは少し毛色が違うような。
そんな彼は、授業が終わり次第向かう場所がある。サークルなんてものに入っているわけでもない、彼が向かうのはごく普通の住宅街。
「最近の若者は何に対しても情熱がない、これでは将来が心配だ。」
何十年も、延々と言われ続ける同じ言葉。公園を横切る彼の耳元に聞こえてくるゲートボールに勤しむ爺たちの言葉。ゲートボールに情熱をかけているぶん自分たちのほうが偉いのだろうか、おそらく彼らの子供のころにも同じことを言われ続けてきたであろう。
彼にはそんな言葉は何の効力もない。彼自身何にも情熱を注ぐものがないことは重々承知している。だから、何を言われたとしても何も感じはしない、冷めきった、彼の周りにはそんな人たちばかり。アニメ、そんなもの彼らにとっては所詮暇つぶしでしかない、ゲームでクリアをめざし、縛りプレイを続けることくらいだろうか。
ただ、彼には最近非常に興味を引く物事があった。先日発生した大規模誘拐事件。彼の足が止まる、周りはごく普通の住宅街。ただ、夕方、いつもなら帰り道の主婦や子供で騒がしいこの場所も完全に何も聞こえない。ここの区域にはかなりの人数が住んでいたはずなのだが、皆引っ越してしまった。行方不明者100名超、この国最大の誘拐事件。いや、おそらく失踪といったほうがいいのかもしれない。
彼は知っている、連日報道していたテレビ、毎日のようにしらみつぶしに捜査をしていた警察が何の手がかりも見つけ出せていないのを。確かにその日この住宅街を通る通りには100名近い人々がいた、防犯カメラもあった。ただ、一瞬、防犯カメラが塗りつぶされ、しかもすべての。時間にしておおよそ5秒、その後復帰したカメラは何も映していなかった。衛星にしても然り。早くも1か月が経とうとしているも、何の手がかりさえも。
彼はそれに惹かれた。彼の生きていた中で、一番面白そうな事柄だったから。あの連続殺人事件でさえ彼の興味をひくには値しなかった。手がかりがどんどん発見されていたから。技術の進歩により、警察は樹海に落ちた葉っぱ1枚の場所さえも割り出してしまうような、そんな組織になっていた。それにかかれば、時間はかかったが、証拠は雨後の筍のように。よく隠蔽した犯人だったが、ほぼ名前も住所も割れているそう。報道はされないが。その時点で彼の興味は冷めてしまった。
ただ、犯人は未だ捕まっていない、その言葉1つは彼の心をもう一度引き寄せようと。冷めきった心を温めるには少しばかり温度が足りなかった。
そういうわけで、彼からしてみたらこの事件はかなり特殊に感じるものだった。1週間たっても、2週間たっても手掛かりは見つからず、異例のお手上げ宣言とも取れる記者会見を行ったのは1週間前だっただろうか。住民を蹴散らし追い立て、連日報道していたマスコミもあまりの不気味さになかったことにし始める。何もかも機械のようになってしまった社会の大きな歪み、光にあつまる蛾のように、彼は集う。彼だけじゃない、他にも誘惑されてきた蛾は少なくはない、片手では足りない程度。もうそこにいる全員の顔は覚えてしまった、名乗ることは互いにないけれども。
彼は歩く、廃墟、ゴーストタウンと化して間もない住宅街を。ガムテープで窓は覆われている、他にも引越しの際に持って行けなかったであろうものが残っていたり、落書きが残っていたり。ただ1週間、そんなくらいで町は光景を変えているような。人々に照らされ身動きができなかった影、この社会に縛り付けられたモノがここでは姿を見せる。野良の動物。見つかっては排除させられる彼らも、ここはオアシス。
そんな彼の目の前をハクビシンが。図鑑でしか、動物園でしか見たことのない、久しく見る機会がなかったがなんと優雅なものだろうか。ハクビシンは彼のもとに。なぜだか、この町に住む動物たちは人に、いや彼らに慣れていた。外部のものから避け、人の視界に入らないようひっそりと暮らすはずの動物たちは、彼らの前では普段通り行動をしていた。一体なぜ彼らは自分たちを避けないのか、彼は不思議に思う。
彼はこの町に来て特に何をするでもない、何もしなくとも幸せを感じている。誰もいない家にはいることもなく、1軒の家の庭においてある椅子に座って夜8時ごろまでゆったりとする、それが彼を何かから解き放ってくれるような。彼らは皆似たような楽しみ方をする。
一つだけ、彼は胸を張って人々に言えることがある、決していうことはないだろうが。
-今宵も星空が綺麗ですね-




