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宵闇、暗く、暗く、月明かりのみが世界を照らす時間。地球のそれよりも明るいものの、ただでさえ暗闇を照らすには弱弱しい灯りは、枝葉によって遮られてしまっているので随分と暗く感じる。何か、虫の鳴き声が遠く聞こえてくる夜、森の中、自分は一人たたずむ。いや、正確に言えば一人ではない。肩には少女が座り込んでいて、その虫の音に合わせて羽をゆっくり開いて、閉じて。
「少し、冷えるな。」
森の中、湿気が多いからだろうか、村よりも冷えるような気がして。右腕をぐるり、ぐるしと回せば左肩に座る少女は首にそっと手を当てて。上を見上げれば、枝葉の隙間から見える双月は雄大に見えて、感傷的な気分になる。
ああ、綺麗な月だ、そう思う。明かりに塗れていた場所では見ることができなかった光景、それを美しく思うのは本当に何度目のことだろうか。ふと、トリスの顔を思い出す。この世界に住み、この世界で育ってきた愛しい人、その顔を思い出す。彼女はこの景色を見続けて育ってきた、自然あふれるこの世界で育ってきた、それがとても羨ましい。ジャングルと名はついても、コンクリートの塊でしかなかった地球に比べて、ここはどれだけ自然あふれる世界なのだろうか。比べるどころの騒ぎではなく、天と地ほどに離れていることは考えるまでもない。動物が互いに覇を競いあい、生態系を維持しているこの世界は、機械に汚染され人の住まない危険な地が多かった地球とどちらが安全だろうか。場所によって、そういう前置きがつくものの恐らく大部分においてこちらのほうが安全だろう。そんな世界で生きてきた彼女がとてもうらやましい。
自分が生きてきた地球の話をすると、彼女は楽しそうに話を聞いてくれる。自分の知らない世界だから、そういう理由からだろう。ただ、ただ、彼女は少し勘違いをしているのかもしれない、そう思う。自分は地球よりも、不便だけれどもこちらの生活のほうが良い物に見える。あんなぎすぎすとした、刺々しい世界よりも、こちらの長閑な生活のほうが好きだ。だから、この世界に育まれてきた彼女の価値観が非常にうらやましく思える。この世界に家族なんてものはいないから、此の世界の子供の育て方なんてものはわからないし、教わろうにも彼女の家族は亡くなっている。だから、手探りで子供を育てなければならないのが心苦しい。村の人々達に教えても貰おうとは思っているけれども、そういったことを何もしらない自分、それがこの世界では酷く浮いている、異物のように思えて。
ああ、思うのだ。俺は、彼女を束縛してしまっているのではないだろうか、と。いや、彼女の未来を閉じてしまったのだ、と。彼女は、自分に会わなければプルミエを抜けてほかの街に言っていたのかもしれない。ほかの街で良い男と一生連れ添ったのかもしれない。美しく、気立てのよい彼女だから、そういったことは簡単だろう、そう思えて。もしも、彼女があの街であの日死んでしまったとしても、死体のままでいられただろうとも思う。自分が自分の為に、私欲のために彼女を無理矢理こちら側に居残らせているのだから。
「俺は、俺は、彼女にふさわしいのだろうか?」
肩にとまる妖精に問いをぶつけても、彼女は首を傾げて微笑むだけ。だから、双月を見上げてみるけれど、黄色の天体は姿を変えずに自分を照らすだけ。
「どうなんだろうな……」
漏らした言葉は風に乗り、森の奥へと消えていく。当然ながら答えが返ってくることはないし、彼女に直接問う勇気はない。だから、多分自分はこの問いを永遠に胸に抱き続けることだろう。
首を振る。少し陰鬱な気分、疲労感が体に残っている。明日も移動するのだから、身体をしっかりと休めなければ。そんなことを考えて、谷望む洞穴のほうに歩いていく。既に夕食は食べた後で、ガルムとテンが洞穴の入り口で番をし奥で寝る老夫婦を守っている。だから、空気を吸いに自分がここまで離れても問題ない。ただ、もうそろそろ自分も寝る時間なのだから、戻っておこう。
「シェム、夜の間の見張り、テンとよろしく頼むな。」
洞穴に向かって歩きながら妖精に話しかければ、先ほどは微笑みを浮かべた妖精は破顔して。合い承りました、そんな声が聞こえてきたような気がして。その仕草と幻聴に満足して、自分は一日を終えることを決める。
夜が更けて朝になるまで、何も起こりませんように。
少し冷たい風に目を覚ます。枕代わりにしていたガルムに負担をかけないように、寝ている老夫婦を起こさないように、そっと体を起こす。毛布をそっと畳み、洞穴の入り口のほうに向かっていく。昨晩は松明代わりの木の枝に付けた火の明かりしかなかった洞穴だけれども、今は外からの微かな明かりが入ってきていて仄かに明るい。入口までの十数メートルを進むだけで、どんどん明るくなっていく。
谷望む洞穴を出れば、外は夜明けだった。本当に数分前に夜明けがきたのでは、そう思うほどに未だ空は紺色に染まっていて、段々とその色が薄れて行っていて。入口にとまっていたシェムがこちらに飛んできて、肩にとまる。跳ねてきたテンを抱きかかえ、大きく息を吸う。
ひんやりとした空気が肺の奥まで浸透していって、それで目が覚めていく。地面に唾を吐き捨て、首を回す。
「いい、朝だな。」
そう彼らに問いかければ、同意を示すような動作が帰ってきて。背後からぺたりぺたりと音がする。振り返ればガルムがこちらを見ていて。
「お前も起きたのか、朝食は少しまってな。」
そう声をかければ、ガルムは体を伸ばし始める。その姿は心地よさそうで、自分もテンをおろし体を伸ばしていく。伸びをして、背筋を、首筋を伸ばし、身体を倒したり腿を伸ばしたり、全身の筋肉を起こしていく。それをしていくうちに、身体のあちこちに留まっていた眠気もどこかへと消えて行って。
一通り体を伸ばすことに満足した後は、洞穴の入口そばにある昨日のたき火跡にしゃがみこむ。
魔法で火種をおこし、近くにおいておいた袋から薪を取り出しくべていく。筒で息を吹きこみ、時折ファイアを追加すればすぐに火がついて。水筒に汲んでおいた水を鍋に注ぎ、それを火にかける。
それが煮立つのを待つ間、干し肉をほぐしていく。小さなナイフでそれを少し細かくちぎり、ライ麦パンに切れ目を入れる。そうしてそれを挟んでしまえば、汁さえできれば朝食の準備は終わり。昨日狩った蜥蜴の死体、血と臓物を抜いた最後の1匹をガルムに放り投げ、ガルムが食べるのを見つめる。それを見ながら、血の付いた手を水で洗い、少しうがいをすれば火にかけた水は沸騰sて。そこに細断した干し肉を加え、昨日採集しておいたキノコを指でちぎり加えて良くかき混ぜれば汁も完成となる。
「おはよう、アスカくん。」
丁度出来上がりに合わせて、シファが起きだしてくる。その後ろにはアルフ翁が目を擦りながらついてきていて。
「おはようございます、昨晩は良く寝れましたか?」
「中々、慣れないものだから……でも疲れは結構とれたわ。」
「それは良い、今日は早急に滝にいきたいからな。」
シファは笑顔で、アルフ翁は何か考え事をしているような顔をして言葉を紡ぐ。
そんな二人にスープとパンを渡し、非常に質素な朝食を始めていく。パンを食いちぎり、咀嚼をする。スープにつけてから食べているとはいえ、堅いパンは食べにくい。口の中で砕いたパンを飲み込み、口を開く。
「食べたら、少し休憩をしてからでましょう。」
「ああ、昼前にはついておきたい。」
「それならば、帰りは急げば今日中に村に帰れるかもしれませんね。」
アルフ翁の言葉に返答をして、食事を摂っていく。食べることは体力を回復することに直結するのだから、蔑にはできない。それを老夫婦も知っているのか、地球人の同年代の人たちの食事よりも少し多めに感じるような量もしっかりと平らげていて、こういうところでも文化というものを感じる。昨晩の考えが少し頭をよぎって、首を振ってその記憶を振り払う。さぁ、滝まで進まなくては。




