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がさり、かさり、両の手で枝葉をかき分ける。後ろからの指示に従って、道なき道を形作っていく。右手のファルシオンはもう既に何度も振られたあとで、ふと見れば蔦のようなものが1本絡まっていて。空を一振り、刃に張り付いたそれを振り払う。前を見れば、暫くは進路を阻害するような樹木はなさそうで。ただ足元に時折顔を出す木の根や蔦植物、石なんてものに気を付けなければならない。特に、後ろを老人が歩く今の状態を考えれば。
「足元、気を付けてくださいね。」
「ああ、大丈夫だ。シファ、問題ないか?」
「少し疲れてきたけれど、まだまだ歩ける、かしら。」
「少し休みましょうか?まだまだ距離があるようですし。」
「いや、いい、まだいけるだろう?もう少ししたら休んでもらえるか?目印の割れ木までたどり着いたらでいい。」
「わかりました。」
彼の指示に従い、進むことを選択する。割れ木、アルフ翁が必要とするある物が隠されている場所に行く目印の一つだそうで、その後一つ目岩、谷望む洞穴を経て妖精の滝に辿り着くらしい。つまり、目的地は妖精の滝。村より歩いて半日以上、2日かかることはあるまいが、往復2日は考えるべきで、そうなると体力配分がなかなか難しい。
歩き始めて既に数時間は経っていて、割れ木までは遠い。アルフ翁からの指示は真っ直ぐ進め、眼前の障害物をどけてくれ、その程度しかない。はたして、本当に真っ直ぐ進めているのだろうか、彼しか知らぬ目印が隠れているのだろうか。後者はあり得るだろう、村長の彼と伴侶、そして先導者しか知ることがない秘密のものなのだから。
「道は、これで合っているんですか?」
「ああ、まっすぐ進んでくれ。これで合っている、もう暫くすれば割れ木に辿り着くだろう。」
彼に聞いてみても、あまり要領を得ない。とりあえず、言うとおりに進むほかは無くて。
後ろのガルムが吠える。先導するシェムはこちらまで戻ってきて、自分は慌てて振り返る。翁たちはしゃがみこみ、自分の視界緒邪魔することがないようにしていて。右手に持つファルシオンに力が入る。
火球が放たれる、一見何もいないように見える低木に向かって飛んでいく火球は、音をたてて低木を焦がす。テンが放つ火球に炙られたのか、そこから出てくるフォレストリザードがいて。背が低いために見えなかったのか、しかしガルムが飛びかかり息の根を止める。恐らく火に舐められたために視覚も聴覚も麻痺していたのだろう。
シェムに耳を引っ張られ、即座に振り向き刀を振り下ろす。こちらに飛びかかってきたフォレストリザードは地面に叩きつけられ、そこにダークソードが付き刺さる。足を左右にばたつかせ、そうして口から血反吐を吐きながら死んでいくフォレストリザード。ガルムがまた吠える。つまりは、もういない。
一応周りを確認しながら死体2つをガルムの背中に括り付けた袋に入れていく。大きな死体だから、ガルムではなかなか難しいかもしれないが、頑張って運んでもらおうと思って。
「もういないのかね?」
アルフ翁は自分に問う。シファは少し震えていて、それはそうだろう、モンスターに襲われて怖くないわけがあるまい。
「ええ、いないようです。進みましょう、恐らく奴らも気が立っているようですね、食料が減ってきているんでしょう。」
「前まではこんなことはそうそうなかったのに。」
シファが悲痛な声を出す。それは仕方がないだろう、世界は変わっているのだから。
「守ります、その為に護衛しているんですから。」
他に安心させられる言葉は見つからなくて、自分は彼らをまた歩き始めさせることしかできない。恐らくシファの足はもうそろそろ疲れ果てている頃だろう、慣れぬ山道、精神は疲労し、義務感と夫と杖、これらで持っているだけだろうと思う。ならば、できるだけ早くに休ませてあげなくては。
それから数十分もしないころ、目の前遠くに割れ木が見えてくる。それがそうだとわかったのはアルフ翁が声を出しかからでもあるし、シファが嬉しそうな声を上げたからでもあるし、その木の外見がそれこそ割れ木であったからでもある。そんな割れ木に向かって歩いていく、距離にしては50メートル、100メートルかそこら、大体1分もせずにつくような距離と言いたいところだけれども、足元は悪いしシファはもう疲労がたまっている。だから、休憩地点が見えたとはいえ速度を速めるわけにはいかない。そうすると怪我の可能性が高くなってしまう恐れがあるから。足首をひねっては前に進むことは難しくなるし、そううると目的地までの時間が大幅に伸びてしまう。それに、それを介護する自分たちの疲労も溜まっていってしまうのだから。
あと少しだから、そうしたら休もう、そんな声が後ろから聞こえてくる。それを半ば聴き流すようにしながら、自分は進路を作っていく。とりあえず、そうやって進む道を決めなければどうしようもないのだから。
どさり、そんな音をたててアルフ翁は座る。地面には草を敷いていて、大分柔らかくしてある。疲れたのか、靴まで脱いでリラックスをし、シファの足をもんでいる。
ガルムを枕にして、大きく息を吐く。グローブを外し、ヘルムを外し、指先で目元を揉み解す。水筒から水を啜り、喉を潤す。そこまで疲れたわけではないけれど、だからといって疲労と無縁なんてことはない。ぐるる、そんな喉を鳴らす声がガルムの口から聞こえる。左手を伸ばしてその頭を撫でてやりながら、胸元に寝転がるシェムを見る。右手で抱きしめるようにするのはテンで、その仄かな温かみが心地よい。
「いつ、出発する?」
アルフ翁は咳き込み、首を少しまわしてから問う。シファは目を瞑り、アルフ翁に足をもんでもらい自分は腕と腰をさすっていて。ずいぶんと消耗している。
「できればもうすこしゆっくりしていたいわ……」
「そうですね、ただ次の目印まではどのくらいなんです?それによっては、ここで夜を明かすことにもなりかねません。」
上を向く、視界の端に入る割れ木、雷が落ちたのだろうか、4つほどに割れた巨木の事。ただ、未だ生きているらしく葉は青々と茂っている。ただ、その青々と茂る葉の若々しさと、雷によって裂かれ焦げ目のついた幹の痛々しさは相反するようなものに見える。生き死にの中間に位置しているような大木、そんな印象を受ける。
「ああ、一つ目岩までは遠い。おおよそ、夕暮れ時につくころだろうよ。ただ、夜の帳が落ちる前には谷望む洞穴に辿り着くだろう。そこまで距離は無い。」
「道は、ご存知ですか?最悪暗くなりかけていても迷うことない道は。」
「ああ、実は道は示されている。進む道の最中に印がつけてあるし、獣道ほどではないにしてもなんとなくの道があるからな。行きはそれを見ながら進路の邪魔をする草木をどけて行けば辿り着く。帰りは踏みしめた道を辿ればいい。例えば、割れ木のあそこ、矢印が彫ってあるだろう?ああいう形でもあるし、岩にほってある場合もある。」
見れば、幹の中ほどに左を差す矢印が確かにあって。北西に向かって進路をとっていたから、恐らくは南西に向かうのだろう。
「さて、そろそろ出立せねば。時間は有限だ、できる限り早くに村に戻りたいからな。」
シファも嫌そうな顔をするけれども、行かなければならないことを理解しているのか靴を履き始める。それを見ながら、自分はガルムに声をかけてヘルムを被っていく。
足を少し伸ばす。いくら慣れているとは言えども、そういった細かな動作が疲労を激減させる働きがあるのだから。右足、左足、そうやってふくらはぎの筋肉と腿の筋肉を伸ばしながらも、水筒から水を喉の奥に流し込んでいく。動いている以上汗は必ずかくものだし、脱水症状は進行に支障をきたしてしまうのだから。自分の後ろではアルフ翁とシファが水を飲んでいて、あまり喉は乾いていないという彼らに無理矢理水を飲ませるために立ち止まっている。年をとったから脱水症状が起きないなんてわけはなく、感覚が鈍くなっているのだろう、そんな勝手なことを考える。
「すぐですよ、ね?」
アルフ翁に声をかけてみれば、色よい返事が返ってくる。そこまで遠くもない場所に、谷望む洞穴はあるらしい。それならば、恐らくは間に合うだろう。そんなことを考える。夕暮れ、世界は紅色に染まってきていて、ああ、綺麗だ。緑の枝葉から覗く茜色の空を見上げて、そう思う。こんな空を、これからは子供と見ていくことだろう、そんなことを考えるだけで幸せな気分になる。
背後では給水を終えた2人が出発しようと合図を待っている。いつまでも空を見上げていたいような、そんな気分になりながらも出発しなければ目的地にはつかない。少し残念だけれども、これから何度も機会は巡ってくるだろうから。そう思って足を前に出し始める。




