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「アスカ君は、素直な人間だと思うよ。僕はそう思う。素直って言うのは、馬鹿にしているわけではなくて、物事をしっかり考えられる人間だということだ。」
オドは口を閉じることはなく、ただただ言葉を紡いでいく。自分は合いの手を入れて、彼の言葉が終わり、真意が明かされるのを待つ。
「素直な子はね、総じて頭が良いように思うんだ。頭が良くて、思慮分別も働く、自分と周りを優しく考えられる人間だと思っているんだ。頭が良いという範疇において、ずるがしこい、そんな言葉とは真反対の言葉だよ。」
「自分自身にも素直だから、自分自身の考えを持っていて、それを他人とすり合わせようとする協調性もある。ただ、それを実際に行うとなるとそれはまた別で、素直な子はあまりしゃべらないのはそういうことなんだ。」
「ごめんね、僕ばかり話しちゃって。ただ、アスカ君には知っていてほしいんだ。それにしても、おかしいでしょ?こんな辺鄙な老人しかいないような村の中年親父が子供の性格を語るなんて。でも、僕は子供の性格をある程度は知っていて、彼らを尊重して成長させられる人間だと思い込んでいたんだ。まぁ、実際は、知っていることとそれを利用して導くことの難しさは天と地ほどに離れていたんだけどね。」
「本題、そろそろ入ろうか。この村、おかしいと思わなかった?僕たちでもわかっているように、この村には未来が無い。将来を掴む手立てがないんだ。夫婦は数組いるさ、ただ、なぜ数組しかいない?なぜ子供がいない?一番若いのが僕で、若年の人は君たちだけ、アスカ君もおかしいって思わなかった?」
「思いました、ただ、自分の生まれたところの近くにもそんな場所があったから、仕方のないことなのかなって。」
自分の生まれたところ、日本、限界集落、都市集中……そんな言葉が頭をよぎって、自分は彼にそう告げる。昔はこれに少子高齢化が混ざっていたけれど、赤子の宿り木、生命技術資料館、旧国営生命研究生成場、そんな名前の場所によってそれは解消されたと聞いた。ただ、少子高齢化は戦争と技術で解消できても、人口の都市数極化は解消できなかった。だから、技術の進んでいないこの世界でも、それは起きうることだと思っていたから。
「何故そうだと思ったのかい?」
「近くに大きな街、あるじゃないですか。シンシア、あれのせいで子供たちはそちらに移住してしまったのかと。失礼だとは分かっていますが、利便性や流通等様々な分野で、客観的に見てあちらのほうが圧倒的に上ですから。この村にしかない素晴らしい点もありますが。」
「それも、一理ある。実際に、シンシアとうちを比べれば、いや比べるまでもなく向こうが遥か上にあるよ。この村にはほんの少しの魅力しかないさ。さっきアスカ君が言っていた1つの共同体、それがきっとそうなんだろうし、僕たちはそれをアピールするよ、きっと。」
「ただ、それだけが理由でこの村に子供や若者がいないわけじゃない。愚痴みたいになるけれど、恥ずかしい話、この村がこうなった原因は僕たちにある。」
オドはまた大きく息を吐く。つつ、と汁を啜り、そうして喉と唇を湿らせる。その姿を見て思う、きっとこれから話すことは彼らにとって大きな悔恨なんだと。彼らにとってそれは大きな胸のつかえで、喉に刺さった骨なのだろう。だから、ここまで逡巡して話す言葉を選ぼうとする。1つの共同体の1つの暗部か、1つの哀しみか。
「僕が何故一人こんなに若いか、他はもっと年をとっているのに僕だけ中年、それは僕がこの村の生まれでは無いからなんだ。僕は20年程前にこの村に来た、アスカ君と似たような形で、職業の差は違えど、世界が変わって生活環境さえも一転させようと思って妻と来たんだ。その時は、この村には若者が沢山いたし、身ごもっている人や赤子も沢山いたよ。もっというと、アルフさんと同じくらいの年齢の人たちももっと人がいた。村自体が、2倍くらい大きかったんだ。僕はそこで子供の教育係をしていたんだよ。色々な場所を回って村に落ち着いたから、一番見識が深いって思われたんだろうね。」
「楽しかった。子供たちは教えればすぐに吸収していったからね。それに、同年代の人たちも村を発展させたい、生まれ故郷を豊かにしたいって気概が強くて、彼らにもたくさん授業をしたさ。」
「だけど、それは10年もせずに終わってしまった。モンスターが襲ったんだ、この村を。丁度この時期だったかなぁ。食料が無くて、あの大きな熊のモンスター、アグリーベアだっけか。それが見たこともない姿をしていて、黒い、何か黒い物が付着して腐りもとの姿とはかけ離れた場所が多くあるような存在だった。それが村を襲ったんだ。いつもはそんな時期にいなくてどこかで寝ている時期なはずなのに。村の若者が狩人を務めていて、その人たちは頑張ったんだけれど、何人も殺された。丁度夜でね、家がまるまる1つ無残にも破壊された。今思い出すだけでも恐ろしいよ。助けは来なくて、狩人が2人がかりで必死に抵抗して、それでも殺されていった。彼らも凄く素直で、それでいて研鑽に励むような人たちだったのに。彼らにも家族がいて、守るべき子供がいたのに。見たこともない姿の敵を見て、増援を要請するために村唯一の馬を走らせた人がいたんだけど、彼は結局戻ってこなかった。あとあと聞いてみれば、途中で山賊に殺されていたらしい。馬は高額だからね……」
「結局、囮で時間を稼いだり、家を崩壊させて下敷きにしたりしたのだけれど、時間稼ぎでしかなかった。こと2時間ばかりすると、殺した村の人をいくつか咥え抱えて森へと戻っていったんだ。」
「その晩のことは今でも思い出せる。夜明けまでの時間を、見張りを立てて寝ずに過ごした。火を村の周りにたくさん焚いて、奴が来ることがないか目を凝らした。その間もずっと、子供たちの泣き声と家族の無言の慟哭が村に響いていたんだ。」
オドの唇は震えていて、手は強く握りしめられていて。彼の中の怒り、哀しみ、後悔、そういったものが滲み出ていて。
「翌朝、空から鳥が舞い降りてきた。1人の人間を乗せて。彼は8翼だと名乗って、モンスターを殺すことを約束して森に消えて行った。彼が来てくれたその瞬間だけで、言いようのない安心が皆を包んだのを覚えているよ。僕も見張りにたっていたんだけれど、酷く寒くて酷く疲れて、彼が森に向かったのを見てそのまま倒れ込むように眠ってしまったらしい。」
「起きたら、もう全てが終わっていた。村の中央にはそのモンスターの死体があって、首は胴体と離されていた。8翼の彼はこれからのことを話していて。シンシアから少しばかりの弔問と行商がくるから、それで村を立て直してほしい、早く来れなくて申し訳ない、そんなことを言っていたよ。僕たちはその時は感謝でいっぱいだったのだけれど、彼が立ち去ったあとにはぽっかりと空洞が空いた村だけが残されていてね。泣きながら、犠牲になった村人たちを埋葬していった。」
「それが終わって、行商と使いが来るまでの間にそれは起きたんだ。村の若者たちが、この村を発展させようと頑張っていた人たちが意見を長に提出したんだ。アルフさんの前の長にね。アスカ君の言うとおり、シンシアのほうが安全だからこれを機にむこうに移住しよう、と。ここを発展させることはやはり無理だ、そう彼らは言っていた。夫を亡くした妻や、大黒柱をなくした家族は特にそう主張したんだ。まぁ、それはそうだろうね。シンシアのほうが便利で安全なのは誰の目にも明らかなんだから。」
「そして対立が生まれたんだ。先祖代々の土地と彼らの霊を守りたい村長やアルフさんたちと、安全を求める若者とそれにつく数人の老人たちにね。僕は必死に彼らを説得したんだけれど、結果はお察しの通りだ。」
「やっぱり、意識が違いすぎたんだ。一度ズレてしまった互いの価値観をすりあわせるのは難しいんだよ。ああ、本当に大変な日々だった。僕は彼らを教えてきたから、凄く深くかかわってきたつもりだったんだけれど、彼らがどれだけ村のことを愛していて、そしてこのことでどれだけの精神的な傷を負ったのか理解できていなかったんだ。だから僕の説得は、水を握ることと同じように成功することはなかったんだ。そうしているうちに、保守的な村長たちと革新派である若者たちとの亀裂はどうしようもなくなってしまって。暖かだった村は刺々しい空気に満ちた重苦しいものになってしまった。そして、村が襲われた日からひと月ほど過ぎた頃に、若者たちは村を出るという選択をしたんだ。でも、いや、当然ながら、僕たちは止められなかった。」
「だから、この村はこうなった。今となっては彼らがどこにいるかは知らない。対立の中で、絶縁状態になってしまったからね。それから、この村には本当に数組しか人が訪れなかった。日々の中で、何人かがこの世界を去って行った。彼らの言う通りで、村に将来なんてない。ただ、僕たちが意地を張っているだけさ。」
「その過程で、この村は1つの共同体になったんだ。老いた人が多いから、この村は皆で協力して物事を行う。それでも、人は寿命で死んでいく。病で死んでいく。怪我で死んでいく。事故で死んでいく。村長は暫くもせずに死んでしまった、多分、心労が祟ったんじゃないかな。それを継いでアルフさんが長になったんだ。ほかにも老人はいたのだけれど、老人と中年しかいない村になってしまったから、緩やかな死を先延ばしにしようと彼を長にしたんだ。それでも、この十年で何人も死んだ。レアの兄は畑で倒れてそのまま帰ってこなかったし、アルフさんの妹はある日の朝を最後に二度と起きなかった。僕の妻は、森に前の前の狩人と採集にでかけて二人とも殺された。人は減っていくばかりで……だから、狩人として君たちがきてくれたときは、また新しい風が吹くかもしれないって皆喜んでいたんだ。そしてトリスさん、子供ができて、本当に皆喜んでいるよ。」
オドはそういってにこやかに笑う。どこか遠くを見つめていた目が、ついにこちらをしっかりと見定めて。先ほどまで重苦しい空気が支配していた川ぞいの岩場に、少しばかり清涼な空気が流れてきたように感じて。
「話が長くなってしまったね。休憩としては長すぎるかも。今日はまだまだ作業があるから、話の続きはおいおいでもいいかい?」
そんなことを彼は問う。自分は頷く、彼らのこと、彼らの心の奥深くに立ち入る内容だから、彼らから話してくれるのを待つべきだと考えて。
「さぁ、気分一新して、もう少し頑張ろう。これから採集にも出かけるんだろう?」
そんなことを告げる彼の眼には、もう先ほどの暗がりは見いだせなかった。




