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子供をつくることは女性の特権だ。地球に住むどの動物も、オスとメスのどちらが子供をつくるか問われたならば、メスが子を作る。雄が子を宿す動物など自分は知らなかった。今までの記録を見ても、自分が知り得るレベルの情報―図書館にあるレベルの情報という意味―には何も記されていなかった。つまり、オスでは子を産むことはできないということだったのだろう。それは此の世界でも変わることはない。自分は此の世界で、幾つもの家庭を見てきた。当然人族のモノがとても多かった。竜人とエルフの夫婦が子供と手を繋いでいる光景も見たことがある。ただ、ここ最近の日々の中で人族以外の家庭も見るようになてきた。オーガ、ヴィヴィッドラビット、オルドブル、その他様々な家庭だ。形は様々で、木の上に巣をつくる、洞穴に隠れる、移動しながら子育てする、共通点はほとんど存在しない。ただ、それらにしても全てメスが子を産んでいるように見えた。腹を大きくしたオーガ、乳を与えるヴィヴィッドラビット、オスだけが立ち向かいメスと子を逃がすオルドブル……
それらは、確かに変革が起きていて、彼らも家庭を抱いてこの世界に生き始めた証だった。それを見ていく過程の中で、自分の中の嫌悪感というものもだんだんと薄れていったことは確実だ。
「今、戻った。」
「おかえりなさい。」
日課の狩りから戻ってみれば、トリスが笑顔で出迎えてくれる。にこやかな笑み、見ているだけで幸せになるような。それを見るたびに、本当に心が安らいでいく。日課であるがゆえにとっくのとうに無害になっていたはずのものが、狩りという危険と隣り合わせのものが、如何に心に突き刺さるような鋭利なものだったのかを思い出させてくれる。どうせ明日には忘れてしまうけれども、この時この瞬間だけはそれをしっかりと感じることができる。ヘルムを外してくれる彼女、首を大きく回せば大きな音を立てる。気怠い疲労をそれで振り払うようにしてローブを脱ぎ捨てる。
彼女の腹は見てわかるほどに大きくなっている。とはいっても未だ妊婦といわれて想像するようなものよりかは小さい。それでも、へそのあたりがぽっこりと大きく突き出していて、よくバランスがとれるものだと思う。重心の位置が変わっても平気なのだろうか、そう考えてしまうほどだ。ただ、腹がまだ小さいからといって、そこに命が宿っていることを感じさせないわけではない。
ゆっくりと、その突き出た腹に手を当てる。蹴ってる、蹴ってる、そんなことは未だないけれども、そうやって手を当てることで新たな命の鼓動を感じ取れたような気がするのだ。そうして、毎日毎日自分は心を新たにしていく。父になる、その心の準備というものをしていくのだ。生まれ来る子供は、どのように育てていけばいいのだろうか、そんなことを考えることも多くなった。優しく腹を撫でまわし、トリスに口付けをする。獣臭い、血なまぐさい、そんな非難が彼女の口から漏れるが、半ば冗談めいたものであることはわかっている。
腹に刺激を与えないように、ゆっくりとやさしく抱擁をする。いつの間にか肩にとまっていたシェムは空に浮いていて、此方を優しげな瞳で見つめていてくれる。空気を読んでいるのだろうか。トリスの髪の毛に指をいれて梳いていけば、心がリラックスしていく。愛おしい彼女と触れている間は、心が穏やかになっていく。半ば依存しているのかもしれない、いつもいつも彼女がいるということが自分にとってとても大事なことだと自覚している。もし彼女がいなくなってしまったら、そんなことを考えるだけで恐怖が体を支配していく。自分は何を生きがいにすればいいのか、もしも彼女がいなくなってしまったとしたら、それすらわからなくなってしまう。今の生きがいは、彼女と共に幸せな生活を、彼女との子供を優しく育てる、そんなことなのだから。少しばかり指が震える、暗い未来を想像するだけでそうなってしまうのは、異常なのだろうか、正常なのだろうか?
「今日は、何を?」
タイミングを伺っていたかのように、暗い気分に落ちかけていた自分に彼女は問う。
「いつもとほぼ同じさ、ああ、今日は猪を狩ったな。腹が減った。」
「私も食べていないから、ごはんにしましょうよ。それにしても猪、ねぇ。」
「俺達の取り分は外にあるから、すぐに持ってくるよ。」
「じゃあお湯を沸かしておくわ。スープとパンと、肉を焼くのでいいかしら。」
彼女は家の奥に消えていき、自分は家の前に置いた荷台から猪の肉を下ろす。自分の半分以上の大きさがある猪を2頭狩って、自分たちの取り分は後足2本。ほかは村の人々の食料と、備蓄品と、交易の為の材料に。
家の中に肉を持っていく。血抜きはしてあるから、垂れることはほぼ少ないがそれでも気を付けて、布の上に垂らすことが無いように気を付けて歩いていく。台所まで持って行って、それをいくつかのブロックに切り分けていく。隣ではトリスが湯を沸かしていて、そこに塩や野菜を加えて行っている。桶に汲んである水、野菜や包丁を洗うための水に包丁を浸し、肉に刃を入れていく。こぶし大の塊を4つ切り出して、それに鉄串を突き刺す。薪がぱちぱちと音を立てる囲炉裏のような場所でそれを炙っていく。まぁ、地面に突き刺して火であぶっているので、それをしている間はほかの作業もできる。残った肉に刃をまた入れていく。ゆっくりとスライスされていく肉、薄く薄く。何枚も何枚もそれを作っていき、その上に塩を振りかける。よく揉んで、よく揉んで、木の板にそれを敷いていく。数十枚分のそれを囲炉裏の傍に持って行って、熱で乾燥させていく。どうせ飯のあとには戸口の外に立てかけるけれども、その間だけでも何か変わるかもしれないと思うから。少しばかり、折角火を起こしているのだから使わないと勿体無いという感情もある。
過ごしていく中で、微妙に改良を加えていったものが家には多くある。囲炉裏もそれの一つで、もともと暖炉のようになっていたもののかたちを変えたのだ。家の端っこにあるのでは少々不便であるから、それを家の真ん中に移動させたにすぎないけれども。昔資料で見た日本家屋のようになりはじめた家の中、それでも部屋が、貯蔵庫や寝室といくつかに分けられていて、空気を入れ替えるための煙突はそのまま残してあるから、和洋折衷ちぐはぐであることは否めない。
焼き目のついた肉を齧る。パンを咀嚼しながら、ゆっくりと腹を撫でるトリスの姿を見つめる。金髪が薄暗い家の中、陽光で明るくなっているに過ぎない部屋で輝くように見える。優しげな、そんな目を腹に投げかけている姿を見る。
「名前、考えているか?」
自分は愛しき人に問う。
「うん、色々ね……」
愛しき人はこちらに顔を向け、にこやかに笑いながら風呂敷を広げていく……




