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ざく、ざく。ざく、ざく。ざく、ざく。
隣ですすり泣く声が聞こえる。手で口を抑えていることが、目を向けなくてもわかる嗚咽。哀しみに打ちのめされ、前を向くことを拒否したくなるような音が聴こえてくる。ああ、自分はそれを無視しなければならない。無視して、聞こえないふりをしていなければ。自分が、自分が聴こえないふりをしなければ、何かが千切れてしまうことは確実なのだから。
ざく、ざく、ざく。ざく、ざく、ざく。
生憎と耳栓を切らしてしまっている。いや、あったとしてもつけることはないだろう。隣を音源に、この世界に響いていく音は、決して耳栓をしていいようなものではないから。自分は、それをする権利などないのだから。だから、自分はその音を耳に刻み付け、胸に刻み付け、脳に刻み付け、心に刻み付けていかなければならない。
ざく、ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
手を止めるわけにはいかない。自分の仕事を遂行しなければならない。それがたとえ自分の意識を動作と切り離さなければならないことであろうと、それを魂が拒否していても。それこそが自分に許された、贖罪の方法だと信じて。だから、この両の手を止めてはならない。この動作を、決して止めてはならない。
ざく。ざく。ざく。ざく。ざく。ざく。
ただただ、無心に。だからといって、周りから自分を切り離すことなどできない。無心にと願うたびに、自分の心の中で渦巻いていくものがある。怒りではない、恨みでもない、そういった赤い、黒い感情では決してない。青い、しかし濁って灰色の混ざった青い色の感情だ。隣の気配を、隣の嗚咽を、隣の悲しみを、自分の哀しみを、自分の悔しさを、自分の至らなさを、自分たちの間違いを、自分たちの罪を、自分達の……
暗く染まった空から大粒の雨が降り始めて、重く湿った空気の中で雷鳴が轟き始めて。それでも尚、自分たちはそこに立ち続けて、自分達がやらなければならない仕事をやり続けなければ。嗚呼……




