218
目を覚ましたら、見ず知らずの場所にいた。声を出すけれど、誰にも言葉は通じなくて。それまでは道を歩いていたのに、学校に向かって歩いていたのに。太陽がぎらぎらと照りつけていて、とても暑くて、辛くて、それなのに一瞬でそれはなくなって。薄暗い部屋、カビ暗い部屋、獣と汗と泥の臭いが酷い場所にいました。
誰かがいて、この暗がりが良くわからなくて、必死に声を掛けて。それでも、何を言っても向こうは不思議そうな顔をしていて。その顔に見覚えがあって、拉致、誘拐、強姦、身体目当て、身代金、そんな言葉が頭の中をぐるぐるとまわっていって。私は、犯された?ちらと体を見れば、衣服の乱れはないけれど、泥がところどころについていて。訳が分からなくて私は彼を糾弾し続けた。
しばらくして、彼は私に謝罪と説明を……
――
昼間だというのに、その店は依然繁盛していた。常時店の中に誰かしら客がいる光景は、その店が開店から客が途絶えていないことをしっかりと示していた。加えて、これから閉店の時間にかけても決して客が途絶えることはないだろうという予感を持たせるものだった。客がいるといっても、棚がいくつか並ぶ店の中に1組か2組、それ以上は決していないが、それでも周りの店に比べると格段と入っていたのだった。昼間、その時間帯はどこの店にしても客足が遠のく時間帯だ。どんな店でも開店すぐであったり、夕方の時間であったりは客がいるものだ。朝早くでかける人が一番に買いにくるのであったり、夕方戻ってきて補充に走るのであったり。しかしながら、昼間は違うのだ。都市に住む人々の多くがモンスターを狩る冒険者であるこのシンシアにおいて、昼間はその冒険者が狩りにでかけているので人が減るのだ。一応、鍛冶屋であったり、雑貨屋であったり、武具屋防具屋、行商人であったり、そういった人々はいるにはいる。しかしながら、そういった人々の占める割合は冒険者に比べると、シンシアでは本当に低いのだ。
ここシンシアに、一人の行商人がやってきた。未だ見習いで、師匠に連れられてきたこの街、もらった自由時間を散策に使おうと、何か自分のためになるものを探そうと、彼は意気込んで昼間のシンシアに繰り出した。そこで件の店を見つけたのである。昼間だというのに、この店に人が絶えない理由はなんであろうか、と行商人は首を捻る。精巧な逸品を作り出すのだろうか、それとも希少な品があるのだろうかと。品ぞろえが素晴らしいのだろうか、それとも非常に安価なのだろうかと。精巧な逸品はほぼ例外なく非常に高価なことが多い。人の手が加わり、時間をかけて作り出しているために安価で提供できないのだ。希少な品も同じく非常に高価であることが多い。希少なのだから、手に入れる手間であったり、輸送する手間であったりで安価では済まないのだ。そういった店が常時繁盛しているなんてことはないだろうと、その行商人は考える。では品ぞろえが素晴らしいのだろうか、かゆいところに手が届く、そんな品ぞろえの仕方を本当にできているならば確かに繁盛するだろう。人々の需要の多くを満たす、つまり客の分母を増やせるのだから。しかし、冒険者が多いこの街でそれはどうなのだろうか、と行商人は考える。安価であるというならばある程度は理解できる、しかしながら昼間の集客につながるかどうかというと微妙なところだろう、そう行商人は考える。そして、行商人はこの店に客を引き付ける何か特別なものがあるのだろうという考えに至った。しかしなんだろうか。
行商人は未だ見習いで新米ながらも、プライドがないわけではなかった。ゆえに、その店の中にはいって確認するだとか、周りの人に聞いてみるなんてことはしなかった。彼は考えて考えた。いろいろな説が思いついて、そのたびに彼の頭を悩ませた。そうして10分ばかり経って、彼は白旗を振った。彼はちょうどそこを通りかかった街の住民に声をかけて、なぜこの店が繁盛しているのか聞いたのだった。そして、答えをもらった彼は納得した顔をして、期待に胸ふくらませ店へと消えていったのだった。
人の絶えない店の中、人気の秘訣は今日も一人で店番をしていた。人気の秘訣とは、にこにこと笑顔を振りまき、客に愛想よく応対する少女のことだった。可愛らしい顔だ、美人と、可愛い、その二つを足して割ったような顔だった。誰もその顔を見て嫌悪感を覚えることはなく、庇護欲と憧れを掻き立てられるような顔だった。ここらの人ではないことは顔を見ればわかる、この大陸では珍しい顔の造形であった、しかし誰もそれを深く追及することはなかった。シンシアほどの街になれば、様々な人種、エルフから人間、竜人まで、中には知恵のあるモンスターもいるのだから、誰も気にすることはなかった。時折話のタネに使うくらいで、それだけを着目する人はいなかったし、意味もなかった。
客は皆その少女が好きだった。いや、街の皆が少女のことを好きだった。嫉妬するものも中にはいたが、それは軽いものであって、その和やかな笑みを受けては後ろ暗い思いも消えていくような優しげな少女だった。中には劣情を催す者もいたが、その柔らかな笑みを受けては低俗で下劣な思いも消えていくような優しげな少女だった。稀に彼女に対しそういった感情をぶつける者もいたが、彼女はそれを上手くあしらっていた。しっかりと拒否し、そしてにこやかに罵っていたのだ。当然烈火の如く怒るものもいたが、彼女は街の人に守られていたので問題はなかった。そんな黒い心をむき出しにした人は目立つ、そんな人を一人で店には入れなかったからだ。街の人は彼女の全てを好んでいたのだから。
そんな彼女は今日も日がな一日店番をしていた。朝から大量の客に対応し、物を売り、交渉をし、世間話をした。店は雑貨屋、道具屋、そういったものに分類されるものなので、彼女は多くのことを求められていたけれども、それをこなしていた、また彼女は楽しんでいた。
「ふぅ、疲れる……」
店から人がいなくなる、最近では希少な時間ができて、彼女はため息をついた。店の営業ということを考えるうえではとても喜ばしいことなのだが、彼女だって疲労はするのだ。彼女は軽く伸びをして、そんな彼女の頭の中をふと影がよぎった。
「アスカ、元気にしているのかな?」
彼女を救ってくれた男、その姿を脳内に幻視する彼女。彼女に憧れている人が見たならば、嫉妬することは間違いない笑みを浮かべながら彼女は考えていた。シンシアに来て色々職を転々としたけれども、そのシンシアに連れてきてもらった人の顔を思い出していた。彼がいなければ彼女は生きていなかったのだから、彼女を誰も責めることはできなかっただろう。絶体絶命の危機を助けてくれた王子様を夢見てしまうのは、彼女ほどの年頃の女の子ならば仕方のないことなのだから……




