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或る世界の軌跡  作者: 蘚鱗苔
13 遠い遠い地で
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 「……カ!…スカ!アスカ!」


 ふと我に返ったのは、聞きなれた声が自分を呼んでいるのに気が付いたから。それと同時に、背中から誰かに強く抱きしめられる。首筋に何か冷たいものが当たり、柔らかくくすぐったいものが耳のあたりをさらさらと流れて行く。


 「アスカ!気を確かに、落ち着いて!」


 愛しの君の声が耳に響く、強く抱きしめられた体、彼女の腕は少しばかり震えている。全身の血液がすぅっとどこかに抜けていくような、体温が一気に下がっていくような気がする。視界がどんどん広がっていって、目の前の物事が視れるようになってくる。腕はだらりと下がっているのがなんとなくわかるし、見れば自分はモンスターの上に馬乗りになっているのは丸わかりだ。左手で持つファルシオンが手から離れ、音を立てて転がる。

 自分が馬乗りになっている死体、オーガリーダーの死体は滅多切りにされていた。顔であった場所、首筋であった場所、胸であった場所、そこは大小様々な刀傷によって切り裂かれ、惨たらしい惨状を晒している。鮮やかな赤い肉が見えて、所々白い骨も見える、血塗れであるところもあれば、何か黒っぽい液体が流れ出している場所もある。左手に力が入らない。指が固まってしまっていて、ファルシオンの柄のかたちよりも少しばかり開いているくらい。右手で左手首を抑えれば、そこから震えが伝わってくる。


 「アスカ、大丈夫?落ち着いた?」


 トリスがこちらに声を掛ける。耳元にかかる吐息、暖かな言葉。それに甘えることにしよう、少しばかり、ほんの少し。


 「ああ、とりあえず、少し考えてもいいか?」


 自分は、何を考えていた?何をしたらこうなった?目の前に転がる死体は決して答えを言うことはない。それは死体が人族ではないからではなく、死体が死んでいるからだ。口を開くことはないし、身振り手振りで伝えることもない。ただ、この死体は答えをその姿で暗示しているような気がした。

 上半身には血が飛び散っていて、それを拭う、服を洗うのは少々面倒だ。震えが収まった左手と右手で、後ろから伸びる彼女の腕を抱きしめる。ひんやりと、しかし優しさという感じることの難しい温かみが自分を包んでいく。心臓が跳ね回っていて、それでも彼女に抱きしめられることで、彼女を感じることで平静さを取り戻していく。まるで何キロも走ったあとのように、口からは勢いよく呼吸が漏れ、そして口の中に空気が吸われていく。鼻で息をするなんてとんでもない、何キロメートルも走ったあとに鼻で呼吸することはできるだろうか、ナンセンスな質問だ。少なくとも、運動が得意ではない自分では不可能だった。それによく似ている、頭痛が酷い、喉が渇いて乾いて、口の中には粘ついた唾液が残っている。それを地面に吐きつつ、彼女の腕から抜け出しゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がってみれば、今まで見えてなかったものも少しばかり見えるようになってきていた。顔面を貫かれ、血塗れにしたまま倒れているオーガスの死体。ほかのオーガの死体たちは、見れば見るほど不自然だ。ほぼ一撃でやられたような死体、もみ合ったような死体、そういったものが混ざっていて、まあどういう状況か推測するのは難しくないだろう。恐らくこの5体は同じグループとして行動していた。その中で、自分が殺した2体の内のどちらかが、先ず1体を殺した。仲間だと思っていたために抵抗もなく殺されたのだろう、故に死体に戦闘の痕跡がない。その後、リーダーとオーガスの狼藉に気が付いた2体が反旗を翻し反撃を測ったが、結果は先の通りというわけだ。

 さて、何故この2体はこんなことをするに至ったのか。それはわからない。殺したくなったから?殺意に飲まれ、自我を失ってしまったのか。まるで猿のようだ、言うことを聞かない子供の様だ。いや、例えが良くないかもしれない。猿にしろ、子供にしろ、ある程度の分別はつく。それ以下だ、それとも何かに操られたのか?

 きっとそうだろう、操られたのだろう。誰かが仕掛けた罠、モンスターを狂わせる魔性の罠に引っ掛かったのだろう。自分も、物音を聞いた時点では罠を考えていたじゃあないか。それか、モンスターを操るような、先の襲撃の原因となったようなモンスターが近くに居て、それのせいで狂ったとも考えられる。そうであるならば、警戒をしなくてはならない。そうだ、操られたのだ、そうすれば辻褄があう。自分が狂ったように痴態を晒してしまったのも、操られたからだ。前者ならば、罠本体を探し出すべきだろうし、後者ならば撤退する必要がある。どちらにしても、村長に告げる必要もある。やらなければならないことが多い、さぁ……


 いや、白をきるのもここまでにしておこう。適当な理由付けで誤魔化すのは、もうやめておこう。それはあまりにも無意味な行為で、現実から目を逸らすことしかできない。現実から目を逸らしても、自体は全く好転しない。物事を先送りにすることは、確かに場合によってはいい案だ。ただ、今回の場合は、先送りにしてしまっては停滞に繋がる、目を閉じて立ち止まることに等しい。

 死体に何があったのか、何をしたのかどうかの予測に間違いはないだろう。そこは、想像した通りの展開が起きているだろうから。ただ、それが操られただとか、それで自分も操られただとか、馬鹿馬鹿しい。現実を認めたくないだけだ、自分が何に苛々して、我を見失ってしまったのか気付いていないふりをしたいだけだ。心の奥底では、自分が何を我慢できなかったのか、癇癪を起こしてしまったのか、虎の尾を踏んでしまったのか、理解できている。

 交尾、それが原因だろう。こいつらは、オスとメスで交尾していた。それ自体はおかしくない、動物である以上、子供を作るためには生殖行為が必要なのだから。それは万物の理であって、既定のレールの上を進む電車のような、異常な点は見当たらない事実だ。列車が線路から飛び出して、自由気ままに動いていたら不気味だ。子供をつくるためには、必ず行わなければならない事柄があって、水が低いところに流れるように、不変の理だろう。

 ただ、それはここが地球であった場合の話であって。自分はこの世界で、今まで一度たりともモンスターが交尾しているところを見たことがなかった。それ自体はおかしくなかもしれない、交尾をしている間は無防備なのだから、隠れるはずだ。ただ、子供の姿を見ていないというのはどうしたものか。巣を見たことはあっても、子供の姿を見たことはない。オーガが幾体も居た、死を寸前で食い止めたあの森にさえも子供がいなかったのだ。あれだけの大群、そしてオスもメスも大量にいたというのに、そこに子供の姿はなかった、子を孕んだオーガスも居なかった。街の人々の噂をきいても、モンスターの幼生なんてものは見たことがないと言っていた。ならば、この世界は交尾など必要ないのではないだろうか、と考えていた。確かに、殺されたら消えて行って、どこかに出現するという理の中で、そんなことをする必要性はない。故に、初めて見た交尾、確実に理が変わっている証拠を見せつけられて、心構えをする時間は与えられず、我を失ってしまったのだ。


 それだけではない、自分は人によく似た生き物の交尾を見るのは初めてだった。猿ですらも見たことがない、見たくもない。人間によく似た生物が腰を振っているところなんて、想像するだけで気持ちが悪い。人間至上主義というわけではないが、あまり心地の良いものではない。それが、服のように布を纏い、人間に近い生活をするオーガなんてのならなおさらだ。それに対する嫌悪感が、人間としての尊厳を穢すような行為が、自分には我慢が出来なかったのかもしれない。

 現に、今もオーガスの死体、オーガリーダーの死体、裸になって死んでいる体を見るだけで虫唾が走る。追い詰められた精神、心構えをすることは許されず、突然高いところから叩き落されたような。未だ少しばかり苛々としていて、オーガリーダーの体とオーガスの体を重ねていく。なるべく見ないように、触れる場所が狭くなるようにしながら重ねていく。転がっていた3体の死体もまとめて、そこにヘルフレイムを放つ。


 ぱちぱちと音を立てて燃える死体。時折、ばちばちと何かがはぜる音、ばきぼきと何かが砕ける音が聴こえてくるような音がする。ごうごうと煙は上がり、周りに肉が焦げる嫌な臭いが広がっていく。それでも、先ほどの光景のほうが吐き気を催すだろう。それほどまでに気持ちが悪い光景だった。


 「臭い、酷い。何かわかったの?」


 トリスが口元にローブを当てながら問う。確かに酷い臭いだ、鼻が曲がるような。口の中に酸味が沸き立つような。自分もローブを口元にあてている、当然血塗られていない右手のほうだ。


 「ああ、最悪な事実だ。予測に過ぎないけれども。」

 「お聞かせ願いましょうか。大体の予想はついているけれども。地震でしょう?」

 「ああ、変革は2度あった。」

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