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畑には、青々とした苗の葉が整然と並んでいた。自分の視界を埋め尽くすように茂それらの苗を見て、自分が必死に植えたそれらが根付いてくれたことに心から安堵する。いや、まだ安心はできないだろう。毎日毎日、元気かどうか、弱っていないかどうか、水不足になっていないか、病気になっていないか確認しなくてはならないだろう。それまでやって、やっと少しばかり安心できるというものだ。ただ、それで終わりではない。毎日毎日水をやって、時折肥料を与え、大きくなるように声を掛け、面倒を見て心から労わらないといけない。それはとても根気のいる作業で、自分が今まで触れてこなかった作業だ。
これが初めての農業だ、とは誰も信じないことだろう、日本に居た数少ない友人たちは。これが自分と妻で作りだした、初めての共同作業の賜物だ、とは誰も信じないことだろう、忘れかけた両親たちは。未だ苗でしかなく、そこから大きく育つかどうか、収穫できるかどうかはわからない。ただ、それでも今自分の眼前に広がっている光景は自分の心を鼓舞するには十分すぎるものだ。ここのどこに問題があるだろうか、ここのどれに難くせつける場所があるだろうか。確かに、プロの、農業を生業にしている人々から見たらお粗末な、いろはもしっかりとしていないものだろう。ただ、それは目を瞑っていてほしいものだ。自分が作ったにしては、という言葉を文頭につけて納得してほしい。
奥から、イモ、瓜、南瓜、バジルのような草。イモは種芋を、瓜、南瓜、バジルは種を村長から貰った。それらを苗に育て、畑に植えて行ったのだ。種芋は畑に穴を掘り、そこに植えて土をかぶせる。ほかのものは小さな木で作ったプランターに植え、生えた苗を順々に植えていった。まずは瓜を種から生やし、30株ほどつくったところで植えて行った。プランターに種を適度な間隔を開けて撒き、少しばかり土をかぶせて水を撒いた。数日たつと、そこから小さな小さな芽がでてきて、夜も眠れぬ日々を送っていた自分は小躍りしたものだった。50粒撒いて、芽が出たのは32。そこから大きくなったのは30で、しなびていく2つを見ただけで胸が張り裂けそうになり、他のものが元気に育つよう願いを込めた。種から発芽し、苗と言っても差支えがない大きさまで育てるだけで一喜一憂、今考えてもオーバーリアクションだったものだと思う。恐らく、もう少し慣れてから見返せば、顔を紅潮させ穴に入りたくなるか、もしくは若き日の過ちとして一笑に付すか。
そうしてある程度まで大きくなった苗を、折らないようにそっとそっと両手で包んで穴に入れていった。そうして、プランターが空になったところで土を入れ直し、そこに南瓜の種を植えて水を撒いた。それからの数日は、瓜の苗が畑にしっかりと根付いてくれるかどうか、南瓜の種が芽吹いてくれるかどうかが気がかりで、朝起きたらまず家の外のプランターを確認して、その後畑に瓜の様子を見に行ったものだった。
苗がしなびていないか、葉は元気だろうか、鎚は乾ききっていないだろうか。畑ではそういったことに目を凝らし、狭い通路を歩き、生えてくる雑草を抜いていった。種からは芽が出ているだろうか、土が完全に乾いていないだろうか、変な雑草が生えてきていないだろうか。プランターではそういったことに注意を払い、右往左往し、優しく水を撒いていった。
そのかいがあったのだろうか、どちらも大きな問題はなく、少しばかり大きくなった瓜の苗の手前に南瓜の苗を植えて行った。奥に埋めた種芋たちは、そろそろ土から顔を出してくる頃合いだろうか、疑問が自分の中に芽吹いていった。
それから、また空になったプランターに土を入れ、そこにバジルの種をまいていった。バジルだなんて言ってはいるけれど、よく似た葉であるだけで、実の名はウェイストウィード。種のかたちが似ていて、村長が地面に描いた葉の形がよく似ていて、香りも独特だと言っていたので便宜上そう言っているだけだ。だから、もしかしたら、バジルとは似ても似つかない草かもしれない。まあ、その時はその時、どちらにしろ食用なのだから。少なくとも、バジルと少し違うことは確実だ、なぜならウェイストウィードはそのままサラダにして食べるのが、漬物にして食べるのが基本的だそうだからだ。
またそれから少し、南瓜よりも早いペースでウェイストウィードは芽をだし、苗になっていった。小さいが、それでも確実にバジルと言ってもいいような葉が生えて、匂いも懐かしい香りだ。それを畑に植え替えて、奥に茂り始めた南瓜の苗と瓜の苗、顔を出し始めたジャガイモを愛でた。指先が泥と、バジルのような良い香りに包まれ、幸せな気分になった。
それからまた少し。プランターには新たな物を植え、しかしながらこれはプランターで育てることにした。畑にスペースがないということが大きな理由だ-混ざらないように、蔓が絡まないように、栄養を取り合いしないように、結構なスペースを開けた-。
畑の作物はすくすくと成長し、そして今に至る。青々とした苗を見て満足げに頷くのは、自分だけではない。手伝ってくれたトリスも、幸せそうな笑みを浮かべ頷いている。それはそうだろう、自分たちの汗水の結晶がここまで花開くとは。これからの頑張りが重要だが、それに必要なエネルギーをしっかりと受け取った。
畑の状況を見て、満足した自分たちは、その足で家に戻る。そして、久方ぶりに鎧を着こむ。骨が随所にあしらわれた、ローブと鎧の中間のようなそれを身に纏い、剣を腰に差す。頭に骸骨を被り、首回りの留め具を嵌める。恐らくは、村の人から見たならば悪鬼羅刹のように思えるだろう防具。それほど死のイメージが-骸骨のせいで-強いであろうそれ。隣のトリスも、灰色のローブを着こみ、杖を手に持つ。ガルムに声を掛け、シェムを肩に乗せる。トリスはテンを抱きかかえ、家を出る。村の広場になっている場所で作業をしている男がこちらを見て、少し驚いたような、怯えたような顔をする。こちらが手を振ってみれば、硬直を解き、柔和な笑みを浮かべ手を振りかえしてくれる。
他にも数人とあいさつをし、村長に声を掛ける。これから、頼まれたものをとってくる、ついでに少し森の中を探索し、何か目新しい物がないかどうか見回ってくる、と。
村長は頷き、行ってこい、頼むぞ、そう言って手を振りこちらを送り出してくれる。
村を守る弱弱しい木の柵を越え、畑に通じる道を歩いていく。村の人々の畑の地帯を抜け、自分たちの畑を横目に見ながら道を歩いていく。
天候は曇り、昨日は雨だった。それ故に地面は少しばかり柔らかい、晴れが続いた後のような固く締まったそれとは全く違う。足元は少しばかりぐずり、時折水たまりがある。とはいっても、水がしっかり溜まっているようなものではなく、水分が目に見えるくらいというだけだ。どちらにしろ、歩くのに難儀するというほどでもない。
ただ、それはここがある程度踏み固められた地面だからだろう。人々が進み、荷車が進み、その過程でしっかりと締め固められた場所だから、雨のあとでも少しばかりぐずぐずするだけで済む。これが森の中だとどうなっているのだろうか。腐葉土、枝葉が微生物に分解され、肥沃な土地になっているからこそ、水はけがよくそこまで湿っていないだろうか。それとも、光が軽く遮られているために水たまりが多く泥だらけなのだろうか。どちらもありえそうだ、場所場所によって変わっている、それが正解というところだろう。
森に足を踏み入れる。大きな大きな森、初めて来たときからその様相は変わらず、自分が切り倒した後の切り株は色が変わっている。切り株の左右から小さな生命の息吹が顔を見せている、それがこの森の強さ、生命の強さということだろうか。まだまだ風で折れそうなほど弱弱しく、細い芯を持つ葉も数えるほどしかない小さな苗木、きっとそこから大きくなっていくのだろうか。
自然は、雄大だ。それはいつもいつも感じていたことだった。ここでは、自然と比べたら人間は酷く弱くて、酷く儚い。大木に押しつぶされれば死ぬ、栄養が足りなければ死ぬ、モンスターに襲われれば死ぬ。モンスターを殺し、木を伐採する、それくらいは人間にだってできるけれども、それは所詮小さな意趣返しに過ぎない。根本的に人は弱すぎるのだ。くすくす、嗤われているような気もする。モンスターに嘲笑われているのだ、人間は。
ラツィア村が全滅したのは、人間が弱くて、そしてあそこが不運だったからだ。どの村も大体は護衛代わりの狩人を1人か2人雇っている筈なのに、あの村はしていなかった。それを雇う余裕がなかったのか、それとも辺境過ぎたのかはわからない。ゴブリンなんて、少しばかり研鑽を積んだ、つまりレベルを上げた人が1人でもいれば殺せる程度だったはずだ。少なくとも、Cランク以上の人間がいればそれで抑え切れたはずだ。その程度の存在だったのに、それがなかったから全滅した。むしろ、そこまで村が安全だったことのほうが不思議だ。やはり、何か理由があったのだろうか。ただ、それは今はもう闇の中だ。事実を知っている人は誰も生き残っていないか、その誰とも会えないか、ラツィア村の長老も、プルミエの人々も、資料も、市長も。トリスはそこまでよく知っているわけではなかった、ラツィア村という村が存在してそれの少しばかり詳しい内容を知っているにすぎなかったのだから。
Aランクともなれば、そうそうモンスターに殺されることはない。自分の実力を過信し、自分たちに傲り、モンスターの大群と孤立して戦ったり、格上を求めたりしなければ。ただ、その人数はそこまで多くない、そしてほぼ全て北のほうに住んでいる。それはモンスターの生息区域の問題が大きい。もしかしたら、過渡期なのかもしれない。ギルドができて何十年か、段々と冒険者を辞めた人々が南に南に移動していく頃なのかもしれない。
そういえば、シンシアで地震に襲われたあの日よりももっと前、東のほうで戦争が起こっていたっけ。結果はなんとなくとしか聞いていない。そういえば、西でも戦争が起こっていたっけ。同じく結果はなんとなくしか聞いていない。どちらにしろ、そこで多くの人命が失われたことは確実だ。それによりまた少しばかり情勢は変わっていっているのかもしれない。
ただ、村に篭り始めた自分たちには関係がない。騎士団と“天啓同盟”が反目を強めあったり、“8翼”がその戦略的な力を振るったり、魔王城が鳴動を始めたり、そんな社会的な大舞台での話は自分たちのもとには影響を及ぼさない。長期的には何かあるのだろうが、短期的には本当に関係がないのだ。そんなことは大舞台に立っている主人公たちに任せればいい。英雄願望なんて無い、昔はどうだったか、心の変遷なんて細かく覚えていないが。少なくとも、今は自分はトリスと共に過ごせればそれでいい。国を代表する冒険者になるだとか、王や皇帝に謁見して姫と睦言を交わすだとか、最強を求め続けるだとか、自分は求めていないのだ。安寧で、平穏な、愛しの人との生活を求めている。今は、今この瞬間は。
森を歩いていく。ハイ・フォレストオーガの小さなグループを蹴散らし、死体をそこに置いたまま歩いていく。帰り道回収すればいい、そう考えて。時折止まっては、木々に布を結んでいく。色を塗った布は迷わないようにするための道しるべ、前任者の置き土産。
ヴィヴィッドラビットを殺して、それの死体を太い枝にぶら下げる。それを肩に担いで、また前に前に。沢を見つければそこの位置をなんとなく紙に書いていく。忘れないように、次もこれるように。細かな距離がしれないので、適当な地図になってしまうが、大体の方角に何があるなんてことがわかればまた来ることができるというものだ。そのためにファルシオンで通り道の枝と低木を切り倒しながら進んでいる。獣道でも道があれば、という考えもある。
真っ直ぐ、まっすぐ、マッスグ。時折空を見上げて方角を確認しようと思うも、太陽が隠れていて確認できない。だから、後ろを見て目印を探し、まっすぐ進んでいる。そうすれば少しばかりの誤差はあれども、入口から北に北に進めていることは確実なのだから。




