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或る世界の軌跡  作者: 蘚鱗苔
13 遠い遠い地で
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 つい、と草を掴んで、それの根元に鎌を突き刺していく。固く締まった地面を掘り起こしつつ、根を引き抜いていく。緑色の草は、指に少しばかり絡み引きちぎれた断片を残していく。地面から引き抜かれたそれを放り、次の草へと手を伸ばす。

 大分慣れてきたものだと思う。少し顔を上げれば、自分が今までの間に引き抜いてきた草が点々と散らばっている。そして地表が見えるようになってきた畑も見える、鎌を突き刺して引き抜いた影響で所々ぼこぼことしているが。

 引き抜いた草はある程度の量で一まとめにしてきた。そうすれば、あとで回収するときに楽だろうと思ったからだ。もう既に結構な数は引き抜いた、100や200は引き抜いただろう。はたして1本で数えるか1群体で数えるべきかはさておいて。


 手は土で汚れている。ぽたりぽたりと汗は滴るも、それを拭えば泥で顔が汚れてしまうのは考えなくてもわかる話だ。爪には土が入り込み、こびり付き、これでは擦っても洗っても中々落ちることはないだろう。掌はかさかさとしていて、両手を合わせて擦れば大量の土と汗が混ざったものがぱらぱらと地面に落ちることだろう。指は土と草の匂いがしていて、鎌の持ち手は手のかたちに色が変わっている。手で持っていた部分だけそこまで汚れずに、他の部分は土に塗れているのだ。刃は毀れることはなく、最初の通りの鋭さを誇っているが、表面は土で汚れている。自分の服は恐らく汗で塗れていることだろう。流石にこれは洗うべきだろうか。

 手作業に慣れてきて、やっと考え事をする暇もできてきた。始めたばかりのころは、どうも考え事をすると手元が狂ってしまいそうになって。鎌で指先を切り落としそうになることが一度や二度ではなく、その度に冷や汗をかいていた。考え事をするたびにそれが起きていて、ただただ無心に無心にと念じながら草を刈ることに集中したのだ。そうでもしなければ、今ごろは血に塗れていることだろう。そうでもしなければ、今頃はまだ始めたばかりの場所にいることだろう。

 また1つ草の塊を引き抜きながら、考え事をする。こうして、1人で考える時間はあまり取れる者ではないから、この時間を有意義に使うことも重要だろう。いつもは、トリスが隣にいたり、ガルムやシェム、テンがいたり、なかなか1人の時はない。あるとするならば、用を足しているときと、夜眠るときくらいだろうか。用を足すことなんてすぐ終わってしまうことだし、夜眠るときには色々と問題がある。まずは、夜は眠いということ。疲れ果て、そしてこの世界に慣れた自分はすぐに眠くなってしまう。次の日が早いのだから、早く寝る必要性もあるのだから、考える時間は少ない。そして、トリスが隣で寝ているということ。すぐに寝ることも多いが、夜話していることも多い。どちらにしろ、彼女の寝息は良い睡眠導入剤なのだから意味もない。だから、日ごろあまり考える時間をとることはできず、こうやって1人ゆっくり考えることができる今は貴重な時間だ。


 服を洗う、その作業は酷く面倒くさいものだ。こうして毎日汗をかいて、泥で汚れる服。それは毎日毎日洗うべきものだと思うし、それは日本であるならば当然すぎる事柄だ。ただ、この世界ではどうも違うらしい。都市部ならまだしも、こういった村などでは特に違うらしい。

 服なんてものは、人間、人族、この世界にしろ日本にしろとても重要なものだ。近代社会なんてものは服飾社会そのものでもある。地球では、遥か原始人のころから服を着ていたと聞く。毛皮がなくなったから服を着るようになったのだとか、服を着るようになったのだから毛皮がなくなったのだとか、真相はどうでもいい話だが。どちらにしろ、遥か古代から今の今まで、地球では服を着ていないということは悪であった。善になることは決してなく、服を着ていないだけで処罰されるほどだった。体を洗わずに街中にいっても、服さえ着ていれば嫌な顔はされるだろうし、周りから人が逃げていくことはあるだろう、ただそれで処罰されることはない。余程変なことをしなければ、口頭注意が関の山ではないだろうか、いや、つまりはそれだけでは処罰されないということか。ただ、服を着ていない状態で街中に行ったとしたならば、たとえ体をどんなに清潔にして、良い香りをさせていようとも処罰されてしまう。

 それは、この世界でもどうやらほぼ同じらしい。村であろうと、街であろうと、未だ服を着ていない人に会ったことはない。見たこともないし、聞いたこともない。誰かに面と向かって聞ける内容ではないから正確なところはわからないが、全裸で行動していたら処罰されるのだろう。(いやはや、誰かに聞けるだろうか?自分がここで裸になっていたら処罰されますか?馬鹿げた話だ、あまりにも常識過ぎて鼻で笑われるか、それとも変な人を見る様な目で見られるか、どちらにしろ好意的な反応は期待できないだろう。)

 地球社会とこの世界で違う点は、体を清潔にしていなければ嫌な顔をされるということと、体を清潔にしていなくてもあまり嫌な顔をされないということだ。いや、いい方に語弊があるのかもしれない。この世界では、汗臭かったり、泥まみれであったり、そういったことでもある程度ならば許容されているということだ。体が不潔というよりも、どちらかと言えば服が清潔ではないことがその原因だ。

 この世界では、服を毎日洗うなんてことは少ない。都市部の、服飾が発展していて、服が大量に手に入るような場所では毎日洗う人も多い。いや、汚れた服は毎日洗う人が多いと言ったほうが正しいか。ただ、村の、こういった服があまり手に入らないような場所では、その頻度は高くない。服が傷むのだ、弱っていくのだ。いくら村とはいえど、全裸で生活していれば処罰される。それは法であるとかそういったものではないけれど、村八分のような、そういった意味合いの処罰だ。

 それはトリスが言っていた。少なくとも、トリスが住んでいた街ではそうだった。そしてトリスが効いたことのある話ではそうだった。いかんせん母数が少なすぎてなんともいえないが、恐らくはその話を前提として動いていればどうにかなるだろう。

 つまりは、村で生活するにあたって、あまり服を洗うことはできないということだ。自分たちだって、シンシアから出るにあたってある程度の量の服は追加で購入してある。ただ、だからといって自由に選択して、使い潰していっていいわけではない。だから、寝間着は纏めておいたのだ。昨日着ていた服は汗にまみれているから、洗うかどうか迷っていた。今日着ている服は、汗で重くなり、泥にまみれているので洗うだろう。ああ、ならば昨日の服も共に洗えばいい。ただ、次何時洗うのかはわからない。そういうことだ。では……



 とんとん、肩を叩かれる。手に持つ鎌が揺れて、思わず指を切り落としてしまいそうになる。先ほどまで流れていた、地面に染みを作っていた液体とは別のものが背中を流れる。一気に体の温度が低下したような、血の気が引く、考え事が霧消し、どこか彼方へと消え去っていく。もう二度とそれが戻ってくることはないだろう。

 抗議の視線を後ろへ送る。振り返った自分の視線の先に見えたのは、ばつの悪そうな顔をするトリスだった。


 「ごめん。そんな集中してるとは。」

 「危うく大惨事だ、勘弁してくれ。」

 「ごめん、呼んだんだけれど聞こえてないみたいで。これで合流ね、終わり。」


 そう言われてやっと気が付く。トリスがこちらに声をかけてきたということは、それはつまり自分とトリスが合流したということ。顔を回して周りを見れば、畑には点々と引き抜かれた草があるばかりで、作業は終了していた。にやりと笑い、トリスと連れ立って荷車のほうに歩いていく。

 まずは水分補給をしようか、そのあとは鋤で草を集めなくては。昨日余った材木は持ってきている、それで囲いをつくって、それとは別に引き抜いた草を干しておくのが今日の仕事。そこに引き抜いた草を入れるのが明後日の仕事。堆肥を作るのだ、そうすれば、農業の効率も上がることだろう。

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