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朝日と共に起きだす。完全にこの体に染みついた感覚、太陽が顔を出す頃に目が覚め、そして太陽が姿を隠してからしばらくすれば眠くなる。それ以上起きていようとは思わないし、それ以上寝ていようとも思わない。それがはたして体にいいことかはわからない、恐らくきっといいことなのだと思う。早寝早起き、長時間の睡眠をとり、疲れを癒そうとするその姿勢は恐らく褒められるべきものだと、勝手に考えている。この世界からしてみれば至って普通のことなのだが。
口を濯ぎ、寝汗をかいた体を拭う。服を着替え、洗濯物を纏めておく。トリスも起きだし、口を濯いで体を拭う。服を着替え、洗濯物を纏めておく。その後トリスはガルムの為に生肉をもっていき、自分は朝飯を作る。ガルムはこの家の入口近くで寝転がっている、外ではどうも寝辛そうに見えたから。この家には部屋なんて区切られた場所は3つしかない。トイレと、倉庫と、食料貯蔵庫だ。それ以外は、1つの部屋に纏められている。居間、台所、そして寝室は全て同じ大部屋だ。それでも、トイレが区切られているのは良いほうなのかもしれない。ほかの村の住宅事情など知る由もないが。
食料貯蔵庫には、塩漬けにした野菜が入った瓶がある。あと数日したら、水抜きをして塩漬けにし直さなければならないだろう。その分の塩は確保してあるが、野菜はそれでもあまり量があるとは言えない。だから、早く野菜を作らなくては、収穫しなくてはと思う。しばらくは肉との物々交換や、村長からの好意で野菜は手に入るだろうが、それでもいつまでも長々と続けているわけにはいかないだろう。
倉庫には素材が、シンシアを発つにあたって使い切らなかった素材が入っている。それだけではなく、他にも野営道具であったり、蝋燭であったりが入っている。そこまで広くはない倉庫、それこそ自分が数人入ればきつくなるような小さな場所だ。荷物が入り、昨日残った木をしまい、これからも素材が入ることを考えれば、少しばかり狭いかもしれない。だとしたら、痛む心配のないもの、冷暗所で保管しなければならないもの以外は大部屋にしまうしかないだろう。食料貯蔵庫だって無限ではないのだから、それらがこちらにくることもあり得るだろう。ただ、そんなにも食材が余るなんてことはあるのだろうか。いくら農村、ひがな1日ゆっくりと農業と狩猟に殉じることくらいしかやる事はないとはいえ、そんなに量が手に入るとは思えない。狩猟は確かにやればやるだけ食材は手に入るだろう、しかし保存が効くかどうかは別問題だ。農業は言わずもがな、そうぽんぽんとできる筈も無し。摂取するバランスもある、片方が多くて片方が少ないなんてことは体によろしくないのだから。
朝食を食べ、トリスは自分の首筋から血を啜っていく。この感覚にも慣れてきた、最初は今まで感じたことのない艶めかしい感覚に、どうも刺激されてたまらなかった。最近はそこまででもない、色欲を刺激されるということよりも、どちらかと言えばくすぐったい、こそばゆい、そういった感情のほうが強くなってきている。舌が首筋を這う感覚は、最初は絶えもなく欲情してしまった。それを思い出すと、今でも少しばかり恥ずかしい。
久々に会ったということも大きいだろうし、触覚を刺激されることも大きいだろう。好きな女が自分の首筋を嘗め回しているという、征服欲を刺激されるような光景に、背徳的な情景にも欲情していたのだろう。それ故に、今はそうではない。だからといって、彼女を求めないというわけではない。それは完全に別だ、自分だって聖人君子ではない。男だ、それも若く浅慮な男だ。割り切れるほど達観していない。だから、夜な夜な求めることもある。ただ、疲れ果ててしまえばその限りではないが。
君子たろうとしたことはある。テン、シェム、ガルムを束ね、トリスを伴侶としたことでよく考えるようになったからだ。前までのような、ただただ考えるままに進むということはしないようにしている、少しでも考えるようにしている。ただ、前述の通り自分は若い。学識に富み、素晴らしい人格を併せ持つ君子にはなりきれない。所詮大人ぶろうとした餓鬼のお遊戯に等しい。偽君子を演じることはできるが、それは所詮偽でしかない。本物とは大きく違うのだ、だから諦めた。
血を啜り終えたトリスは、普段よりも少しばかり血色がよくなる。生命の象徴を循環させたことで、生と死の境に漂う体がほんのり生に傾いたのだろう。青い目がぎょろりと動いて、自分の姿を目に入れてにこりと笑う。青白い肌、ほんの少しだけ橙がかっているような、それでも頬だけだが。
肩を大きく回し、凝りきった首をごきりと鳴らす。体の中がさっぱりするような、ガルムに声を掛ける。テンとシェムは自分の後ろを着いてきている、トリスにしてもそうだ。巨狼は体を起こし、外へと通じる扉の前で待っている。
「ああ、幸せだ。」
「何が?」
「この光景さ、生きていてよかった。」
「ん、私も。」
つい言葉が漏れてしまう、現在の光景を思い浮かべて。心から待ち望んでいた光景、あの時、あの場所、トリスと出会い、恋をしてから思い描いた光景が目の前に広がっている。何故思い描いていたのだろうか、心から離れなかったのだろうか。この世界に来て、あまりにも遠く戻れない世界を想って、寂しくなっていたからだろう。戻れない日々を思い浮かべて、便利で雑多な日々と不便だが単純なこの日々を比べていたからだろう。ゆらゆらと、帰る場所は遠く遠く、足を休める場所もない世界だからだろう。どこかに止まり木が、どこかに我が家が欲しかったのはそういうわけだ。足りないものを追い求めて、それを渇望して、それが無いから精神が不安定だった。
手を伸ばして、一時は届きそうになって、それでも遠く遠く離れて、やっとたどり着いた場所。未来は目の前に、手を伸ばし、あと数センチ進めば届くのだろう。その数センチは、けれど遠い。この村に定住できるだけの下準備をしなければならない。
そのためには、いくつもやる事がある。この村の人々に認めてもらうことはその最たるものの1つだ。村八分にされてはかなわない、腫れものを扱うように扱われてはかなわない。新入りだけれども、元余所者だけれども、それでもこの村での住民権を貰えるくらいに認められたい。名目的許可ではなくて、社会的、共同体的な許可、認可を受けたい。そうすることで、この村は滞在場所から帰るべき場所へと変貌するのだから。そのためには誠実に生きなければならない。卑屈になってはいけないだろう、正直に、それでいて堂々と生きなければならない。村からの要請を快く受けることや、村を慮る姿勢が重要だ。
他にも、色々ある。例えば畑の管理だ。畑をしっかりと管理し、野菜を穀物を作っていく。そうしなければこの村で生きていくことはできない、食料が絶えず空から降ってくるわけではないのだから。そして、それは村とのコミュニケーションにも繋がっていく。正常進行、オールグリーンのランプを点灯させる必要がある。レッドやイエローでは達成されない目標なのだから。
扉を開けて、家を出る。今日は畑をしっかりと整備しなくては。まだまだ朝、日が昇ったばかり。だから、日差しが強くなり炎天下での作業ができなくなる前に準備をしなければならない。やらなくてはならないことは沢山ある。まずは、雑草を刈る、抜くという作業。その後、畑をひっくり返さなくては。そして水を含ませて、そこに種をまいていくか苗を植えていく。どちらにしようか考えていないが、苗のほうがいいだろうか。ただ、苗を育てるのであればそれも準備しなくては。水はけのいいだろう土を教えて貰って、木箱に詰めて、そこで種を発芽させる。恐らく大変な作業だろう、ただ種のまま畑で育てるよりかは成功しそうに思える。
とりあえず、今日はそこまでできないだろう。日が高くなる前に、雑草を刈り切って、畑をひっくり返しておきたい。ずいぶんと広いからそこまで手が回るかはわからないが。その後、正午を過ぎてからは森に向かおう。地理と、大体どのようなモンスターがいるのかは確認しておきたいからだ。もしかしたら、何か発見があるかもしれない。新たな遺跡は流石にないだろうが、たとえば、何か金属の産出する場所であったり、清流が滾々と湧き出る泉であったり、果物をたわわに実らせる植物であったり、何かの種であったり。そういったものを探しに、森に入るのだ。それはひいては自分の為になる、決して無駄にはならないだろう。
投稿から8ヵ月が経ちました、完結までおおよそ半分というところでしょうか。
今後ともよろしくお願いします。




