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或る世界の軌跡  作者: 蘚鱗苔
13 遠い遠い地で
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 日の出とともに寝袋から体を抜く。温もり残る場所に後ろ髪を引かれつつしかしだからといっていつまでもそこにいるわけにはいかない。トリスは自分が起きた気配で起きたようで、ごそごそと音を立てながら寝袋から這い出てくる。金の髪を振り乱し、寝ぼけ眼を擦りつつ歩く少女の肩を抱き、昨晩汲んでおいた金盥の前に連れていく。

 2人で顔を洗い、目脂を拭き拭き、眠気を覚ます。少しばかり固くなった体を、寝袋に押し込まれ喘いだ体をゆっくりと伸ばしていく。背骨が鳴り、腕を伸ばせば肘が鳴る。首をぼきりと鳴らし、全身を揺り起こす。そこまですれば、脳内にかかっていた靄も、気だるげだった体もすっきりとクリアになってくる。


 今日は、この村の規則や人々を教えてもらう。村長はそろそろこちらに来る頃だろうか。部屋には荷物が適当に積み上げてあり、そこにある食料品を入れた袋からライ麦パンを取り出す。塩漬け肉を取りだし、それを食べるぶんだけ切り落としてパンに載せる。村長が来る前に、出来る限りのことはしておこうか。この村に定住するのならば、ある程度の準備はできそうだ。服や毛布はさておいて、片手剣を壁に立て掛ける。脱ぎ散らかした鎧を、ローブを畳み、それを剣の横においておく。適当な服で十分だろう、わざわざ武装して防具を着込む必要があるとは思えない。

 パンをかじり、部屋のなかで寝るガルムに生肉を投げる。ガルムの肉だけは数日おきに狩りに行かなくては、ただそんなに強いモンスターを狩る予定はない。強くて中級程度だろう、その程度なら武具防具は必要がない。


 扉がノックされ、トリスが扉を開ける。外にはアルフ翁が立っていて、柔和な笑みを浮かべながら、さてさてよく眠れたかな、と声を掛けてくる。寝袋だったので寝れたかどうかは察してくださいと言う他ないのだが、それでも笑って返しておく。さてさて、それでは軽くお話をしようか、と翁は家の中に入ってきて、椅子に腰を掛ける。その反対側にトリスと共に座り-不思議なことにこの家には椅子が4つあった-翁の話を聞こうと耳を傾ける。


 「何を話したっけな、確かここには共同の井戸がいくつかあると言ったところだっけか。井戸2つだ、昨日使ってもらった井戸は、生活用水に使ってくれ。洗濯であったり、体を洗ったり、近くに川と湖があって、干ばつの心配はない。だからと言って、そこまでじゃぶじゃぶとは使わないでくれ。その横にある井戸は、飲用に使ってくれないか。大した違いはないが、こちら側のほうがどちらかというと澄んでいる。まぁどうしてもというならば川から汲んできてくれても構わない、大変だがね。」

 「本当は、もう1つあったんだが淀んでしまってな、また掘り返そうとは考えているんだがどうも。村の北側と南側、畑の近くにも2つあるよ、質は悪いがね。さて、排泄物はまとめて肥溜めに入れてくれ、肥料に使う。あと、君たちに頼みたいのは、主に3つ。まずは畑を荒らすモンスターが、つまり私たちを襲うモンスターがいた場合排除してほしい。できる限りのことをしてくれ、最善を尽くしてほしい。その素材は、モノによっては、例えば肉だとか、必要があった場合毛皮だとか、それは村で分けることになるが、それ以外はそちらで保管してくれて構わない。」

 「次に肉であったり、山菜であったりの確保及び僕たちの護衛だ。その時は頼むから、肉を頼んだ量狩ってきてほしい。私たちが森の中に入って、必要な薬草であったり山菜であったり、森の恵みを採集するときは護衛としてついてきてほしい。頻度は高くないさ、本当に時折でいいんだ。」

 「最後に、畑の管理とこの家の管理だ。家は次も使う人がいるんだ、畑もそう。ただ、私たちの頼みで行動しているとき以外は、自由に行動してくれて構わない。私たちは君たちから管理費だとかそんなものを取ろうとは思っていない、前の3つの頼みを聞いてくれるのと引き換えだよ。家も畑も、住んでいない期間が長ければ長いほど荒れ果てて痛むんだ、住んでくれるのはありがたいよ。」


 さぁ、話はこれで終わりだ、質問はあるかい、と翁は言う。悪く言えばなれなれしい、よく言えば絡みやすい、そんな印象を受ける村長。そんな村長が統括する村だから、ここに住む人々はこういった明るい人が多いのだろうか。まだ彼らと話したことはないが、勝手な想像が膨らんでいく。それにしても、課せられた仕事はとても単純で、数少ない。畑に植える種だとか、方法だとかは聞けば教えてもらえる、分けて貰えるそうだ。畑を耕すのに必要な耕具はこの家にもうあるらしいし、足りないものは戸棚だとか、ベッドだとかだそうだ。ただ、それも今日の午後だけで作れるだろうと、それが得意な村人に頼んで共に作ってもらえるらしい。親切な村だ、それだけ村の防衛であったり、肉の調達であったり、森への採集ツアーであったりといったものは危険であったのか。それが簡単にはできないほど、この村は力がなかったのか。より安全なものを選ぶのが、確かに定石だ。だから、自分たちは本当に丁度いいタイミングだったのかもしれない。


 午前中に頼まれた仕事は、森で木を2本切り倒してくることと、肉の調達。それ以外は特に指定されていない、ただ畑を耕すには少々時間が足りない。故に、塩漬け肉を干し肉にする作業をしてから森に向かうことに。塩漬け肉の塊を、ナイフでさくりさくりと切っていく。1枚、2枚、3枚、それを反対側が透けないくらいに切り分けて、台所にあった木の板に敷き詰めていく。大きな板だ、1メートル四方の板に全部敷き詰めたところで、それを玄関の外に持っていき天日干しをする。できれば網をかけたいところだが、網はない。仕方がないのでそのまま壁に立てかけ、鎚が付かないように台を下にいれて浮かせる。このまま夕方まで待てば、乾いて干し肉になるだろう。別段盗まれもしないだろう、この村には子供の姿が見当たらない。本当はいるのかもしれないが、少なくとも幼児、乳児の声は聞こえない。過疎、そんな言葉が頭の中をよぎる。

 限界集落、高齢化、そんな教科書に書いてあったような単語を振り払い、トリスやガルム達と共に集落の木の壁を出る。壁から中に入ってきた村人から会釈され、会釈を返す。そのまま村の外に出れば、目の前には森があり、そこまで道が伸びていた。道と言っても、初めて訪れたあの村の裏手にあったような、人間が歩いて踏み固められたあぜ道に近いようなもの。その左右に畑が広がっていて、村人たちがそこで作業をしている。彼らに会釈をして、会釈を返され、挨拶をし、挨拶を返しつつ森に向かって歩いていく。長閑な光景が広がっている、全く血なまぐささとは無関係の、遥か昔の絵画で見たような風景が。澄み切った青空と、緑生い茂る森と、黄褐色と黄緑に埋もれた畑と、土色の道路のコントラスト。それを楽しみながら、土の香りを楽しみながら進んでいく。森までは数百メートルかそこら、北に向かって歩いていく。


 自分たちの畑だろう場所は、木の壁から歩いて100メートルもしないような場所にあった。確かに荒れていて、雑草が大量に生えている。ただ、それらを抜き取って耕せばすぐ使えそうだ、井戸もそこまで離れていない。畑を耕して、日々ゆっくりとした生活を送ることはできそうだ。そんなことを考えながら、畦道を進んでいく。

 眼前から流れてきた風が髪の毛の隙間を通り抜けて行って、さわさわと黒髪が揺れる。隣を歩く金の長髪は同じ風に揺らされていて、逆巻く程はいかず、さわさわと左右前後に揺れるだけ。服の端もそれに合わせて揺れて揺れて、周りには歩く音以外聞こえない。風が草原を揺らす音も、自分達の吐息も微かに聞こえているのかもしれない、ただ耳に残響するのは自分たちの足音だけ。踏みしめる土が、足の裏にその固さを伝えてくる。じりじりと体を日差しが焼き上げていって、ただ直火に晒されているような刺々しいものとは全く違う。木陰はなく、自分たちがむしろ影を作る側だ。目の前の森林は、風に揺らされることなく広がっていて、風向きも合わせてまるで自分たちを誘っているような、森林の味を錯覚する。

 青々とした空には雲がなく、キャンバスに青色と白の絵の具を混ぜてそのまま塗りたくったような、それでいて薄くグラデーションが掛かっている。それを見ているだけで、気分がすっと楽になる。この世界の何が好きかと問われたなら、この風景が好きだ、と答えるだろう。高層ビルがない、この風景が好きだ。雑踏に押しつぶされることのない、この風景が好きだ。機械に囲まれていない、この風景が好きだ。どこか懐かしいような、この風景が好きだ。教科書でしか見たことのないような、この風景が好きだ。淀み切った灰色ではない、この風景が好きだ。彩鮮やかな、生命の色に満ち溢れた、この風景が好きなんだ。

 それはこの世界に生まれ、この世界で成長した彼女たちにとっては普通の光景だろう。恐らく、そう答えたならば馬鹿を見る様な目付きで聞き返されることだろう、そんな普通なところが、と。ただ、地球で、人間が破壊し管理しきった日本で生まれ、その世界で成長した自分にとっては新鮮味溢れる色彩豊かな光景だ。だから、自分は胸を張って言えることだろう。この風景が好きなんだ、何よりも好きなんだ、と。



 森の入り口に足を踏み入れる。背の低い木々をかき分けるようにして、微妙に踏み均された獣道を歩いて奥へと進んでいく。今日はあくまで肉を一定量、袋1杯分のモンスターを狩ればいい。その後、適当な太さの木を2本切り倒せばいい。それ以上のことをする必要性はないから、そこまで深くに入らなくてもいい。

 ガルムとシェムに肉の調達を頼み、テンとトリスに茸の採集を頼む。自分は、木を切り倒す。そこまで太くなくていい、そうならば、森の中よりも森の外周が良い。それは外周ならば若い木が多いからで、外周ならば日の光を浴びやすく成長も早いからで、何より生えたばかりの木が多く密集していて1本や2本切ってもそこまで問題ないからだ。それは、この前材木を調達する必要があったときに習ったこの世界の摂理らしく、地球でどうなのかはわからない。ただ、それに倣って木を切れば切りやすいことは確かだ、切り倒した時に森の外側に向かって倒すことができるのだから、あとあとの回収が楽になるのだ。

 適当な太さの木を見繕い、ダークソードで切れ目を入れていく。ある程度切れ目を入れて、斧を当て易いように傷を広げていく。そうしたところで、家から持ってきた両手斧を持つ。右腕は全回復とは言えない故に、思い切り強く握ることはできないが、それでも両手が使えることは大きい。こつん、こつん、調子よく斧を叩きつけていく。

 その度に幹は揺れ、葉が空から降ってくる。それを気にせずに幹に斧を当てていれば、相当数叩きつけたところで幹は大きく悲鳴を上げ、倒れていく。土煙と埃を巻き上げて地面に倒れた幹、それを叩けばよくよく詰まった音がする。太さは直径20センチほど、高さは10メートルほどの木だ。これを運ぶのは恐らく大変だろうが、二往復程度そこまでの手間ではない。周りを見渡し、他に丁度いい木が無いか探し回る。小さな、生えたばかりの木を踏みつぶさないように、森の成長を阻害しないようにしながら探し回っていく。自分たちがこうやって切り倒しても、それを長く長く使うことができれば、その間に他の木が成長して、森は大きく育っていく。森の生育速度を越える速度で木を切り倒さなければいい、その為には家々を補修し回して使っていくことが重要だ。だから、家には誰かを住ませて痛ませないようにしなければならないそうだ。


 2本目の木を切り倒す。中々いい木が見当たらず、斧を振る両手が大分疲れてきたため、2本目を切り倒すのに時間がかかってしまった。動かしてこなかった右腕は早くも筋肉が張り、庇っていた左腕の筋肉も張っている。今日は良く伸ばして、しっかりと筋肉を揉んで明日に疲れを残さないようにしなくては。

 そんなことを考えながら、真新しい切り株に座って森から見える空を見上げていると、トリス達が帰ってきた。袋に茸や薬草をつめて満面の笑みを浮かべて帰ってくるトリス。それだけあれば、結構な期間過ごせるだろう。少ししてガルム達もやってきた。ガルムは口にヴィヴィッドラビットを3羽咥えていて、なかなか器用なものだ。シェムは自分を呼んで、奥にまだ死体があることを示している。シェムについていって、ホーンドスネークの死体を6匹ほど、ヴィヴィッドラビットの死体を1羽回収し、それを袋に入れて帰路へとつく。

 肉を村長に渡し、台車をもって森に戻る。トリス達に肉の解体を頼んでいるので、森に戻ってきたのは自分とガルムだけ。協力して木を村まで持っていく。時刻は昼すぎ、太陽は西に移動している。昼食をとって、ベッドを作らなくては。もう既に疲労を見せる体に苦笑をしながら、ガルムと共に歩いていく。

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