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<丁のケース・戌のケース>
かしゃり、かしゃり、かしゃり、かしゃり。足を進めても進めても、遥か遠くまでは進めない。目の前の光景は何時までも変わらずにいて、それでも気が付いていないだけで本当は変わっているのだろう。隣を歩く彼女も同じことを考えているのだろうか、握った左手からは体温と少しばかりの汗しか感じ取れない。いつも通り、普段通りの柔らかな力で、暖かく優しげに握られている。それを感じて、私は幸せな気分になる。
かしゃり、かしゃり、がしゃり、何か踏んでしまったのだろうか。どうせ、足の裏でコンクリートが砕けただとか硝子が砕けただとか、その程度だろう。特に気にする必要はない、もう慣れてしまった。足の裏で踏みつぶしたものが一体何なのか、それをわざわざ見なくても判別できるようになった私。コンクリートを踏んだのならば、硬く平坦な質感を悟らせてくれる。ガラスを踏んだのならば、硬くしかし鋭利で脆い質感を覚える。もしも土の塊を踏んだのならば足の裏で砕けていく感覚を味わうことができるし、他のものにしろそれぞれの感触があるのだ。それとは違う、もっと柔らかで儚げなものを踏んだ時は下を向くようにしている。たとえば、動植物、基本的に植物は見過ごすことはないが。それでも隠れている茸だとか、山菜だとか、そういったものは踏んでから気が付くということも多い。基本的に、多いのは動物だ。鼠、飛蝗、ゴキブリ、芋虫、そういったものは踏んでから気が付く。そうして、死んでいったそれらを見下ろして、遣る瀬無い気持ちになるのだ。ただ、もしもその中でまだ無事に生きているものがいれば、たとえば茸がまだ少しばかり残っていただとか、少し潰れた山菜だとか、まだ生きている無害そうな虫だとか、小動物だとか、回収していく。
そうやって食料を探して、食いつないでいかなければ生きていけない。この世界では、所詮自分たちは大きな大きな三角形の中の一部分にすぎない。そこまで強くない、決して弱いなんてことはないが、それでも三角形の頂点ではない。もっと上の存在がいる、熊だとか、狼の群れだとか、鷲の一種だとか、オオヤマネコだとか。そういった上位の存在からしてみれば、自分たちなんて弱弱しいものでしかない。数自体は非常に少ない、様々な理由が絡んで彼らの数が増えていないのだ。それは私たちにとって良いことであるし、私たちより弱い存在にとっても良いことだろうし、世界にとってもいいことだ。ただ、どちらにしろ彼らの脅威が無いというわけではない。
それでも生を実感していられるのは、なけなしの武装と、なけなしの勇気と、隠れる技術と、上位の存在の数が少ないという事実、そして幾ばくかの運の良さ。夜は行動しない、狭く安全そうな場所に隠れて過ごす。武器を手から離すことはできないし、ぐっすり熟睡できるのは我が家でのみ。それも仮初の熟睡、もしも非常事態になれば素早く起床しそれに備える日々。こうして外を歩くときは、必ず隠れる場所を先に決めてから進むようにしている、それがルールなのだから。もしもそれができないときは、日が落ちる前に必死に探すしかない。決して日が暮れてからは移動したりしない、上位の存在達の時間なのだから。そこで動かなければ、次の朝を迎えられる可能性はぐっと高まってくる。それ以外にも気を付けていることはある、例えば、同族に気をつけるだとか、武器はしっかりと整備しておくだとか。そうして初めて、やっとこの世界で生きることができる。
遠くで何かが破裂する音がした気がする。少しばかり私の右手が汗ばみ、彼女の左手も汗ばむ。自分が左手に持つ武器に記された文字列を思い出す、彼女が右手に持つ武器に記された文字列を思い出す、前者はかつて世界中の人々に扱われた傑作自動拳銃を作成した超大国のメーカー、後者は今自分が立つこの大陸において最も有名であった銃器製造会社。どちらが販売した拳銃も非常に質が良く、評判は良かったことだろう。今私たちがもっているのは、往年のそれらを模した紛い物だ。それでも、性能は問題ない、殺傷能力は秘めている。
背中を擦る自動小銃の感触を触覚で確かめ、安心する。これも世界で最も売れていたらしい、どこにでもあって、どこででも使われていた整備が簡単な銃器の複製品。ただ、だからといってこれも弱弱しいということはなく、十分実用性のあるもの。それぞれの弾もまだまだある、ある程度の数ならば、ある程度の大きさならばどうにかできるだろう。紛い物だけれども、複製品だけれども、私たちにとっては大事な大事な、生命を保護してくれる大切な武器。これらが今私たちの手元にあるのは、遠く東のほうから流れてきているからだというが、実際のところはどうなのだろうか。私たちには関係ない、使うことができれば、命を守ることができればいいのだから。
交差点に辿り着いた、ここは目印となる3つ目の地。自分たちが住む隠れ家から歩いて数キロメートルのところにある目印のうちの1つ。だいたい、自分たちの隠れ家を中心として1キロごと程度に目印を設置してある。たとえば隠れ家から歩いて約1キロ東にある腕の捥げた聖母像、たとえば聖母像から歩いて約1キロ北にある崩れかけた風車、そこから東に1キロばかり進めば今自分たちのいる交差点に辿り着く。目印の数は10以上、だからといって30も50もあるわけではない。目印になるものが何もない場所なんかもあるのだから、決していかないような場所、いけないような場所もあるのだから。
地図の目印には様々な意味がある。今自分がいる交差点は周りに1つ小さな池があるため、魚を捕る、およびその周りに生えている草木を採集することができるとても有益で重要な土地。一体何がこの地にあったのだろうか、半ば風化したアスファルトが交差する場所。傾いて色もなくなった信号機の残骸が立っていたり、転がっていたり、微かに残る横断歩道の絵が物寂しい。そして交差点の北側には池。何かが爆発したのだろうか、アスファルトが深くえぐられ、そこにどこからか流れてくる川の水がたまることで維持されている池。魚がそこを活発に泳ぎ回り、池のそばには3本ほどリンゴの木が立っていて、その周りには雑草が生えている。池からはまた川がどこかへと流れている、ここが自分たちの北限。これ以上先に進んでも戻ってくることは難しいだろう、地図はここで途切れているのだから。故に地図上のこの土地には境界を表す記号と、魚と果物を表す記号が描かれている。食料の絵がかかれた場所にはこのように食料があり、境界は活動限界を表している。それ以外にも、林の記号であったり、髑髏の記号であったり様々だ。地図は布に描かれ、縮尺も位置も大まかで詳細はわからない、必要がないということもある。歩いていれば大体覚えられるのだから。本家本元の地図は隠れ家に大きく張り出されている、これはわずかに残った布に炭を使って転写されたものだ。
この後は西に少しばかり移動して野に繁茂する野菜を採りにいく予定だ。頭のなかで地図が思い起こされる、この“恵みの交差点”から西に少しばかりの位置に描かれた“南からのジャガイモ畑”、そしてそのまた西に描かれた髑髏の印まで。隠れ家から北西にある“賢人の毒人参”、南に1キロ歩けば辿り着く“万里先から見える青い旗”、他にもいくつかある、行ってはいけない地図の場所を示す髑髏の記号。そこはあの時から何年も、何十年もたっているのに未だ危険が残っている場所。“南からのジャガイモ畑”の西にあるのは“破裂しそうなヒンデンブルク”だったと記憶している。隣を歩く彼女に質問してみれば、肯定が帰ってきた。“破裂しそうなヒンデンブルク”、ヒンデンブルクが何を意味するのかわからないが、どうせ他のものと同じように昔のモノをベースにしているのだろう。その実は半壊した家の跡地と、その中央に突き刺さった大きな不発弾だ。不発弾は遥か昔からあり、またその周りには何が原因か毒のある植物が繁茂している。故に危険な場所、別段行く必要性が無い場所。
いつから地図があるのか、そんなことはわからない。知りたいとも思わない、知る方法などないのだから。生まれた時点で隠れ家にあり、それを見て育ってきた。運のいいことに隠れ家には書物もあったので読み書きはできる、故に地図を読み違えることもない。恐らく、別の集落の人々と会話することもできるだろう。時折やってくる行商人とは言葉は通じるし、南の果てにある隠された洞穴の奥、外界との繋がりに行くことのできる人々はこの言語で通じると言っているのだから。
池に仕掛けた罠を引き上げる。彼女は1つ1つ籠を持ち上げて、中に入っている魚を確認して頷いている。私のほうには何も入っていない、少しばかり残念な気分になる、彼女がこちらに微笑みかけてくる。優しい顔、すっとした顔立ちで目鼻立ちもしっかりしている。美しい、可愛い、特に突出してそうだとはいえないが、書物などで見る絵と比べてもそん色がないようにも思える。惚れているからだろうか、首筋の傷が痛々しい。
喋れないということはどれだけ辛いことなのだろう、声を出そうとするとかすれた音しかでないということはどれだけ辛いことなのだろう。私にはわからない、私は喋ることができる、それでも、彼女は私にとって大切な人だ。
籠を回収しきり、捕った魚を入れた大籠を背中に担ぐ。池の水で手を洗い、彼女と手を繋いで西に西に。ジャガイモはどれだけ取れるかわからないが、彼女に背負わせるのは少々辛いだろう。ジャガイモ、自分たちにとって重要な食糧源だ、田んぼなんて管理できないから小麦などを育てることは難しい。故に小さな小さな実であろうと私たちには欠かせない。昔はもっと大きかったと書物にはあったが、隠れ家に住む者でそれを知っている人はいない。それこそ2代前の長ならば……
考え事をしながら歩いていると、袖を強く引かれる。彼女の顔を見て、そして遠くを指さす切迫した彼女に気が付いて、全身を低くして物陰に急いで隠れる。青白い顔、手は震えている。背中に背負った籠をおろし、私は彼女の肩を抱く。弱弱しい、すぐにでも壊れてしまいそうな少女。その背中をさすりつつ、遠くを見つめる。
前方、つまり進行方向上には巨大な獣がいた。数百メートル先をのしのしと歩くそれは恐らく私よりもはるかに大きいだろう。立ち上がった状態ならば自分2人分の大きさはあるであろうここら最大の敵、熊。雑食で、それでいてどちらかというと肉を好む。思わず左手に持つ拳銃を離し、腰に下げた小銃に手を当て、そして引き抜く。彼女の背中を撫でていた手を離し、小銃を両手でしっかりと持つ。遠い、今撃ったとしても当たらないし、発砲音で向こうにこちらがいることをばらしてしまうだろう。向こうが気付かずに去ってくれれば御の字だが、こちらにゆっくり歩いてきている。
両手がかたかたと震える、もしかするとここで終わりかもしれない。小銃なんて意味がないかもしれない、狼やヤマネコ、人間ならばまだしも熊では。先に私の肩が壊れてしまうかもしれない。それでも生き延びなければ、ここで私たちが死んでしまっては困る人も出てくる。食料は3班に分かれて探しにいっているとはいえ、どうだろうか。
のしり、のしり、一歩一歩の音がこちらにまで聞こえてきそうな気がして。小銃の持ち手が汗でぬるぬるとしてくる。撃てるだろうか、いくら練習はしたとはいえ、小銃なんて実戦で撃ったことはない。拳銃ならば何度もあるが、そもそもの反動からして、狙いの定め方からして違うのだから。膝が笑ってくる。
刹那、熊の左方から人間ほどの大きさの機械が飛び出してきた。それは上半身は4本腕の人型で、下半身は多脚式の機械で、熊に殴り掛かる。熊はそれを威嚇し、立ち上がり片手で払う。弾き飛ばされる機械の片腕、残りの3本で熊を攻撃していく。目の前で起こる非現実的な光景、そうして1分もたったころだろうか。多脚式の機械は腕を2本失い、足も1本失っていた。しかしながら、熊のほうは地面に沈み動くことはなかった。
機械はそのまま熊の右方のほうに進んでいき、残されたのは熊の死体と私たち。彼女が私の肩を叩き、やっと我に返る。これは運が良い、熊の死体なんて久々だ、気持ちはすっきりとするし、食料が手に入る喜びで胸がいっぱいになる、豪華な食事に胸が高鳴る。あの機械に感謝しなくては、欧州と呼ばれるこの大陸を襲った大戦争の忘れ物、機兵人形と呼ばれる全自動式の機械。今では捨てられた結果放浪するだけとなっているが、誰かがそれを修理しているらしい。狙うものは前方にいる大型肉食動物。運が悪ければ人も襲われる、そんな狂った機械。
今回は安全だった、今回はあれのお陰で助かった、ありがとう、そしてその矛先がこちらに向くことがないことを……




