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神の声!素晴らしい力!ステータス!モンスター!なんて素晴らしい!
「ついに俺もトリップかぁぁぁ!」
話はしばらく前に遡る。
突然意識を失い、目覚めたら道の上。周りを見れば森、森、森、どう考えても日本じゃない。どこだここは、異世界?よくある転生ものかな?
周りを見渡して、状況整理をしよう。多分モンスターとかいるんじゃないか。いっぱいいっぱい読んだネット小説とか、ゲームとかのよくある転生もの。夢に見てたんだ、もしそうなら嬉しくて嬉しくて。
「やっぱり異世界だ。周りにはどう見ても街とか見えないし、植物はみたことないし、暑いし。」
腕をふりふり、体をストレッチ。寝転がっていたからか体が痛いよう、肘膝背骨を伸ばし伸ばし、ぼきぼき音が鳴る。アキレス腱を伸ばしたり、屈伸伸脚いちにっさん。
まずは体を柔らかくして、そのあとは少し体を動かそう。きっとスーパーパワーが備わっているはず。
ジャンプ!ダッシュ!バク転!体の調子は上々、問題点は無し。動かない場所はない、それどころか体が軽い。ただ残念ながら別に凄まじく体が動く、何十メートルもジャンプできたり、周りの風景を置いてけるほど速く走れたりはしなかった。
チートパワーなんてないのかな、ちょっと木を軽く殴りつけてみようか、引っこ抜いてみようか。
「このくらいが手頃かな?」
体より少しだけ細い木を前に、力を貯める。呼吸をととのえ、ボクシングのようなポーズ。シッシッシッ、思わず口から息が漏れて、ぴょんぴょん跳ねながら木に狙いを定める。気分はボクサー、ヘビー級チャンピオン、さぁ、頭の中でシミュレーションはできてる。パンチ一発幹は凹み、そしてぎしぎし倒れてく、そこまで想像できてる。
呼吸を1回2回、ゆっくり息を吸っていく。そうして丁度いいタイミングで思い切り腰を回す。点きだす拳とは逆の腕を思い切り引き、空手のイメージを混ぜた右ストレート!
どすん、びきびき、そんな音がして右手に走る痛み。痛い、拳を戻し、ふーふーと息を吹きかけながら見る。真っ赤になっていく拳、所々すりむけ血が滲み始め、じんじんと痛みが走っている。木のほうをみれば、少しばかり凹んだような、とりあえず右こぶしが痛い。
「なんでえ?痛いよお。」
思わず涙が零れちゃう、だって悔しいんだもん、痛いんだもん。最強の力とかそういうのはないの?なんで?僕は最強になったんじゃないの?痛いよう、救急箱は?病院は、救急車呼ばなきゃ。
ごろごろ地面を転げまわって痛みをごまかして、延々と泣きべそをかき続ける。だって本当に痛い、遊んでいるわけでもないのに。そんなことを考えていたら、どこからか声が聞こえてきた気がして。
≪我は貴様らを呼びし者、便宜上神と呼んでくれて構わない≫
んん?耳を澄ませる、何だろう……
そうして今に戻る。右こぶしは今でも痛くて痛くて、でも何かきっといい世界だってことはわかった。よくわからないけれど、きっと僕は恵まれてるんだろう。今まで読んできた小説ならここで盗賊に襲われる姫様とか、彼女候補ちゃんが来るはずなんだ!
「きゃあー!」
遠くで声が上がる、ほら、やっぱりそうだ!ここで僕が助ければ、恩が売れてお金もらえて、ゆくゆくはその子と・・・・・・
かわいい子かな?きっと少しだけ魔法が使えて、僕に教えてくれたりするんだ。学校に通っていて、本当はお姫様で僕と一緒に学校にいくのでもいいなぁ。執事として雇いましょう、そこから始まる禁断の恋!もしかすると奴隷かもしれない、それを助ける僕。新たなご主人様になるんだけど、解放してあげて感謝されるんだ。ありがとうご主人様、大好きです、言われてみたい!もしかしたら、盗賊に襲われている商人の娘、彼女だけ助かって僕のヒロインに?
これは確実に僕の物語が始まる合図だね、運が良い。いや、主人公だからきっと決まっていたことだ。最強剣士の僕、魔法も使えて、周りには及ぶ者はいない孤高の男な僕。周りには慕う女の子がいて、僕は毎日モテモテ生活!夢にまで見ていた生活だ。僕は走り出す、声の聞こえるほうにダッシュダッシュダッシュ!!!
速い速い、やっぱ僕は最強だ!前はこんなにはやくなかったもん、めちゃめちゃ強くなったんだ!もう拳は痛くないし、どんどん声のほうに近づいているのかな?遠くに馬車が見える、道の途中で止まっていて、周りには人が見える様な。あれが僕の敵か、お姫様、僕の大切なヒロインちゃん待っててね!
「こらああああああ、何をしてるんだ!やめろおおおお!」
大声を上げて駆け寄っていくと、人影は怯えて逃げ出してしまった。此の僕の強さは遠目でもわかるのか、オーラとかかな?ただ残念、華麗に盗賊を撃退する王子様になろうと思ったのに。それでもこの声は彼女には聞こえてるだろう、馬車にのったお嬢様待っててね。僕が本気を出せばちょちょいのちょい、すぐに惚れさせてあげるさ!
馬車まで200メートルばかり、馬車はぼろぼろで、馬の姿なんて見えてない。転がってるのは死体かな?見たことはないけれど、ちょっと怖いけれど、そんなの気にすることもないだろうさ。お嬢様は怯えてしまっているだろう、ここでそんなのに動じない、冷静で歴戦の勇者っぷりをアピールすればイチコロさ!
「誰か……いますか?」
おどおどと声を掛ける少年がいた。道には馬車が転がっていて、そしてそれは半壊していた。御者台には弓が突き刺さり、そこに倒れ伏す男はピクリとも動かない。仰向けに蹲ったその男は首から上がなく、少し離れた位置に転がっていた。その横には馬が1頭倒れ伏している。2本の脚には切り傷があり、首筋は大きく裂かれていた。馬車自体にも数本矢がささり、ドアは半開きになりきいきいと音を立てていた。中からは物音ひとつせず、周りにも物音はドアが軋む音と風が吹く音以外何も存在していなかった。
少年はそこから少しばかり離れた場所に居た。おおよそ20メートルかそこら、既に死体は確実に見えているであろう場所。頭が転がっている、馬が倒れピクリともしない、流石にそれが何かはりかいできる年頃の少年だった。齢はおおよそ15程、まだまだ第二次性徴の序盤から中盤程度の少年、先ほどまでは威勢よく声を張り上げていたその姿も、今は腰がひけて膝は笑っていた。
「誰か、いま……せんか?」
それでも少年は勇気を振り絞ったのだろうか、ゆっくりと片足ずつ歩みを進めていった。もしかすると、恐怖に怯え下がることもできなくなったのかもしれなかった。もしかすると、僅かばかりの希望、ご都合主義と言われるだろうその思考に縋ったのかもしれなかった。
ただ、どちらにしろ亀の歩みと同程度の速度では、牛歩よりも遅いのではないかと思われる速度では、20メートルなんていつまでたっても近づいてこないように見えた。へっぴり腰と言うのも良い表現に聞こえるほど畏縮し震えた姿は恐らく見る者の笑いを誘うこと必至だった、時と場所が整えられていれば。
それでも、いくばくかの時間を掛けたところで少年は馬車までたどり着いた。転がる首を見て、思い切り胃液を地面に散らし、足は完全に止まってしまった。それでも、またしばらくの時間をもってゆっくりと馬車に近づいていった。ぎいぎいと未だ音を立てる馬車の扉に向かって、後ろを、御者台と馬の死体を気にしながら。まるでそれが今にでも動き出すのではないかと思っているように見えるほど恐怖に苛まされているように見えた。
ぎいぎいと鳴る扉に少年は手を掛け、ゆっくりと開いていった。そこから立ち上る臭気に少年は顔をそむけ、また地面に少しばかり黄色の液体を零していった。顔面は蒼白となり、顎の付け根は合わず、全身には鳥肌が立っていた。
「誰か……いませんか?……いますよね?……ねえ、誰か……いま……すよ……ね?」
少年は震える喉から音を振り絞り、半ば渇き掠れた声で馬車に呼びかけつつもう一度扉を開いていった。そうして、暗い馬車の中に顔を突っ込んでいった。
それからどのくらいの時間が経っただろうか、1分か、10秒か、10分か、1秒か、そうして後少年は叫び声をあげながら思い切り後ろに倒れ込んだ。先ほど零した液体が少年の黒い学生服の尻に染みを作ったけれども、少年にはそれを知覚することはできなかった。それを感じるよりも早く、少年の学生服の股間はびっしょりと濡れていった。周りにアンモニア臭が漂い、血と吐瀉物と排泄物とそのほかの液体の臭いと混ざり、恐らくは生ごみを堆肥にする過程を遥かに超える臭気が少年の鼻を襲い、ことごとく凌辱していった。
蒼白だった少年の顔は白くなり、血の気がみられないほどにまでなっていった。腰が抜けたように後ろに向かって座り込んでいた少年の、つっかえ棒替わりにしていた腕が折れ、そのまま少年は支えを失った人形の如く仰向けに地面に倒れた。ごつりと地面と頭蓋骨が打ちあう音がして、それでも少年は頭を抑えることはなかった。
あまりの事実に放心してしまったのか、脳が考えることを拒否したのか、少年の目は淀み焦点が合っていなかった。しかし、意識はあることは口から時折漏れ出る呻き声から明らかだった。まるで陸に上がった魚の如く、その少しばかり開いた口からはひっきりなしに息が吐きだされ、そして口に吸いこまれていった。
太陽は変わらずに少年の肌を焼き続け、風は少年の髪の毛を揺らしていた。同じように、馬の死体にも太陽は射し続け、風は馬車の扉を鳴らしていた。生きていようと死んでいようと、この世界にとっては大差なかった。様々な物に公平に物を与え続ける、それがこの世界の歪められた本来のルールであった。
それから少しばかり、おおよそ生暖かく濡れた股間が冷えてくる頃。少年はゆっくりと立ち上がった。異臭放つその場所に立ち上がり、周りを見渡して、その足を動かし始めた。膝は笑っていて、身体には金属の軸が入っているようには見えず、ふらふらと覚束ない足取りだった。おそらく砂浜であったとしたならば、その足跡は直線ではなく曲線、それも正弦曲線に似たような形を描くことは請け合いだった。その目には光は見えず、先ほどまで大きく夢に満ち溢れ開かれていた目蓋は弱弱しく垂れ、目を小さくしていた。首すら乳児かと見間違えるほどくらりくらりと揺れていて、力なく腕が垂れていた。
口からは呼気と途切れ途切れの声が漏れていて、喘いでいるようにも聞こえた。それでも、少年は牛歩の如き足取りを止めることはなかった。ただただ自分が走ってきた方向とは真逆に歩いて行った。決して振り返ることはなく、背後にある馬車を顧みることはなかった。ただただ無気力に、前に、前に進んでいるように見えた。
壊れた馬車の御者台の前に転がる頭、決して二度と動くことはなく、動物に啄まれるか食われるか、風化を待つか、誰か通りがかりの者に葬られるのを待ち続ける頭。二度と動くことはない水晶体に写っていたのは、道を歩いていく少年の後姿と、遥か遠くに見える街のようなものだけだった。




