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久々に夢を見ている。これが夢だと理解しているのは慣れたからだろうか。平原の中央に立っている自分、周りには何もない。遥か遠くに森と、山が見えているだけ、それ以外は一面の平原だ。薄緑色の草を風が撫で、さわさわを揺れているのが見える。音が聴こえていないのは夢だからだろうか、光景だけを目で楽しんでいる。体は自由に動かすことはできなく、首から上だけが動かせているのが、これは自分の意思なのだろうか。空はすっきりと晴れていて、しかし視界の果てには分厚い雲が見えている。風はどちらに吹いているのだろうか、雲の動きと草の揺れ方は真逆で、それでいて体は何も感じない。触覚も、聴覚も、嗅覚も、恐らくは味覚も狂っている。
ふと気が付く、自分の右横に小さな赤い楕円体のようなものがいつの間にか草に隠れていて。あゝ、ここまでの日々、一番最初からずっとついてきてくれているそれを撫でようとして、そのまま抱き上げる。ほのかな温かみ、たぷたぷとした触感、何故これだけを感じるのだろうか。
ふと気が付く、自分の右肩に羽をもった骸骨がいつのまにか座っていて。嗚呼、ここまでの日々、骨だけのころから受肉した今まで、自分の肩をずっと占有してきたそれに微笑みかけようとして、頬擦りをされる。肩に感じる重み、頬に感じる冷たさと少しばかりの痛み、何故これだけを感じるのだろうか。
ふと気が付く、自分の右横に小さな黒い狼がいつの間にか寄り添っていて。ああ、ここまでの日々、共に生きるようになってきてから一番危険に晒し続けてきたそれの喉を擽ろうとして、鼻づらを腹に押し当てられる。体に接した部分から感じる温かみ、腹への少しばかりの圧迫感、何故これだけを感じるのだろうか。
ふと気が付く、自分の少しばかり後ろ、左側に金髪の少女が立っていて。ああ、ここまでの日々、何時の間にか大切な存在になっていた人、傲慢な自分の我儘についてきてくれた人の腰を抱こうとして、差し伸べた手を優しくからめとられる。掌に感じる柔らかみ、微かな甘い香り、何故これだけを感じるのだろうか。
ふと気が付く、自分の目の前には学生服姿の茶髪の少女。その右隣には学生服姿の黒髪の少年、左隣にも学生服姿の黒髪の少年が。限りなく遠い故郷から来たであろう旅人達、自分と同じ世界に生きることとなり、死ぬこととなる同郷の来訪者達。動揺し恐怖し怯えている姿を必死に隠そうとした少女、その死をもって世界を理解するための標としてくれた少年、必ずやこの世界に生きた、生きるであろう小さなころからの親友。彼らに声を掛けようとして、親友はゆっくりと自分の肩を叩きながら背後に立ち去っていく。体は動くはずもなく、去っていく彼の姿を見ているだけ、目の前では死した同級生が少しばかりの笑みと共にゆっくりと薄くなっていく。そうしてそれが消え去ったとき、笑みを浮かべた少女はこちらにお辞儀をして、親友と同じように背後に立ち去っていく。
ふと気が付く、自分は荒れた荒野に立っていることに。平原だったはずのそこは枯れた草が生える荒野、ただ周りは山に囲まれている。背後は見えないが、視界の左右の端には何か高い建造物が見えている。自分が立っている場所付近のみが荒れていて、50メートルもせずに背の低い低い雑草が少しばかり生えはじめ、遠くでは平原となっている。自分の左手を握るのは傷1つ無い顔を晒す金髪の少女、腕の中には小さな赤く暖かな楕円体、右肩には羽を開いて首筋に手を回す骸骨、右足にぴたりとくっ付いている小さな黒い毛並みの良い狼。何故かもう会えないような気がして、何故か哀しくなって、頬を涙が伝ったような気がして……
自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。目を開け、未だに耳に残る自分の名前の残響を味わおうとして、それが残響ではなく生の音であることに気が付く。半ば微睡の中だった意識は揺り起こされ、左手を支えにして一気に体を起こす。少しばかり右手に痛みが走っている、昨晩無理な姿勢をしてしまったのか、無理に動かしたからなのか、どちらにしても負担がかかったのだろう。自分を起こした彼女の頭を一撫でして起き上がる。疲れた、目蓋が重い、妙に天窓から差す光が強いように感じてしまう。まだまだ寝不足なのか、今は何時頃なのか。未だそこまで強くない光、それから察するにまだ朝だろうか。
トリスに聞くと、7時前くらいだろうとの答えが出た。狭い狭いベッドにゆっくりと腰かけるように体を動かし、右手の包帯を解いていく。どれくらいすれば治癒するのだろうか、何時まで吊るしていなければならないのだろうか。腹が切れた時は1週間、あれは臓器に近いということやそれ以外にもいくつかの理由があってそれだけの時間がかかった。今回はしっかりと腕の骨が折れている、治癒するまでの時間は日本のそれ、しかも最高水準の治療とほぼ同じかそれに劣る程度の回復速度だろうが、1週間以上はかかってしまうだろうか。傷が深いとはいえ切り傷と骨折では重度がけた違いだ。今は怪我をしてから8日目だろうか、あまり時間を深く気にしていないのだ。そろそろ骨がつながり始めた頃だろうか、傷口にどろどろと液体を垂らしていく。右手は瘡蓋がはがれたものの、何かいけなかったのか、気付かぬうちに日に当たっていたのだろうか、少しばかりケロイドになっている。ピンクの少しばかり盛り上がった皮膚が縦横無尽に肌色のキャンバスに蜘蛛の巣を描いている様は気色が悪い。それでいて触るとふにふにとしていて、それがまた嫌悪感を煽るような。いつかは慣れるのだろうか、ゆっくりと包帯を巻いていく。
トリスはその金髪を紐で後ろに纏めていて、肩より少しばかり長いそれはポニーテールと言うには随分と高い位置に束ねられている。ほどよく見えるうなじが綺麗で、青白い肌と澄んだ目の色が良いグラデーションになっている。
扉を開けて入ってくるのはユカ、昨晩購入した部屋着、貫頭衣を身に着けてぺたりぺたりと歩いてくる。昨晩の格好とは違うのは、着替えたからか。荷物が無い分今回のそれは特に問題がなかったのだろう、羨ましことだ。こちらはこれからどうなるのか考えるだけで鬱屈するのだから。それでも、やらなければならない。自分は、トリスは、そして手伝いと称するユカはその重い腰をゆっくりと上げていって……
結論から言うならば、想定よりも酷いものとなった。シンシアに住む全ての人々に、いやこの大陸全土の人族に甚大な被害を与える結果となったものとなったのだ、今回の変革は。膨れ上がり積み重なった大量の荷物は嵩張り重くなり、それでもはちきれないところが流石人類最北の砦であろうか。しかしながら、昨晩の地震によって骨組みに歪みが出て、所々壁が剥離したり罅割れたり砕けたり、荷物の重みで陥没したり逆に突出したり。結果として非常に弱弱しいものとなってしまった。
荷物を何とか何度も何度もシンシア砦の外に持ち運んだ自分たち、当然他の冒険者も、シンシアに住む人々も同じようなことをしていて。それ以外には彼らを守るために目を光らせる衛兵や、怯える女子供の姿も見受けられた。
荷物の見張りをユカに任せ、荷物を運び出し終えた頃。シンシアに住む重役たちが手を大きく叩き、声を張り上げ自分たちの注意を集めた。焦っていたのだろう、髪の毛や髭は整っているとはいえず、会議をしていたのだろう、目の下には隈ができ疲れを見せていた。彼らは息を吸い、まるで嫌なことを話さなければならないかのように肩を落とし、誰かに説明を任せたいかのように棒読みで語った。
「残念な話、というべきか。昨晩の地震はあまりにも想定外なことだった。そうだ、封印が解かれたのだ、そうだ、また大いなる変化が我らを襲ったのだ。今回のそれは想像を絶していた、これからどうすべきか。アイテムボックスが使えなくなる、想像したこともなかっただろう。荷台に乗せて運ぶか、それとも背負って進むか、あまりにも難儀なものよ。」
「まあ、それは大きな問題ではない。静粛にしてくれ、確かに問題ではあるが、もっと大きなものがあるのだよ。より緊急性の高い、悪いニュースだ。シンシア砦はご存じのように昨晩の地震で歪んでしまった、凹んでしまった、はがれた壁もあれば、沈んだ床板もある。大小さまざまな被害が出ていることは知っているし、想像するにたやすい。ああ、静粛に。大工たちに先ほどまで精査をさせていたが、結果が出た。」
「シンシア砦は防衛拠点としての機能を果たすことは難しくなっている。現在のままでは危険すぎる、今でもなんとかある程度の機能は見込めるだろうが、詳細は控えるが防衛装置についても被害がでているのだ。つまり、補修計画を立て補修工事を行う。いや、シンシア砦を改築、改造、建て直す。」
爺たちは酷く沈痛そうな、面倒そうな、哀しげな顔をこちらに向けて話していた。周りにいた大量の荒くれ者たちもその言葉に声を上げることを止め、俯き涙を堪える者もいた。補修計画、建て直し、つまりはシンシアの機能が著しく低下する若しくは全く機能を発揮できなくなるということだろうと感じた。それがどれだけの意味を持つのか、モンスターの襲撃があってはどうするつもりなのだろうかと考えた。
その後詳しく説明がされた。シンシア砦において機能を維持する場所は、数少なく幾つかに限られることとなる。まずは防衛装置のいくつか、これは当然だろう。そうしなければ砦の意味は、人族最北の砦の称号は無意味な看板になってしまう。次に、砦の中央施設、つまりは役所、政府、そんなもの。それが無くてはどうしようもない、またそこは堅牢に創ってあったのでそこまで問題は発生しなかったそうだ。また、鍛冶屋の内のいくつか、彼らが持っている大きな工房。様々な作業が見込まれるため、それを活動させなければどうしようもないそうだ。最後にギルド、周りの危険の排除、素材の収集を担うそれが休むわけにはいかないだろう。
そして、修復中の自分たちの住処はシンシア砦南部の開けた場所となる。東西の森林をある程度切り開き、長屋形式の家々を建てていく予定で、それを作る人材、それを守る人材が数多く募集されていた。当然給料は少ないが、人々の住処、心の拠り所のために人々は全力を賭そうと決意した。ボランティアといっても過言ではない活動に大量に応募が来たらしい。
自分はそれに参加はしないが、ある程度の手伝いは行うつもりだ。食料採集であるとか、武器防具の為の素材集めとかがそうだ。
結局説明が終わったのは1時間もしたころで、その時点になると冒険者たちも諦め疲れた顔をしていた。それでも終わった後すぐに森林に長屋用の材木を探しにいったり、何か使える素材はないかと探しにいったり、食料を探しにいったりに足を動かしていった。自分も食料を探した、ハーブ系、肉系、果物系、木の皮、きのこ、虫、それこそ食べたことのないようなものから、大好物まで適当に大量に集めたのだ。
そうして晩飯はカレーとなる、カレーと言っても煮た結果その色になっただけで、中身は少しばかり塩と胡椒の強いこげ茶色の液体となっていた。それでも食えたもので、ライ麦パンを浸しながら食べた。
今は夜、灯りのない場所では星が本当に沢山見える。ユカは感動し、トリスは考え事をしている。自分は自分たち用の場所で(席取りは大変だった)ゆったりと体を延ばし、夜空を見上げる。夏の大三角形、それによくにた星を、星座を見つけて笑う。こんなことするなんて考えてもみなかったと、ユカも笑う、これだけ星が綺麗だなんて全く知らなかった、人生無駄にしてたわと。
双月はこちらを無機質に照らしている……




