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或る世界の軌跡  作者: 蘚鱗苔
11 新たなシシン
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 次の日、こちらから見て3つ目の小屋、つまりはシンシアから1つ目の小屋をめざし歩き続ける。別段、このままシンシアまで歩き続けてもいいのだが、体力的な面や時間的な面が少しばかり心許ない。行きは故に途中の小屋で休んだのだ、沼地に辿り着いて足が疲れているだとか、周りが闇に包まれかけているということでは不安だったから。そこまで自分に自信があるわけではない、死と隣り合わせなのだから安全牌をとっていくべきだろう。そんなことを考えていたのだ、だから、帰り道ではそんなことは必要ないのかもしれない。それでも、目標を小屋までと決めたのは別の理由からだ。

 少女、名前は由香というらしい、それのことを考慮したからだ。ユカには、一日歩き続けなんてことは苦しいだろう、慣れない場所で、慣れない気候で、歩くことに適さない格好では。茶髪を揺らしながら、今は自分たちと会話を交わしている。


 今朝、日の出とともに目覚め体を拭ったりなんなりと所用を済ませ朝食を作っていると彼女が目覚めてきた。寝る時間が早かったからだろうか、それとも飯の匂いに誘われたのだろうか、それとも自分たちがうるさかったのだろうか。学生服を揺らしながら、不機嫌そうな顔を隠すこともなくこちらに歩いてきた。全く、夢じゃなかったのね、そう告げる目元は落ち込んでいて、隈ができていた。何か酷く疲れたようで、少しばかり腫れているように見えるのは泣いたからか。寝たことで物事を整理できたのだろうか、傍目からすればそう見えた。それでも、少しばかり不安なのだろうか昨晩の態度はわずかに残るばかりで弱弱しい少女がそこにいた。

 スープを渡し、ライ麦パンを渡す。初めて食べるであろうそれに驚き、硬さに少しばかり辟易しているようにみえたが、それでも腹の中に入れていく彼女を見つめた。化粧は取れ掛かっていて、つけ睫毛はどうしたのだろうか、もう姿はなかった。一通り無言の食事を終わらせた後、ユカは小花を摘みに、体を拭いに、顔を洗いに出かけていった。トリスがついていき、自分は一人残された。思うところは少しばかりあるけれども、思ったよりも冷静な彼女。そういえば、外にはガルム達もいただろう、どんな反応をしたのだろうか、そんなことを考えながら後片付けをしていった。思い返してみれば、それはまるで家政夫のようで、日本にいたころの自分とは著しくかけ離れていた。だからといって、それを思い出してみても別段何と思うことはない、それほどまでにこの世界に染まったのだろうか、自分が変化したのだろうか。


 トリスと共に戻ってきたユカは、化粧が全て落とされていた。化粧が取れたユカは今までの印象とは違い弱弱しく、ごくごく普通の大人しげな少女のような、薄幸の美少女といって想像するような儚さも兼ね備えているおぼろげな存在になっていた。まるで化粧と一緒に本人の礎になっていた価値観というものが落とされたかのような、それは日本という場所でのみ効果を発揮した特殊能力だったのだろう、それ故にここではただの少女にしかなれなくなってしまったのだ。ただ、それを見て少しばかり羨ましいとも思った。そこにあったのは描かれた絵を、ペンキを、絵の具をこそぎ落として純白に戻ったキャンパスであって、それはこれからの可能性を示唆していた。自分はそこまで綺麗に削ぎ落とすことはできなかっただろう、こちらに視線を向けている怯えたような少女が眩しく、神々しいものに見えた。

 小屋をでて、シンシアの前の小屋に向かっていく道すがら、一番最初に行ったのは自己紹介だった。まずは自分のことを、どこの学校に通っていたのか、いつからこの世界にいるのか、今まで何をしてきたか、そしてトリスとどうやって出会ったか。トリスも同じように自己紹介を、しかしながらこちらのことはあまり話さなかった。それはそうだろう、右も左もわからない女子にそんな話をしても、意味がないことなのだから。そうしたあとで、ぺたりぺたりと歩きながら、ユカは自分のことを吐きだしていった。親が不仲だったこと、父親は浮気がちで、母親はそれにいつも不満を抱いていたこと。親の不仲が原因で、弟が始終苛々とするようになったこと、自分は弟にあたられ、両親からの応対も素っ気なかったこと。そうしてそれがストレスになっていたこと、それの反動が今の化粧であったり、そういったことに繋がっていること。何故彼女はここまで自分たちに話してくれたのかわからないが、関を切ったように話す彼女は何か追い詰められているように見えた。つまりは、彼女は追い詰められたのではないのだろうか。この世界からしてみたら異物、彼女からみたらここは何もしらない、何も助けもない場所。背水の陣と笑えるならば兎も角も、いきなり梯子を外されたような、翼を捥がれ上空から叩き落されたような、彼女にしても精神はあまり強くなかったのだろう。だから、縋れるものに縋るためになりふり構っていられなくなった、ここでいえば自分だろう。同じ世界からの異物、しかも見たことのある顔、それならば弱音が漏れても仕方ない、自分もそうしていたのかもしれないのだから。ただ、自分にはそんな存在がいなかった、自分はそこまで弱くなかったのだろうか。


 ユカはほかにも様々なことを話していった。まるで体の中に溜まった鬱憤や毒素を全てぶちまけるように、苛々ともやもやを全てぶちまけるように。たとえば、彼女は学校で何をしていた、誰と付き合っていた、誰と何をした、そういった上から下まで。生々しく、恐らく日本でなら心の奥底にしまっていたようなものをためらいもせずにべらべらとばら撒いていった。その姿がまたも弱弱しく見えて、心の中の全てをばら撒いていて、そして酷く弱弱しくちっぽけに見えた。隣のクラスの誰と付き合っていたとか、先日ふられたばかりだとか、ストーカーがいるとか、友達関係が少し上手くいってないとか、先輩陰気に見えましたよとか、なんで私がこんな世界にとか。自分には酷くどうでもいい、昔ならば興味を持てた内容が今はどうでもよく思えて、ついつい空返事になりかけてしまった。しかし、その合間にふと入った、トリスさんってかわいいですね、仲良さそうな夫婦に見えますよ、そういった言葉だけは自分を愉快にさせて、扱いやすいものだなと自嘲した。

 そうして、ユカの口が疲れてきたころ。もう十分、言葉の端から力が抜けて行って、疲れが言葉尻に見えてきたころ、やっとこさ本題に入る。異世界で生きた少女、姿は美しく、それでいて儚げな少女、それが生きるには少々難しい世界の話を。自分たちがいる大陸の話、自分たちがいる国の話、自分たちが向かう都市の話。周りには何があるか、何がいるか。この世界には何が存在していて、どんなシステムなのか。


 「ゲームは、やったことあるか?RPGとか、そういった古い時代のゲームを。」

 「聞いたことだけは、あります。」

 「敬語は、もうやめていい。さきも敬語じゃなかっただろう?付け足すようにする必要はないさ、関係ないよこの世界では。それに、ユカは先の姿勢のほうがユカらしいかもしれない。」

 「そう、かな。じゃあこれで。」

 「ああ、そっちのほうがいい。まぁ、この世界はそういう世界だ。モンスター、そう呼ばれる化け物どもが跋扈していて、人はそれと生存競争をしている。」

 「それを殺して生活を?」


 トリスが会話に参加する。金の髪を風になびかせながら、ガルムの背中を片手で撫でて、もう片手でテンを抱きかかえながら。


 「別に、そういうわけじゃないわ。ただ、そうしたほうが金は手に入る。勿論、そんな危険な賭けしなくとも生活できる金は働けば稼げる。」

 「モンスターって、その狼だったり、柔らかそうな赤いのだったり、肩にのってるようなのだよ、ね?」

 「そうだ、他にも種類はいるさ。そしてモンスターは強い、殺すのが大変なほどに、命の危険を感じるほどに。」

 「だから、殺すのは基本的に冒険者と呼ばれる職業の人々か、騎士団か、その国家の軍か。それ以外の人は、都市の中で生産しているわ。」

 「ユカは……戦うなんて怖い。」


 少女は肩を抱き、さも苦しそうに言う。それはそうだろう、今まで戦闘なんてものは遠く離れた地での昔の御伽噺に過ぎなかっただろうから。そして、戦闘なんてものは酷く取り返しのつかないものだと習ってきただろうから。


 「別に、冒険者にならずとも働き手はあるだろうさ。探せばいい、手伝ってやれるさ、そのくらい。」

 「お願い、します。」

 「質問はないか?他に、例えばこの世界での化粧だとか。」


 けらけらと笑いながら、まるで今の空気を破壊するようにわざと茶化す。それを聞いた少女は少しばかり頬を赤らめ、


 「化粧はどうでもいい。もうだって意味ないもん。ただ、国?都市?よくわからないんだけど、なんで軍が全てをやらないの?どうなってるの?みんな仲がいいの?それが疑問、だって、日本みたいにここは安全に見えない。」

 「ああ、それは俺も疑問に思っていたさ。ただご生憎様、この世界は平和じゃない。」

 「別に、この世界の国が皆仲がいいなんてことはないわ。この前も、戦争が東のほうで起こっていたし、西のほうでは別大陸より異文化が侵略しにきたじゃない。そういったことに軍は必死で、それに数なんて少ないのよ。アスカ達の世界はもっと発展していたっていうから違うのかもしれないけれど、モンスター程度にいちいち出張るほど軍はすぐに移動できるものではないし、他の国とはあまり仲たがいはしたくないもの。だってそれこそモンスターがいるのだから。」

 「つまり、どういう意味……?」

 「要約するならば、ここには車も電車も飛行機もないから軍を輸送する手立てがないから動きたくない。モンスターがただでさえいるのだからあまり国同士で国力の削りあいはしたくない。国家国家なんていっているけれど、政府なんて飾りだし、基本的には都市が自治をもっている。ほら、アメリカ合衆国の19世紀20世紀の在り方さ。」

 「なんとなく理解した、よくわからないけれど。


 少女は顔を傾けながら、ぺたりぺたりと進んでいく。あまりにも多い情報量、まだここから宗教の話であったり、通貨であったり、文化であったり、色々話す事柄は山積みなのだ。ただ、戦闘がきらい、冒険者にはならない、そうならばそういったシステムの説明はしなくてもいいだろう。あまりに歪な、あまりに不自然な、説明のし辛いことがらを説明せずに済んでほっと胸をなでおろす。あまり自分が知っている細部まで話すことは不味いだろうし、彼女はただただ享受しているようではいけない。シンシアに働き口はあるはずだ、そこで働いているうちに色々探せばいい。

 そんなことを考えながら、小屋へと近づいていく。

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