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幹から思い切り角を引き抜き、地面に転がしたあとのその体を蹴り飛ばし、全く動かないことに舌打ちを。まるで護謨のクッションに蹴りをいれたような、大した手ごたえも感じ取れないその事実に苛々が募る。暖簾に腕押し、そういった言葉が頭に浮かぶような、意味は適切だろうか。
少しばかり爪先が痛い、力強くやり過ぎたのだろうか、それともまた別の何かか。あまりにも大きな巨体、それを仰向けにしたく思い切り転がすようにして動かそうとする。ガルムが死体の脇腹に鼻を突っ込むようにして転がそうとし、自分も肩を使って押し出すように。それでもほとんど動かず、だらけきってぬめついた、触り心地の良くない皮が作業を阻害する。何度も押しても意味はなく、ただただ疲労がたまっていくだけ。
ふとトリスが声を掛けてくる。後ろを振り向いてそちらを見れば、両手で重そうに石を持っている。大きな石、まるで頭一個分あるような。それをガイアライノの死体の横に置いて、どこからか持ってきた太い木の棒を手渡してくる。嗚呼、そういえばそんな方法もあった。すっかり忘れていた、そんなことがあるのは少し考えればわかっただろうに。それだけ視野が狭まっているのか、てこの原理を忘れているとは。石を支柱代わりにして、自分は木の棒をてこがわりに使う。トリスとテンとガルムは胴体を下から押し転がすように、シェムは角をもって引っ張ろうとしている。
ぐいぐいと、言葉と勢いと息を合わせ思い切り押していく。何回も、何回も、まるでゆするようにして力をかけていく。そうして数分がたった頃だろうか、やっとこさガイアライノの肢体が転がっていく、大きな音をたてて。まるで地面が揺れたのではないかと錯覚するほどの重量感、トリスにしても、誰にしても泥だらけ。どちらにしろ、これからもっと汚れるのだから問題ないだろう。少しばかり左手を伸ばすと、肘あたりで固まっていたのだろう泥がぱりぱりと剥がれ落ちていく。爪を見れば泥がこびり付き、泥水がしみた背中も服も酷く気持ちが悪い。今晩は水浴びは期待できないというのに。
血を吸った解体用ナイフを首筋の傷跡に差し込んでいく。当然ながら、深くにするすると入り込んでいくなんてことはない。はじめは薄皮を割くようにして傷を広げ、筋肉の切れ目のところに深く深く刃を差しこんでいく。そして、筋肉の流れにそって刃を腹を抜けて股間に向けて流していく。骨をできるだけ避けるように、それでいて筋肉の流れから外れないようにして。川はブヨブヨとしている上に、筋肉が固くやりにくいことこの上ない。しかし、やらなければならない必要な仕事なのだ。股間まで裂いていく、左手で無理矢理ナイフをふるっている都合上、左手が返り血でだぶだぶと赤々染まっていく。そして外部生殖器のあたりまで刃を進ませたところで手をとめ、自分は頭骨を切り離す作業に入ることにする。両手で肋骨をこじ開けるようにして内臓を取り出すのはトリスに任せた、自分では片手が使えないし、時間もかかるからだ。
今度は先ほどと真逆の方向へ、喉を通るようにして下唇というべきであろう場所に向かって刃を動かしていく。喉元は柔らかく、下顎も柔らかい。骨は逆にナイフの刃がとまるほど硬いのでこちら側は作業がやりやすい。次に、もう一度刃を首筋に差しこみ、首を切り落とせるように首の周りに刃を入れていく。1周したところで、角を掴んで首筋を引っこ抜くように引っ張る。まだまだ骨周りの筋肉はとれていないどころか、完全に他の場所も切れていないため引っこ抜けないがそれでも傷口は広がり、そこから血液が流れ出す。動脈は切ってしまったのだろうか、露出した傷口に思い切りナイフをいれる。少しばかり見えていた白い何かは骨、それとそれの間、頸椎の隙間に刃を入れてその間と周りを保護していた筋肉を切断していく。それをゆっくりと慎重に1周すれば、ガイアライノの頭はごとりと落ちる。このまま持って帰ってもいい、角は剥ぎ取るのが大変そうだろうから。あんなにも固く太い角では、ナイフを使う自分のほうが壊れてしまう。
そうして、頭をアイテムボックスに仕舞ったところでトリスのほうを見る。真紅の腕を死体から引っこ抜き、そして手にもった大量の臓物を死体の周りの草むらにぶちまけていく。まるで箪笥を必死に漁る登校直前の学生のイメージのようで、小さい子供が癇癪を起こして玩具を投げ捨てていくようだった。服も赤く染まり、腕は肘過ぎまで。頭を突っ込むようにして作業していたトリスの髪の毛は所々赤色に染まっている。こちらを対とみる、顔も赤く染まり、まるで顔全体に紅をさしたような。金髪に赤は良く映える、そんな馬鹿げた感想も浮かんでくる。どこかにシャワーが欲しい、彼女のあの姿をみたからには。
感謝を告げて、その位置を変わる。水筒と布、それを取り出して彼女に渡す。今の状況ではさぞ気持ち悪かろう、故に水で流してくれと。そうして自分は死体の前に蹲る。左手に掲げたナイフで首筋の腱を、骨と骨との繋がりを断ち切り、まるで鯵の干物の如く開いていく。地面がまた振動するような、内臓を取り除いたとはいえ、骨と肉だけでもここまで重いとは。そうしてざくりざくりと、まずは前足から肉と骨を皮から剥がしていく。必要な骨は剥ぎ取り、それ以外は肉と共に袋に入れていく。皮はまたできるだけ断ち切らないようにして綺麗に綺麗に、それを目標に剥がしていく。皮だけでも結構な重さと厚み、そうか、これだけ柔軟かつ厚かったらば火魔法が減衰されることは仕方のないことだろう。所々乾いた泥が灰色の産毛すらもほぼ生えていない皮からぱらぱらと落ちていく。
そんな作業をしていれば当たり前、左手や顔はおろか、右腕の包帯や衣服にも血が飛び散っていく。いつの間にか肌についた血を洗い流したトリスの腕が動き、顔に飛散した血液を布で拭ってくれる。ふと見れば、トリスの顔は少しばかりまだ赤い。水が足りなかったのよ、腕だけを洗い流すので精一杯、顔は拭っただけ。そうか、もう少し水を渡したいところだけれども、帰り道の水分がなくなってしまう。どこかで入手すれば、最悪ここの沼で入手すれば、いや、汚いだろうここは。小川があっただろうか、あまり気にしていなかった。そういえば、あの小屋の近くに1つあっただろうか。ただ、それは最初の小屋のほう、やはり水は使えない。シンシアに戻るまで我慢してもらえないだろうか。
大体の解体を終え、周りに散らばった臓物を片付け始める。まあ、片付けるといってもまとめて燃やす程度の事しかできない。臓物を求めて集まってきたセンチピードの死体であったり、フォレストリザードの死体であったり、そういったものも一緒に一まとめに。そうしてできた大きめの死体と血の山にファイアを放つ。当然ながら、血という液体に濡れているために中々火の点きは悪く、結果4発もファイアが必要になってしまった。それでも、一度ついてしまえば肉の脂であったり、混ぜた枯葉であったり、そういったものを巻き込んで火は大きくなっていく。
しかしながら、火はもとの山よりも大きくなることはなく、他の木々に引火するなんてことはない。そうならないように、木々と地面との間に空間がある場所を選んだわけだし、小山の周りには枯葉であったり、枝であったり、雑草であったり、延焼してしまいかねないファクターはしっかりと排除してあるのだ。これで延焼してしまったら運が悪いということだけれども、水魔法があるから問題はない。
ぶすりぶすりと黒く焦げかけた小山が鳴いている、周りには鼻が曲がりそうな臭いが立ち込め、空に向かって灰色の煙が立ち上がっている。死したモンスターたちの最期の断末魔のように聞こえるけれども、かさりかさりと僅かな風に吹かれて灰が微量空に舞う。嗚呼、何も感じない。死したこれらといつかの彼の違いは知っているか知らないか、人か怪物か、構成しているであろう要素は同じだろうに、死という事実は同じだろうに。自分が殺したからか、それとも別の何かか。同じ燃やすという行為にも別段感慨はわかないものだ。
そんな事実に感慨を受けつつ、枝葉から覗く空を、そして煙が上っていく場所を見上げる。大分鼻も慣れてきた、この調子ならば周りに延焼するなんてことは暴風が吹かない限り問題ないだろう。安全に安全を重ね、より強固にした結果なので文句はない、むしろ文句があるはずもない。
そうやって空を見つめていた刹那、トリスが声を上げる。自分を呼ぶ声、ああと叫ぶ声、それと同時にガルムが唸り、トリスが自分の手を揺さぶる。何だ何だというような、折角佇んでいたというのにそれを阻害されていくばくか気分を害したような、仕方のなしに視線を下げる。地面に等しく下げてみるも、何も無し。しかしトリスが差すほうへ視線を向けて見れば、そこには人が倒れている。
はたして、先ほどはあんな場所に人が倒れているなんてことはなかった。沼とは反対側、自分たちが来た道に転がっている黒い人影。髪は長く、背中と地面にかぶさっていて、そして服も黒い。この世界では見たこともなかった不思議な貫頭衣、股まで素肌が丸見えで、これでは防御力もないことは請け合い。股の間には黒い布、足先には黒い靴、こちらに足の裏を見せるようにして、うつ伏せに倒れている。学生服、それまたセーラー服とでも言うべきだろうか、そんな恰好をした少女が倒れている。
トリスを置いて駆けより、肩を叩く。長い長い茶髪、少しばかりパーマがかかっているのだろうか。肩を叩いて声をかけても反応はなく、失礼をして体を仰向けに起こす。頬と服には少しばかり土がついていて、唇はほんのり赤く、頬や睫毛をみるに化粧は濃い。そんなことを考えられているのは、それだけ自分にまだ地球の知識が残っていたからだろうか、それとも動揺しているとうことの裏返しだろうか。顔をよく見れば、嗚呼、見たことがある。名前はなんといったっけ、どうしても思い出せないような、いや、知らなかった。クラスメイトではなく、1つ下の学年の少女、その中でも美しい部類に入る少女の顔だ。話したことはない、登下校路が同じ、しかも朝時間が被っているため幾度となく顔を見たからだ。しかし、どうしてこんな場所に、考えるまでもないか、しかし運が良い。こうやって、自分の目の前に出てきてくれれば説明もしやすく、後々楽だろう。
もう一度肩を叩く、応答はない。息は、している、胸は上下しているし、口から吐息が漏れているのだから。その慎まやかな胸部に手を当て、少しばかり掌を肋骨に押し当てる。柔らかな感触と金属の感触と共に、僅かばかりの鼓動が響いてくる。首筋か手首で脈をとればよかったということを思いつつも、少女を地面に寝かせる。仰向けでもうつ伏せでもなく、横向きに。片腕を枕に足を曲げ、回復体位と呼ばれている姿勢にして寝かせる。これならば吐瀉物で喉が詰まるなんてことはないし、舌が呼吸を阻害するなんてことはない。しばらく寝かせていれば目が覚めるだろうか、少しまって最悪小屋まで運んでしまおう。そんなことを考えつつも、同郷の者に出会えた幸せが心を支配していって、それでいて何となく面倒を抱え込んだような、そんな気がした。




