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トリスが下がる音が聴こえる、ガルムが前に出て威嚇をする声が聞こえる。肩にとまっていたはずのシェムは麻痺の煙を放ち、襤褸を纏った人の姿が掻き消える。慌てて立ち上がり、そちら側を凝視する。いつ何が来てもいいように、恐らくは麻痺の煙のせいで動きが止まっているだろうが、何が起きているかわからない。
背中が痛い、じくじくと痛む。何に殴られたのだろうか、何かに切られたのだろうか。背中に目があるわけではないのでどうなっているかわからないが、背中が熱を持っていることだけはわかる。一体なんだ、こいつはどこからでてきた、何者だ、何が目的だ。頭の中を一瞬で様々な思考が加速して飛び回る。疑問は腐るほど、数え切れないほどにあるが、しかしそれをいちいちゆっくりと考えている暇はない。かなぐり捨て、ごまかし、そして左手を煙にむける。
それがどこらへんにいるのか、黄色い煙の影響でよくわからない。しかしながら、大体の見当を付けるくらいはできる。そこに向けて飛んでいく火槍、自分が使うことのできる最大の攻撃力を持つであろう火魔法を叩き込む。同時にテンもフレイムランスを叩き込む、今出せる最高火力が黄色い煙の中に消えて行って、何かに当たったような爆発音が響く。どうやら直撃か、火槍が突き抜けた2つの穴を中心として、黄色い煙は拡散し薄まっていく。段々と消えていく煙、次第に何か奥にいるシルエットが見えてきて、思わず足が後退していく。
視界にうつる影は手に持つ武器をぐるぐると回している。ふらふらとこちらに向かって足を踏み出してきていて、どうみても麻痺しているようには見えない。一体なんだ、何故聞かない、疑問がまた脳内を支配していく。そして、それを考えないように、思考を放棄するように火槍を放ち続ける。テンからも、自分からも、2つの槍は確実に向こうに当たっているというのに、向こうは全く気にするそぶりも見せない。
距離としては2メートルもない、じりじりと近づいてくる。煙も消え去り、向こうの姿が露わになっている。後ろのトリスが行きを飲む、自分とて見たくはない。黒いズボンをはき、黒いマントを纏った人がこちらを見ている。フードによって顔は隠され、そしてそのフードは酷く長く覗き込むこともできない。向こうの顔が見えていないように、向こうもこちらを見えていないはずなのに楽々と捕捉をしてくる。まるですべて見えているかのように手に持つ武器が振り上げられ、こちらにむかって振り下ろされる。
慌てて避けるも、あまりの光景に唖然としていた自分の服の肩部分を掠っていく。そのまま横に振られては直撃を喰らうだろう、その隙を見て迷わず火槍を放つ。至近距離、顔を焼くような熱を感じ、フードがマントがはためいている。しかしながら、確実に脇腹に突き刺さったであろう火槍をものともせずに武器は右に切り上げられる。右手を使ったその隙のない、速さを伴った攻撃を避けることができずに右わき腹を強かと打ち付けられ、吹き飛ばされる。
いくら衝撃を和らげるためにこちらから吹き飛ばされたとはいえ、左肩から地面に叩きつけられたような痛みは無視はできない。それに脇腹、息はできないし、足は少しばかり萎える。
こちらを向くフード、そこに飛びかかっていくガルム。大きな図体でのしかかるように、腕で肩辺りを抑え、そのまま脳天に咬み付く。普通の人間ならばその時点で重傷は確実だし、そこから引きちぎるように顎を振り回されては生きても居まい。
しかしながら、それでも襤褸を纏った人は動く。まるで厄介な物を振り払うかのように左手でガルムを殴り、右手に持った武器でガルムの腹を殴打する。ガルムも想像できていなかったのだろうか、思わず顎を緩めて飛び退る。しかしながら、その牙はフードの一部に引っ掛かりそれを大きく裂いていく。
はためくフード、そこに突き刺さる火槍が2本。1本は顔に、1本は左脇腹に。右手を狙った黒球は残念ながら狙いを外れる。流石に顔面への直撃は衝撃を受けたのだろう、少しばかり顔面をのけぞらせ、そして火槍が消えていく。フードに引火したのか、マントにも引火したのか、全身を段々炎が覆っていく。皮膚を焼かれるなど想像を絶する痛みだというのに、こちらに向けて右手に持つ武器を振り回してくる。鉄でできているだろう、左右に緩やかな弧を描いた刃が付いたような両刃の鎌のような武器。それが地面に突き刺さり、そして地面を削っていく。あまりの痛みに悶えて暴れているのか、そうだとしたならばなんといい話だろうか。確実にこちらを狙ってきているので、どうにも避けるしかない。ガルムは向こうが燃えているため下手に近づけないし、テンとシェムは攻撃を続けてくれているものの大きなダメージがあるようには見えない。動きは多少ぶれるものの、それが止まるなんてことはない。まるで機械人形を衝撃で揺らしているような、確実に当てようとして来る攻撃を避けることで精いっぱいで反撃はできず。
頭上か降ってくる鎌の刃を右に移動することで避けて、引き抜いた手で今度は横凪にしてくる鎌を後ろに下がって避ける。そのまま突き出される鎌をもろに受けてしまい、反射的に体が丸まってしまう。止めを刺すように振り下ろされる鎌は、それを操る左手に当たった火槍でズラされ何とか避ける。自分が攻撃する暇がない。
しかし、段々と動き回ることで鎮火されてきたのか、火が収まりガルムがもう一度今度は後ろから飛びかかる。今度は白く覗く頭ではなく、胴体に対する飛びかかり。そのまま倒れ込んでしまえばいいのに、それでもそれはガルムを背負うようにして踏みとどまる。個体らを見つめる空虚な2つの穴、胸んも隙間から覗く赤い玉。体の節々には黒く焦げた布がまとわりつき、細い肢体を彩っている。
ガルムが飛びかかった衝撃を見逃さないように、鎌の刃が届かない近距離まで近づいていく。無事な左手を腹から胸に下から突っ込む。
「御嬢さんだったらごめんなさい。」
空虚な2つの穴を見つめ返し、左手で赤い玉を掴む。両肩に感じる痛み、ぐらぐらと体は揺らされ、両肩を握りしめられているということがわかる。目の前で顎は震え、がくがくと何も見えない虚空を生み出している。黒くすすけた場所も或る頬あたりを見つめ、赤い玉を強く握りしめる。固くて圧潰させることはできそうになく、思いっきり引き抜く。ただただ浮いていただけのように見えるのに、しかしながらまるで見えない鎖がついているかのような抵抗。それを引きちぎるようにして引き抜いていく。肩にかかる力が強くなり、骨が悲鳴を上げているように感じる。
そして、その赤い玉が腹から抜きだされた瞬間、目も目に居たはずのそれは音を立てて崩れていく。まるでワイヤーと紐を抜いた骨格標本のようにばらばらと地面に散らばっていく白い骨たち。に持っていたはずの赤い玉の感覚はなくなり、掌がびっしょりと濡れている。地面に水が滴る音が響き、先ほどまで骨が持っていたツルハシが地面に倒れる。
名も知らぬ骨との戦闘。服を着て武器を使う、火槍をものともしないモンスターとの戦闘。息を整えつつ全身を見る。怪我はなく、掠ったであろう肩の服は破れている。周りには焦げた匂いが立ち込め、脇腹と背中はジンジンと痛む。わき腹は打撲か、背中はどうだろうか。掴まれていたはずの両肩には5本の骨の跡がくっきりと残っていた。




