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それからどれだけの時が経過したのだろうか。自分にはわからないし、わかりたくもない。それが判明するのはこの坑道から出てきたときか、管理人が来た時だけだ。坑道からでるのは、鉱石が必要な量集まったときだし、管理人がくるのは、想定していた期間を過ぎてしまったときだけだ。自分がまだ行動にいるということは鉱石がまだ集まっていないということであるし、管理人が来ていないということはまだ日数が経っていないことを意味している。指定した日数は2日、つまりまだそんな時間は経過していないということ。この坑道に入って2回目の朝を迎えてはいないということだろう。最初の想定では1日で終わらせる予定であったが、それでも2日も経たずにそろったことは良いことなのだろうか。袋にはいっぱいの鈍色鉄鉱石、様々な鉱石が詰まった小袋もある。必要のない鉱石も採掘できたが、それはまとめて別の袋に入れて保管してある。工房に持っていって何か作ってもらうか、素材の足しにしてもらうか、それとも市場で売るか。どれにしても、ここに捨てていくなんて無駄な真似はしない。
精神は少しばかり沈んでいる。トリスにしても、自分にしても会話は無い。ガルムは自分たちの前を先導しているし、テンはトリスの腕の中、シェムは自分の肩の上。無言、決して会話が交わされることはない。不仲になった、喧嘩をした、そういうことではないのだ。こうやって酷く狭い、じめじめとした空間に居続けることがどれだけ苦痛だったことか。閉鎖的な場所、しかもほの暗い場所、それは気分を暗澹としたものに変化させていき、暗く湿った環状に変化させていくのだ。
それに加えて、ただただ金槌を振るうだけ、ただただ石を袋に入れていくだけ、何の変化も気分転換もない単調作業が精神を摩耗させていく。まるで意思のない機械に、指示を守るだけの機兵人形になったような感覚だった。
遥か昔、子供の頃は救国の士として名を馳せた新日本国第3機兵人形隊“新進”の武勇伝を読んで、映像で見て、心躍ったものだ。機兵人形ごっこではいつもどの部隊に属するか喧嘩をしたものだった。ただ、今考えて見れば自分はどれだけ滑稽な存在だったのかよくわかる。ごっこ遊びなど子供のよくある遊びだろうし、別段おかしな点があるわけでもない。英雄に憧れるのも子供ならではだろう。しかしながら、機兵人形にもしも感情があったならば、そしてそれが自分であったならば、狂っていたことだろう。採掘を続ける、選別作業を続ける、それらは敵の機械兵器を破壊することとは全く似ても似つかないような作業であることは確実だが、それでも単調な作業であるという点でいうならばよく似ている。根幹が似ている作業を繰り返したからこそ、自分が昔持っていた夢が少しばかり恥ずかしい。これは皆が皆経験することなのだろうか。これはごく普通のことなのだろうか。地球の大人は、父は、母は、教師は、こういった夢を持っていなかったのだろうか。今はもうそれを確かめる術はない。所詮子供の頃の夢物語、幼馴染の美少女と結婚するとか、異世界に転生して最強の力を手に入れるだとか、そういった荒唐無稽の御伽噺に過ぎないのだろうか。
ただ、この感情はトリスには当てはまらないのだろう。ただただ自分がこうやって落ち込んでいるだけで、トリスにはこんなことは関係なく、彼女の気分が沈む原因にはならない。彼女はまた別の事で少しばかり苛立っている。それは身体の汚れだ。当然、こんな場所に風呂なんてものはない。数少ない排泄は一度していたが、その後口を濯ぐことも贅沢にできずにイラついていた。トリスも汗はなんとなくかくのだ、泥も体に付着するだろう、それを落とすことができないというのがどれだけ辛いのか、それはよくわかる。自分もかなり不快ではあるが、トリスが感じているそれのほうが遥かに強いだろう。ただ、排泄が楽なのは少しばかり羨ましい。自分も中々大変なのだ、専用の袋も数はそんなに持っていないのだから。ここが森の中であれば別段問題はないのだが。
今は帰り道、坑道を歩いている。あと少しばかり歩けば出口は見えてくるだろう。そうすれば陽光の下に、すっきりとした世界に戻ることができるだろう。そして小屋の近くにあった井戸で体を軽く流し、そのあとシンシアまで戻ってしっかりと体を洗うのだ。時間はわからないが、体を洗うことに時間は関係がない。そうだ、今日は石鹸を使おうか。高級品なためできればそんなところに金を使わないよう普段は使わないが、ここまで汚れてしまったし、今まで使ったこともない筋肉を使ったのだ。多少筋肉痛は残っているし、多少の贅沢は許されるだろう。
狭く、足元があまりよく見えない道を歩いていく。あまり歩かずに、そして休まずにいた体はふら付き、多少の段差であっても躓いてしまいそうで。しっかりと下を確かめつつ、1歩を確実に運んでいく。嗚呼、疲れた。風呂に浸かりたい。暖かい湯につかり、筋肉を延ばしつつ酒を呷りたい。この世界だからこそできる行為だというのに、この世界だからこそできない行為。どうにかして湯船を確保できないものだろうか。
がたりと音がする。それは前方のガルムが意思を蹴飛ばした音で、少しばかり驚いてしまった。しかしながら、後ろからも音が聴こえたような気がする。洞窟故に音が反響しているのだろうか。トリスはガルムのほうを見て、そしてまた下を向くようにして進んでいく。やはり疲れているのだろう、やはり消耗しているのだろう。仕方のないことだ。自分ももう歩きたくない、動きたくない。
しかし、そろそろ出口が見えてくる。ああ、これでやっとこさ外に出られる。出口からこちらに伸びてくる光は目を刺し、久々の陽光の欠片は精神を、身体を温めていくような錯覚を感じさせる。この時点で十分に眩しいというのに、外にでたらどれだけ目が痛くなることだろうか。まるで引きこもりだな、と思う。
後ろからザリと音がする。ふとトリスがこちらを振り向く。そしてその驚愕に見開かれた目を見て、自分も思わず後ろを振り向こうとして……
背中を強い衝撃が襲う、思わず前に押し出され、バランスを崩し倒れ込む。強かに左手を打ちつけつつも、何とか吊るされていた右腕を庇うようにして左半身から転がっていく。そして後ろを見た自分の目に写っていたのは、ボロを纏った人……?




