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目を開く。まるで眠りから覚めたかのように、何時からかわからないほど自然に落ちて行った眠りから覚めた時のように。視界に広がるのは赤い空、雲がところどころ浮かんでいて、視界の端には双月が見える。そろそろ夜の帳が落ちるころ、自分は一体どれだけの時間眠っていた?
首を動かそうとして、初めて腕から伝わる激痛に気が付く。まるで今まで忘れていたかのように、なかったことにしていたかのように気が付かなかった。頬がぴくぴくと痙攣しているのがわかる、瞼に力が入るのがわかる。左手で右上腕部を抑え、強く強く握りしめる。口からは勝手に息と声が漏れ、足をばたばたと動かす。そうでもしなくては、狂ってしまいそうなほどの激痛。痛い、腕が痛い、腕が熱い、焼かれたように熱い。熱さのあまり痛くなっているかのような、本当は痛さのあまり熱く感じているだけだというのに。
視界の端にずっと座り込んでいたトリスが俺を抱きしめる。柔らかな体が、少しばかり冷えた体が心地よいが、動かされたことにより激痛が酷くなる。言葉にできない、うう、ああ、そういったうめき声だけが口内に反響する。ふと目を向ければ、外側に綺麗に曲がった右腕が垂れている。肘から下15センチほどのところでぼきりと曲がっている。血がだくだくと滝のように流れ出ていたであろう、傷口の周りには血の跡が見えている。今は少しばかり流れ出るばかりだが、それは上腕部できつくきつく縛られているから。しかしながら、骨は見えない。運が良いことに開放骨折せずに済んだのだろうか、今は肉の間にまた埋もれているだけなのだろうか。痛みが酷い。腕を掻き毟ってしまいたいような、こうまで痛いのならば引っこ抜いてしまいたいような。痛い、狂ってしまう、頭が真っ白になってしまう。本当に痛いんだ、わかってくれ。
トリスは回復魔法を使ってくれているのだろうか、目蓋が重い。重くて重くて、酷く眠いのだけれども、痛みが自分を寝かせてくれない。本当に狂ってしまう。少し動かすだけで、そこが脈動するような、思い切り机の角にぶつけたような痛みが走る。指を動かそうなんてもってのほかだ、できるだけ力を抜いて、動かないようにぷらぷらと地面に垂らすだけ。それでも痛い、消えてしまいたい。早く、この腕を引き抜いてくれ。なかったことにしてくれ、痛い、肩口から先が全て痛い。そちら側に力を入れるなんてとんでもない、本当に痛い。
記憶が飛んでいる、また一瞬眠ってしまったのか。空はもう少しばかり暗くなっている。まだ夜というわけではなく、ほんの少し暗くなっただけだ。痛みは相も変わらず、自分はトリスの膝枕に寝かされていて、正座では痛いだろう。ああ、狂う、痛い、くるくる。本当に、助けてくれ。我慢できない、いっそ殺せ、死にたくない、感染症が怖い、後遺症が怖い。腕を引っこ抜いてくれ、腕を直してくれ、早く、今すぐ、本当に痛いんだ。口から漏れ出るのは呻き声だけ、言葉にもならない。舌がまともに動いてくれないのだ、あまりの痛みに動かし方すら忘れてしまっているかのように。
「待ってて、今医者が来るわ。今回の襲撃は撃退できたらしいわよ。」
トリスが声を掛けてくる。そんなことはどうでもいいが、いや、同でもよくない、医者が来るというならば待とう。とりあえず、今はこの痛みがなくなってくれればそれでいい。
顔を少しばかり左右に動かす。周りにはモンスターの死体がごろごろと大量に転がっている。離れた場所では冒険者たちがそれぞれの健闘を祝っており、近くに3人の冒険者が座りこちらを心配そうに見ている。ああ、あの人たちがあの猿をどうにかしてくれたのか。感謝の言葉を告げようとも、痛みのあまり顔を顰め、呻き声ばかりが漏れ出るだけ。
「あり……がとう……」
なんとか感謝の言葉を告げると、別段問題ない、お前も良く頑張ったとの声を掛けてもらう。嬉しい、こちらも返答したいのだが、痛みがまた酷くなってくる。
医者が自分のもとに到着する。腕を触診し、なんとなくの目安をつけているようだ。痛い、触るだけで痛いのだ、触らないでもらえないだろうか。しかし、そうすると治療ができない。ジレンマにがんじがらめにされ、痛みで呻く。言葉が耳に入ってくる。しっかりと折れている、感染症の危険性があるからとりあえず水で洗っておく。治療方法は固定、それしかないという。伸ばして、骨と骨を上手く合わせたうえで固定、そして回復魔法を結構な頻度でかけるように、とのこと。幸い貴方には回復魔法を使用できる彼女さんがいるそうだから大丈夫でしょう、と笑って告げられる。笑えるような痛みではない、とん、と傷の周りを触られただけで発狂しそうになるほどの痛みが走るのだ。手慣れたように、数本の木の板で右腕を挟んでいく。その度に痛みが走る、医者が冒険者を呼ぶ。
自分の足を、腕を、3人の冒険者がそれぞれ抑え、トリスが体を抑える。何故そんなことを、そう思った瞬間に気が付く。やめろ、いやだ、いたいのはいやなんだ。
願いは天に届くことなく、非常ながら医者は治療を続ける。自分の右手を医者は右手で掴み、上腕を左手で掴む。いくよ、しっかり押さえておいてね、そういった言葉と共に治療が始まる。無理矢理腕を延ばし、ズレた部分を上手く直線にして固定する。言うことは簡単だが、やることは傷口を抉ることに等しい。激痛、頭の中が真っ赤に染まり、口からは絶叫が漏れる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
叫び声と共に、勝手に自分の腕と足が動き出す。ばたばたと、滅茶苦茶に、我武者羅に動き出す。痛い、痛い、必死に痛みを紛らわせようとするも、押さえつけられている故に何もできない。死ぬ、痛い、痛みで死んでしまう。やめろ、本当に痛い、いたいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい……




