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「お父さん、おかえり!」
「ああ、ただいま。」
私の帰りを待っていたのだろうか、娘の声が聞こえる。やはり我が家は良い、安い買い物ではなく、ローンも組む必要があったが買ってよかったと心から思う。こうして、仕事で疲れた体を癒せる場所は我が家とリゾート地くらいだろうか。リゾートなんてそうそういけるものじゃあない、当然お金という面でもいけないし、時間という面でもいけないからだ。だから、専ら仕事の疲れは家で癒している。
娘を抱き上げ、頬擦りをする。奥から妻が歩いてくる。
「あなたおかえりなさい、ごはん、できてるわよ。」
そろそろ30代に乗る頃の妻、それでも会ったときとあまり変わっていない。娘を産んでからの変化と言えば、少し小皺が増えたということだろうか。やはり子育てというものはかなりの疲労を与えるものなのだろう、それでも文句ひとつ言わずにそれをこなしてくれている彼女には感謝している。本当ならば、私も子育てを手伝ってあげたいと思っている。しかし、残念ながらそれは不可能なことだ。休みは日曜日のみ、そんな日さえも仕事という恋人とデートをしなければならない。故にあまり子供に構う時間がとれないのだ、本当は私だって娘と過ごしたいさ。しかしながら、この家を維持するための、妻と娘を生活させるための、家族を維持していくためにはお金がかかる、それ故仕事を袖にするわけにはいかないのだ。だから、妻には感謝をしている、それこそ言葉で表すものよりも大きな感謝を。
ネクタイを外し、スーツを脱ぐ。そのまま風呂に入ってしまいたいような欲求がむくむくと立ち上ってくる。それを抑えつつもジャージに着替え、そして食卓へ。今日は白身魚とエビのフライか、コンソメスープにバケット、サラダはイタリアンドレッシング。妻は料理が得意だ、もしかしたら私は彼女の顔や体、性格よりも料理の腕に惚れたのかもしれない、食事中にそう錯覚することが多々あるほどに。
トーストで焼き目を付けたバケットにバターを垂らす。ゆっくりと溶けていくそれを眺めながら、机の反対に座り感想を待つ妻に言葉を投げかける。
「今日は、本当に面倒だったさ。」
「朝の話?」
「ああ、他人の迷惑を考えない人も結構いるものだ。」
妻と話を交わす。娘はソファーに座って画面を見ている、幼児向けのアニメーション番組、ただ少し夜すぎやしないだろうか。そろそろ子供は寝るころだ、睡眠導入機なんてものはあまり使わせたくないのだ。いくら問題がないと皆が言っていたとしても、不安は拭えない。まずまず考えて、もともとは生物、特に人間なんて種は日が暮れたら皆寝ていただろうに。
妻に一言声を掛けて子供を寝かしつけに行ってもらう。子供は21時前には寝るべきだろう、7歳ならばば尚更だ。夜更かしは子供の体に毒しか与えないのだから。早寝早起きをして、しっかりと勉強をし、外で遊ぶ。前時代的な考えだと様々な人々に笑われるが、それが我が家の教育方針だ。睡眠学習機であったり、室内用肉体強壮機であったり様々な物が巷に転がっている。それを否定するつもりはないし、それを使っている子供を馬鹿にするつもりはない、ただ私はそれが嫌いだ。祖父が言っていた、しっかりと日の光を浴びて運動し、机に齧りついて勉強することが一番いい方法なのだと。現に私はそうやってやったほうが良い点数はとれたし、頭にすらすらと入ってきた。ああ、個人差はあるだろうが、私はそうだった。それに私と妻がまだ子供だった頃はそういった人々を室内に閉じ込め、僅かな睡眠時間さえも奪い去ってしまうようなものは市場に出回っていなかったのだ。確かに、最近の親は子供に勉強を教えるという作業を、寝かしつけるという作業を面倒くさがり機会に頼る人も増えてきている。しかし、それでも私たちのような人々も少なくはない。どちらが正解なんてものはないのだ。だから、私は子供が自らの意思で選択するようになるまでは私たちの方針に従ってもらおうと考えている。
妻が帰ってくる、今日は娘は早くに寝入ったようだ。もしかしたら、寝たふりをして何かしているかもしれないがそれは私たちが見つけた時に注意すればいい。基本的には自業自得、そういう言葉の意味を覚えさせたいので介入は控えるべきだ。
妻がこちらを見て、先ほどの話を掘り返す。私が働く会社からそう遠くない位置にある白壁、その中に関する話だ。ここ数日、あの壁を取り壊せという団体が小競り合いを繰り返し、それが原因で交通網に乱れが生じているのだ。原因は1枚の紙だったか、壁の向こうから来たとするその紙の内容が雑誌に取り上げられると共に団体が行動を始めた。恐らく彼らの利益に一致する場所があったためだろう、国が動くのも時間の問題だろうか。しかし、何故彼らは争うのだろうか。2つの団体、自然理想主義者を自称する団体と、虐げられし万物解放戦線、彼らの目指す目標は白壁の破壊というところなのに、そのあとの方向性から互いが互いから白壁を守っている。滑稽なことだが、本当に迷惑だ。人為的なものを破棄し自然性に頼ろうだの、社会の抑圧から自然を救済するだの遠くから見てはそこまで違いはないだろうにと思う。どちらにしても結局は社会に頼りきっているだけだというのに、そう笑う私を不思議な顔で見つめる妻。よくわからないけれど、あなたが言うならそうなのかもしれないわね、一通り私が愚痴った後軽く笑う。その笑顔が、私の疲れを癒してくれるのだ。
私はまだまだ少年の頃から成長していない、彼女に甘えっぱなしの子供だな。




