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少女は嗤う。無始曠劫の悠久の時を生きる巨大な力を目の前にして。
彼女の目に恐怖は伺えない。鎌首を擡げその舌を遥か空へと伸ばす、全ての生命を飲み込まんとしてきた大蛇を前にして。常人たれば失禁し、空虚な抜け殻へとその姿を変えてしまうほどの視線を浴びても尚少女の目には恐怖が浮かぶことはない。
しかしながら少女の目に感情がないというわけではない。否、断じて否、少女は感情のない兵器ではないのだから。
「大きな蛇さんっ。遊びましょ?」
少女は嗤う。彼女の目に溢れるは赤、紅、朱。生まれたばかりの赤子の色、夜明け空を青く染め上げる惑星の色、今まさに成型されんとする熱された金属の色。赤は生命、誕生、そういった始まりを司どる色。夕暮れの空の色、熟した果実の色、寂れた村の郵便ポストの色。赤は終焉、衰退、そういった終わりを司る色。
しかし今彼女の目を染め上げる赤はそのどれにも当てはまることはない。愉悦、快楽、色情、煽情、興奮、彼女にとって戦闘は何よりも心地よいもの。切り裂き、貫き、叩き潰し、己の血をまき散らし、他者の血を身に纏い、掻き混ぜ、混合し、撹拌することが彼女にとっての至高の贅沢なのだから。生命の象徴たりえる血、全ての生物に流れるそれに塗れること、彼女はそれで生を感じ、それに性を感じ、それを精と感じてきた。
万物の始まりと終わり、流転し循環するそれを司る色を感じ、そこに溺れるという行為は彼女にとって何にも勝る甘露。死を舌で嘗め回し、生を指で凌辱する為だけに半永久的な生を手に入れた少女。気狂い、人でなし、恐怖と畏敬など彼女にとっては些事でしかなかった。
「ほらほらっ、一緒に遊ぼう?楽しいよ?」
白銀に輝く鎧を脱ぎ捨て、下着を剥ぎ取り、彼女は生を謳歌する。成長の止まったその幼さ残る肉体を曝け出し嗤う。杖を投げ捨て、両手を大きく開く、まるで子供を包み込む聖母の如く。
悠久の時を生きながらえてきた蛇は思う。コレは一体何だと。長き時を生き、死を拒絶し、進化し、敵を蹂躙し、食い散らかし、封印されし古代の蛇は思う。
生まれた頃は小さな小さな蛇だった。そこらの草に簡単にその身を隠せるほどの体長、小さな動物さえも殺すことのできない矮小な牙。天敵に怯え、飢餓に怯え、自分を囲む世界の全てに怯えた幼少の頃。腐肉を食み、岩陰に隠れ、馬鹿にされ、蔑まれ、見逃されてきた日々。それでも必死に生きた。
そしてあるとき、自分が大きくなったことに気が付いた。いつの間にか新鮮な肉を食えた。いつの間にか岩陰に隠れきれなくなった。いつの間にか自分から逃げる存在が出てきた。ただそれでも自分は自然の中では醜く小さな存在であることを自覚し、必死に生きた。
死が怖かった。兄弟が飢餓で動かなくなったことに驚き、そしてその死体を食べ生き延びた。兄弟が天敵に襲われ啄まれている光景を見て、そしてそれを囮にして生き延びた。兄弟が自然に押しつぶされ、もがいている光景を見てもそれを見捨てて生き延びた。ただただ自分に確実に迫る死から逃れるためだけに生きた。
どれだけの日々が過ぎたのか。蛇に敵うものはいなくなった。巨大な体はどこにも隠すことができなくなった。巨大な体は飢餓から逃れることができなくなった。しかし蛇は隠れる必要も、飢餓に苦しむ必要もなかった。天敵であった動物は全て捕食対象になった。全てを襲うことで飢餓に苦しむことはなくなった。自然が彼を傷つけても、彼の生命を脅かすことができなかった。
いつの間にか蛇は略奪者となっていた。眼前を邪魔するものを悉く破壊し、滅亡せしめてきた。しかしある日彼は罠に落ちた。矮小な存在だと蔑んでいたちっぽけな人々に嵌められたのだ。それを最後に彼は姿を消した。封印魔術、暗き地の底に貶められ、彼は理解した。ただ理解してもそこから抜け出すことはできなかった。
それから幾年もの時が過ぎ去った。とうに時間間隔等なくなった蛇は暗き地の底で待ち続けた、封印が解けるその日を。そして今、彼は門をくぐりこの世界に帰還した。この怒り、いやこの渇き、どうして埋めてやろうかと意気込んだ。そんな彼の目の前に待ち構えていたのは少女。全裸になり、肉体をこちらに晒し、笑いかけてくる。
全てを殺し、三千世界に敵う者なしとまで自負した自分を前にこの女は何をしている。彼は戸惑った。しかし、彼には分っていた。彼に敵う者などいない、彼を止められるものなどいないということを。彼は嗤う、そんなちっぽけなものなど障壁にもならん、この世界を犯しつくしてやろうと。
「ふはぁ……最ッ高……」
少女の目は紅い、それこそ今すぐ蕩けてしまいそうに熱されている。大きな蛇に枝垂れかかり、全身でその血液を味わう。彼女の数十倍はあろうかという蛇はもう既に事切れ、二度と動くことはない。大きく裂かれた腹からは臓物と血液が溢れ出し、地面を穢す。その源に体を埋没させて悦ぶ少女。体を痙攣させ、そして優しく死骸の一部を抱きしめる。
「久しぶりよ……こんなに気持ちがよかったの。大好きっ♪あなたのその体、全部は無理だけど少しは取っておくねっ。」
少女は鎧を身に着け、そしてもう一度上から血液を被る。蛇の死骸から目と牙、鱗を数枚抜き取り、そして立ち去る。
蛇の死骸はそれから間もなく発火し、1時間程で灰に還って行った。
※注…大長老さんです




