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それからどれだけの時間が経ったのか。涙を流すことしかできず、息をすることさえも喉に引っ掛かる。嗚咽は止まらず、暖かな感触をただただ甘受するだけ。体の震えは収まらない、怖気は決して取れることはなく、歯の根が合わずに顎を鳴らす。口から出る音は言葉を成していなく、ただただ息に音が乗っているだけ。そんな自分を優しく抱きしめてくれる人、その感覚にただただ縋り、そしてまた涙する。
体から水分がなくなったのかと思うほど泣いた。既に膝を付き、地に手を付け、それでも泣き続けた。覆いかぶさるようになる優しい抱擁を受け入れ、恐怖を追い払う。彼女はどれだけの愛情を自分に与えてくれる?この世界においての母性、確かにそれを感じる。
何とか震える体を押して立ち上がる。目元を拭い、トリスの肩を借りる。恐らく目元は腫れあがり、顔は涙に濡れ酷い事になっているだろう、鏡がなくてよかった。
「大丈夫?落ち着いた?」
こちらを覗き込むようにして問うトリス、その顔には母性が溢れていて。いつの間に仮面を外したのか。
「あぁ、何とか、大丈夫だ。」
「じゃあ、これで顔を拭いて。酷いわ、でもよかった。壊れてしまうのかと。」
確かに壊れそうになっていた。改めて感じる死、自分が今までどれだけそれと隣り合わせに生きてきたのかを。紙一重で躱してきた死という結末を今やっと確認できた。心のどこかではゲームのようなものだと感じていたのだろう、それを知人の死という現実が直視させてくれた。ただ、それはあまりにも突然で、あまりにも重く、あまりにも鋭利で。突然降ってわいた研ぎ澄まされた牙に幻想に目を背けていた自分はバラバラに引き裂かれて。確信している、彼女が居なければ自分はここで終わっていたと。
死、所詮夢だとどこかで感じていた。さながら王道を往くRPGのように、死んだらどこかに復帰するのだと。さながらいつもの悪夢の如く、何か衝撃があって目覚めるのだと。どこかで読んだ話、海岸に咲く草花の1種の香りを嗅いだ男の話。魚になった夢を見て、そこで死ぬのだけれど、死をもって夢から逃れようとしても、結局死から逃れることはできなかった男の話。自分はそれよりもマシなのだろうか、魚になっていても現状を認識していて、それでいて逃げられないと知っているのだから。いや、対して変わらないのかもしれない。自覚していようとなかろうと、結局はそこに縛られ、囚われたままなのだから。
ふら付かなくなった足元を抑えつつ彼女と共に彼のもとへ。今度こそしっかりと正視できる。信也、お前が何かを成したのかも何もなしていないのかもわからないし、知る術はない。お前がどのような心境で目を覚ましたのかも知らないし、もしかしたら目も覚まさずに死んだのかもしれない。お前は恐怖で怯えていたのかもしれないし、好奇心に満ち溢れていたのかもしれない。今となっては自分には推測することしかできないが、それでもお前がここに未練を残していたことはわかる。
「だから、俺を呼んだんだろ?」
「寂しかっただろうな、1人で死ぬのは。」
「誰にも見つけてもらえず、ただただ腐敗を待つのみ。体はとうに齧られ、無事な部分は存在しない。」
「異世界で女の子とイチャイチャしながら敵と戦うんだって、言ってたもんな。」
「夢が叶ったというのに、泡沫と化したわけだ。さぞ口惜しかったことだろう。」
「さっきは醜態を晒したな、これでも、大変だったんだぜ?」
「あぁ、俺ができることはお前をこれ以上冒涜させないことだけ。」
「別れの言葉は一言、さよなら。」
≪ファイア≫
自分が最初に覚えた一番弱い魔法。それが彼の体をゆっくりと包んでいく。倒木が焼け、木が焼ける臭いと肉が焼ける臭いが混ざる。吐き気を催すような、それでも顔を背けたりはしない。これが夢であろうとなかろうと、現実であろうとなかろうと、彼はここに生きて、ここに死んだ。その事実は決して消えることはない。
火は骨を残して焼き続ける。周りに延焼することは許さない、全て水魔法で消し止める。それでも、彼の体が全て炭化するまで待つ。おおよそ1時間、目を一瞬たりとて離すことはない。
倒木が炭化し、彼の体が骨を見せながらもほぼ炭化したころ。そこに土を掛けていく。そのまま土葬にしなかったのは、掘り起こされることを防ぐため。自分にはこれくらいしかできないが、それでもこれだけはさせてほしい。
同郷の地からの知人の最期への、ささやかな手向けとして。




