我が儘な私
自分でも思うけど、私は我が儘だ。
自分のやりたいことは曲げないし、諦めたりしない
そんな我が儘な私にも、人生の春っていうのはやってくるらしい。
高校生になったある日、私は呼び出され告白された。
相手は同じクラスの男の子で割と話したりすることは多かった。けれど恋愛対象として見たことはなかったし、恋愛に興味すらなかった私はどうしようか悩んだ。悩むほど私は器量がいいわけでも文武どちらも優れてなどいなくて、むしろどうして私がと思った。
「僕と付き合ってほし――ください」
彼は顔を真っ赤にして、けれども私の顔をまっすぐに見たままそう言った。
僅かな逡巡をして出した答えは、
「友達からなら」
ありきたりな、そして先送りにするおもしろくも何ともない回答。なのに彼は嬉しそうに、
「ありがとう」
と微笑んだ。
感謝されるいわれはない、
でも頬が熱くなっていたから、多分、私は赤くなっていたかもしれなかった。
告白されてしばらく、私達の関係は特に変わったことがなかった。
家が逆で登下校は別々、彼は部活があって朝は早いし夜は遅い。同じ空間にいるのは授業と仲のいい顔触れで食べるお昼だけ。
「ねえ、ホントに付き合ってるの?」
その質問は今までも何回も訊かれている。返す言葉はもう決まっていた。
「付き合ってない。友達よ」
正面に座る彼は苦笑していたけれど、私は嘘は言ってない。これは彼も了承しているから何も言えないのだ。
私の友達はお節介な人ばかりだと最近思うようになった。
休日にみんなで集まって遊ぼうと呼び出されたのに、行ってみれば彼一人しかいなかった。
彼は困った顔で、
「用事ができたんだって」
どうやら男連中はドタキャンしたらしい。
溜め息を吐き出したタイミングで、私の携帯がなったので鞄から取り出すと、メールだった。
「どうしたの?」
「……来れないって」
「え……」
女連中までもがドタキャン。
最悪だった。
何となくそうじゃないかと思っていたけど、確信に変わった。メールの中身に「頑張って」とある。間違いなく彼とのことを指しているのは明白だ。苛立たしげに携帯をしまうと、彼は申し訳無さそうに私を見ていた。
「仕方ないから解散しようか」
「は?」
曲がりなりにも私を好きだと言ったクセに、二人で何かするという考えは浮かばないのか。
苛立っていた私は彼の手を掴むと引きずるように歩き出す。
「え、あの、ちょっと」
「私は誰かに踊らされるのは嫌いよ。だけど自分の時間を誰かに潰されるのはもっと嫌」
呼んだ本人達の都合でこっちのスケジュールをかき乱すのは許せない。彼と二人きりにしたいという見え透いた作戦は気に入らないけど、すぐに帰って時間を無駄にするより少しはマシ。
「じ、自分で歩けるよ」
「そう」
パッと掴んでいた手を離す。
先立って歩く私に追いつくと、彼は様子を窺うように問いかけてきた。
「どこ行くの?」
「決めてない」
「そっか、じゃあ映画とかは?」
「恋愛モノは嫌よ」
「なんで?」
あんな作り話を見て何がおもしろいの。訊こうとしたけどやっぱりやめた。
「まあ見たいのはそういうのじゃないし、違う映画だからいいかな?」
「……つまらなかったらご飯奢りよ」
笑顔で頷く彼に私は顔を背ける。
映画館まで歩く私達は人一人分の間を空けて歩く。知り合いにしては近く、恋人にしては遠い。
それが私達の距離だった。
映画を見てから数ヶ月が経ち、ある程度彼のことを知るくらいの付き合いをしてきた。
その中でわかったのは、空気を読めること、優しいこと、厄介事を背負い込むこと。
他にはモテる部類に入るようで、ファンとは言わないまでも試合を見にくる女の子がいるらしい。実際に私は試合を見に行ったことがないから、これは友達に聞いた程度の情報に過ぎない。
ともあれ関係は依然と変わらないし、変えようとも思っていない。彼から遊びの誘いがあれば遊びに行くけど、それは友達としてで他意はない。
「キスはしたの?」
「は?」
とある学校の帰り道で一緒に帰っていた友達に言われ、呆れた声が漏れた。
「だってあんた、彼と付き合ってるじゃん」
「いや、付き合ってないけど」
「デートしてるじゃん」
「遊んだだけよ」
友達は少し間を空けて、深い、それはもうマリアナ海溝くらい深いため息を吐き出した。
「あんた、サド?」
「え、なんで?」
「餌を目の前にぶら下げられた動物の行動を見てるみたいよ、あんた」
「意味わかんないし」
「とにかく、あんた、彼のこともう少し真剣に考えてやったら?」
そんなこと言われても私は恋愛なんてわからないもの。
「到着だね」
「……そうね」
友達に言われたことを実践しようとした私は、最初から後悔していた。
彼からの遊び――友達はデートというけど――の誘いで私達は遊園地に来ていた。
地元にそんなアトラクションパークがあるわけじゃないので、私達は電車に揺られて足を伸ばしたのだ。でも片道二時間。帰りも同じ時間電車に揺られるのを考えると、とてつもなくげんなりする。単語で表すなら憂鬱である。
「えっと、その……」
「何?」
鬱な気分を隠しもしないで答えたのだが、彼はどうも私をちらちら見ながら気にした風でもない。ただ顔が赤くなっている。
「今日は私服だよね」
「は? 当たり前じゃない」
こんなところに他にどんな服を着てくるのよ。
「私服姿、その、よく似合ってるよ」
「そ、そう……」
鼻の頭を掻きながら言われ、私は言葉に詰まった。服のことを褒められたことがないから、居心地の悪さを感じる。
「ていうか、じ、時間勿体ないから早く行くわよ」
つかつかと入場する私を彼は慌てて追いかけてきた。
正直に言うと遊園地なんて何年ぶりだろうというくらいご無沙汰だった私は、はしゃぎにはしゃいだ。ジェットコースターにフリーウォールといった絶叫系やお化け屋敷にミラーハウス。そのどれも面白かった。
ただ私に引き摺られて回った彼はちょっと、というかかなりげっそりしていた。
「部活やってるのにだらしないわね」
「ご、ごめん……」
冗談で言っているのに本気で申し訳なさそうにする彼に思わず笑ってしまう。買ってきたジュースを渡すと疲れた顔でなんとか笑顔を浮かべて受け取る。
「体力あるって聞いてたんだけど?」
「こういうのは体力関係ないと思うよ……」
「じゃ、次は何にしよっかなー」
「できれば落ち着いたものがいいんだけど」
「んー仕方ないなー」
それで選んだのは観覧車。結構大きいやつだから一周するまで時間がかかるらしい。
日も早いうちからだったおかげで並ばずにすんなりと乗れた。あんまり待つのは好きじゃないのだ。
段々と移動していく観覧車は、地面から離れて高い位置へと上がって行く。普段なら見ることのできない景色を見るいい機会なので、私は窓に張り付いて眺めることにした。
「ふふ」
不意に聞こえた笑い声に私は顔を向けると、彼がにこやかな笑顔でいるのを見た。
「……何?」
バカにされていると思った私がキッっと睨む。
「ごめんごめん、まさかキミがそんなだったなんて思わなくてさ」
「そんなって何よ」
「普段と違うなって思って」
「普段?」
彼が言うには私は我儘だそうだ。というかそれは自分でも理解してる。
でもそこで終わらず彼は話を続けた。
自分のやりたいことは曲げないし、諦めない。言ったことは取り消さない。けれどそれは芯のしっかりした人じゃないとできないこと。そんなことを聞かされ、私は窓から見える景色を見ないまま時間だけが過ぎていく。
そして降りる直前に彼はこう言った。
「そんなキミが好きなんだ」と。
好きというのが未だによくわからない私はとても悩んでいた。
彼が言う好きと私が友達を好きというのと違うのはわかっている。だけどその違いがわからない。意味はわかってる。だけど感覚的にはわかっていないのだ。
友達に言っても苦笑いしながら自分で理解しなくちゃダメだと言われてしまい、私は本当にお手上げだった。それと友達のニタニタした笑い方がすごく嫌な感じだった。
悩み続けていれば答えは見つかるのかと思っていたけど、時間はそれを許してくれなかった。
「えー、急なお知らせがあります。クラスメイトの彼が引っ越すことになりました」
担任の知らせに教室がざわめいた。
理由は親の転勤で遠方に行くことになり、学校に通うのが困難になってしまったとのこと。そして引っ越しが明日であること。あまりに急で私は開いた口がふさがらなかった。
私が状況を理解するのを時間は待ってくれず、その日――彼のここでの最後の生活が終わりを迎えてしまった。
友達にこのままでいいのか、と訊かれ私はどうとも返事をすることができなかった。
彼が去った教室でポツンと残った私。
結局私は彼に答えを示すことができなかった。
今になって後悔が生まれたけど後の祭りだ。
とぼとぼと帰宅しようと校門を過ぎると、驚いたことにそこには門柱に背を預ける彼の姿があった。私の足音に反応したのか彼がこっちに顔を向けると、すぐに笑顔になって近づいてくる。
自然と顔が熱くなるのと同時に、視界がぼやけるのを感じる。
「待ったりしてごめん。どしてもお別れが言いたくて」
恥ずかしそうにする彼に、私は短く、そう、と告げる。
何かを言わなくちゃと思っても口は思うように動いてはくれなかった。
「えっと今までありがとう。すごく楽しかったよ」
「……それだけ?」
「え?」
「私に告白した答え。聞かなくていいの?」
「答えてくれるの?」
私は首を振った。横に。
「それって……?」
「私のこと我儘だって言ったわよね」
「うん……」
「それは私も自覚してる。だから私の我儘を聞いてもらう。私のこと好き?」
彼の目を見つめ真っ直ぐに視線をぶつける。
「もし私が好きなら、ずっと好きでいてくれるなら、私に会いに来て。私はそれまで待ってるから、そしてその時にちゃんと答えをあげる」
「もしこなかったら?」
「くるまで待ってる」
彼の質問に間を空けずに告げる。
はっきりと、迷いなく。
「あなたは言った。私は言ったことを取り消さない。だから私が言ったことは曲げない。だから待ってる」
紡いだ言葉が震えているのがわかる。
だけどそれでも最後まで言い切った。よくやったと褒めてやりたかった。
「そっか、それなら答えを聞くまで諦めるわけにはいかないね」
どこか嬉しそうに言う彼は鼻の頭を掻く。それが癖だと知ったのはつい最近のことだ。
「私は自分の思った通りじゃないと許せないんだから」
「本当に我儘だね」
「そうよ、私は我儘なんだから――だから!」
そう言って私は彼の頬に唇を軽く押しつけた。
驚く彼に私は悪戯っく笑う。
「私の我儘に付き合ってよね!」
「え、あ、うん」
頬に手を当ててポカンとする彼に背中を向けて、私は走り出す。
振り返ることは無い。
だって、彼は私の我儘に付き合ってくれると言ったのだから。
私にとって初めてのキスは涙の味がした――。