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優等生の落日

掲載日:2026/08/23

誰か、読め。

◆ 中学編


自頭は良かった。両親は優良企業のサラリーマンで、昔から不自由なく暮らしていたと思う。勉強は苦手ではなく、中学では大体上から一桁台の成績を取っていた。もちろん簡単に維持できるものではなかったが、やった分だけ返ってくるので、その立ち位置に誇らしさや、少し他人を見下す気持ちさえ覚えていた。


部活はバレーボールだった。やりたいと思って入ったわけではない。親しい友人が何人か入部すると言うので、一緒に入っただけだった。楽しいと思ったことはあまりない。続けるモチベーションもなかったが、辞めるモチベーションもなかったため、ダラダラと続けていた。


2年生になるとコーチが変わり、練習が厳しくなった。辞めたいと思う日が増えた。布団の中ではいつも「明日やめよう」と考えていた。しかし、いつそれを切り出そうか迷っているうちに、友人の一人が辞めたいと言い出した。他のメンバーは必死に引き止めた。私もそれに従った。


強い意思があったわけではない。ただ、なんとなくそれが正解なような気がした。そのせいで、私自身も辞めたいと言い出しづらくなってしまった。


結局、私とその友人は最後の試合まで部に残った。最後の試合、友人は「家族旅行がある」と言って来なかった。私も試合へのモチベーションは低く、ズルズルと一回戦負けで終わった。相手が強豪校だったこともあり、仕方ないというムードがあったと思う。


終わった感想は、「やっとこれで運動しなくていい」という開放感だった。


受験シーズンになり、私は県内で有数の進学校に進学した。好きというわけではないが、理科と英語は点数が取りやすかったので、理数科に進んだ。


---


◆ 高校編


高校には知り合いがほとんどおらず、運動部にはもう飽き飽きしていたので文化系の同好会に入った。高校生活はとても楽しく、湯水のように日々を溶かした。進学校ということもあり、中学より成績は落ちて真ん中くらいをキープしていた。


それでも楽しかった。そこそこ気の合う友人ができ、ファミレスで時間を貪り、夜遅くまでLINEのメッセージを交わした。


大学への進学時期になった。私は特に志望校がなく、クラスの大半が志望する地方国立大学へ進学した。勉強のモチベーションはあまりなかった。この頃には成績もそこまで良いわけではなく、勉強も難しくなっていたため、優越感のようなものが薄れていたからかもしれない。


最後の半年間はなんとか自分の頭を磨き、校内で上位25%程度の成績になり、無事志望大学への入学を果たした。


---


◆ 大学編


入学時には喜びよりも安堵が強かった。浪人も覚悟していたとはいえ、何かレールから外れてしまうような感覚があり、できれば避けたかった。


大学に入ると、自分の行く先には様々な進路があることが徐々にわかってきた。しかし、特に何かをしたいという強いモチベーションはなく、ただ惰性で大学生活を過ごした。


人間関係は希薄だった。理科と英語が得意だったこともあり理系の学部へ進学したが、周囲には変わり者が多く、「この人たちと馴れ合いたくない」と感じた。大学生のノリが嫌いだった。中にはまともな子もいるのだろうが、学部の全員がうっすら嫌いだった。


高校の同級生のつながりで、講義で話せる程度の友達はできた。ただ、ほとんどとは深い関係には至らなかった。


中学生の時は「高校に上がればなんとなく彼女ができる」と思っていた。高校では「大学に入ればなんとなく彼女ができる」と思っていた。大学に入ると、自分に彼女がいないことが恥ずかしくなった。


そのためか、あるいは友人に誘われたのか覚えていないが、何回か合コンに参加した。その場ではそれなりにうまくやれていたと思う。何人かとLINEを交換し、しばらくやりとりが続いた。しかし気づけば連絡が途切れていた。向こうから来なくなることもあれば、自分から送らなくなることもあった。


楽しいことがないわけではなかったが、生きている感覚は薄く、日陰を歩くような日々だった。


大学4年になると研究室配属になった。成績はそこまで良くなかったので選び放題ではなかったが、興味から候補を絞っていた。その中で一番興味のある研究室は倍率が高かった。自分の成績では落ちると感じ、二番目の候補に行こうかと考えていた。


後日、講義でよく話していた知人から「同じ研究室に来ないか」と誘われた。知人はその研究室を志望していたが、他に学生がおらず一人になってしまうことを危惧していたらしい。自分の興味のある分野ではなかったが、特に強い希望もなかったため、その誘いに乗った。


研究は少し大変だったが、誰かと協力して成し遂げていく作業は言いようのない愉しさがあった。少し高校時代に戻ったような感覚さえあった。


卒業論文はつつがなく終わり、就職活動のフェーズとなった。特に強い志望もなかったが、就職浪人はしたくなく、研究を続ける気もなかったので、知っている化学系の企業に手当たり次第応募した。


面接はダメダメだった。何十社と受け、何十社と落ちて自尊心を削られた。しかし最終的には二社ほど内定をもらうことができた。正直、運が良かったと思う。


◆ 社会人編


私は昔から使っていたシャーペンが良かったという理由だけで、とある文具メーカーに就職した。内容はペンのインク開発。大学の内容が生かせるわけではなかったが、研究を続けたいわけでもなかったので気にしなかった。


大学を卒業し、企業の本社が東京にあるため初めての一人暮らしとなった。新生活にはワクワクしていた。研修では何人か友人らしい人もできた。東京で遊び歩く生活は程々に楽しかった。


研修が終わると、私は神奈川の研究所に配属となった。そこでの生活は精神を削るものだった。楽しくない仕事、新人に必要以上に重くのしかかる責任、覚えるべき大量のマニュアル、新人の雑務の数々。


入社時はあんなに喜ばしかったのに、気づけば会社を辞めたいと思うようになっていた。同期も皆似たような境遇らしかった。


就職して二年が経つ頃には、週末を迎えるたびに辞めたいと思うようになっていた。


ある時、三年目研修として外部講師の自己啓発セミナーを受けた。その内容は今でも心に燻り続けている。


---


「皆さんの生涯手にすることのできるお金の総額を知っていますか?」


講義はそんな出だしで始まった。生涯に手にできるお金は約二億円とのことだった。


「では仮に今皆さんの手元に二億円の資産が与えられ、そのかわり生涯無給で労働する契約となったとします。その時皆さんは何を買うでしょうか?」


買いたいものは特に思い当たらなかった。郊外に住んでいたので車が欲しいと思った。新しいカバンも欲しい。結婚もいつかしたいので、マッチングアプリにお金を使いたいとも思った。少し良い旅行もしたい。二億円があれば自宅を持つこともできるだろう。


少し考えた後、講師は言った。


「賢い選択は、このお金を投資に回すことでしょう。例えば投資信託に投資し、年利5%で運用できれば、生涯でこの賃金を二倍に増やすことだってできるかもしれません。」


そういうのもアリなんだと思った。


「車や持ち家、いい時計などの高額なものを買いたい人もいるでしょう。私はあまりしない選択肢ですが、理想の生活に近づけるために欲しいと言う人は買ってもいいと思います。」


自分はこれかなと思った。


「そして最も愚かな選択肢は、なんとなく湧き上がってきた欲望に準じて色々買うことです。」


それを聞いた瞬間、自分のことだと理解した。


「皆さんの人生はこの二億円に詰まっていると言っても過言ではない。給料は無限ではない。有限だからこそ、その二億円で何を買うかに人生が出る。投資は有限のリソースを拡張する手段だが、増加額は一定であり、有限であることに変わりはない。」


攻撃的な内容ではないのに、心の奥がモヤモヤした。不安と苛立ちが募り、頭が熱くなるような感覚を覚えた。


「そして頭の良い皆さんならわかるかもしれませんが、この二億を分配したとき、人間がなんとなく欲しいと思っているものを全て叶えようとするには二億円では足りないのです。ですので必ず、自分が欲しいと思っているもの、自分が幸せになれると確信しているものを購入することをお勧めします。」


そんなものは、無い。


「何をすれば自分が幸せになるのかわかっている人は幸せです。高いジュエリーを買えば幸せになる人は買えばいい。おいしいものを食べれば幸せになれる人は食べればいい。暖かい家庭を築きたい人は物件を購入し、家族を養えばいい。自分が幸せになることにフォーカスしてお金を込むことこそ、その人の生き方、つまり人生になるわけです。」


気持ち悪い。吐き気がする。


「一方で、最も不幸な人は自分が何をすれば幸せになるかがわかっていない人です。自分の幸せのためでなく、なんとなくそう見られたいから、なんとなくそうしたいから、みんなが持ってるからという理由でお金を使う人はもれなく不幸になります。」


講義はそう締めくくられた。


死ねと思った。


はらわたが煮えくり返る思いだった。的外れな指摘だと思った。同時に、自分の醜い本性を見据えられているようで決まりが悪かった。


---


◆ 落日編


講義を聞いたからといって生活が劇的に変わるわけではなかった。ただ、なんとなく「自分は何をしたら幸せなのか」を考えるようになった。


そして、自分にとって無条件で幸せになれることは「おいしいご飯を食べること」だとわかった。


私は美味しいものを食べることに熱を入れ始めた。週末は食べ物関連のブログやSNSを見漁り、社外のコミュニティにも所属した。おいしいものを食べていくうちに、グルメが好きな友人が何人かできた。そのうちの一人と結婚し、家庭も築いた。


これは受け身ではない。自分がそうしたいと思って求愛し、プロポーズした。その頃には自分が幸せであると自覚していた。そしてなんとなく、あの講義を思い出した。


あの時は「お金の使い方が大事だ」と説教されていると感じて苛立った。しかしそうではない。大事なのは、自分の意思が介在していることだ。


人生とは「意思」だ。

自分を自分たらしめるものは唯一、意思だけなのだ。


すべてに対してでなくていい。日常のどこか一つでも、自分の「やりたい」を選ぶこと。そこに人生が宿る。


YouTubeやTikTokで動画を垂れ流し、なんとなくネットで漫画を読み漁り、インスタやTwitterを流し見する「お前」に言っている。


私たちは「何をすれば幸せになるのか」を考えて行動する能力を欠いている。日々の生活でそれを見つめ直すべきだと考える。

セミナーの講師のように説教して悦に浸りたいわけではない。ただ一人でもこれを読み、自分の意思で行動する人間が、あるいは一回でも自分のやりたい事を考えて行動できる機会が増えるよう、人の行動を操れればと思って書き認めたものである。


やりたい事を進んでやれ。


自転車をフラフラと漕いでいたら、ふと頭に浮かんだので文章化しました。思いついた時は素晴らしい発明をしたと思いましたが、独善的で押し付けがましい様にも感じます。なんか、受験時代の国語の問題読んでるみたいな気持ちになるかもです。

あ、あと物語に登場する設定はフィクションなので、誤解なさらぬ様。

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