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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

恋愛経験値が力に変わる異世界で

作者:
掲載日:2026/02/09


 疲れた。


 なぜ弊社の上司はあんなにも理不尽なのか。その理由を書き出し、プレゼンテーションをする仕事が世の中に存在するのなら、きっと俺は優秀なビジネスマンだっただろう。


 そんな妄想をしていなければ、たちまち動かなくなってしまいそうな重たい足を交互に動かしながら駅のホームまで辿り着くと、いつもの電車に乗った。


「こんばんは、結城ゆうきさん」


 俺に声をかけてきたのは、小清水こしみず三雨みうさん。制服姿の女子高生だ。


「こんばんは」


「なんか、疲れてますね。お仕事ですか?」


 そう小清水さんが聞いてくれる。こんなオジサンの心配をしてくれるなんて、なんていい子なんだろうか。


「いやあ、まあ、色々ねぇ」


 と、俺は濁す。

 口にしたら、愚痴が止まる気がしない。


「上司さんですか?」


「……なんでわかった?」


「これまでに聞き出したお話によると、結城さんがそんな顔をしている時は、大体上司さんです」


 上司の話なんて、数回ぐらいしかしていない。


 小清水さんは妙に目ざといところがある。


「統計によれば、理不尽系です」


 得意げに小清水さんが言う。


「当たり」


 俺は笑う。

 というか、理不尽系以外ないんだよな。


 見れば、小清水さんもくすくすと笑っていた。

 思わず視線が釘付けになってしまいそうなほど可愛らしい。


 なぜ俺がこんな可愛い女子高生と知り合いかといえば、この電車で彼女のスカートの中を盗撮しようとしていた男を捕まえたことがきっかけだ。


 同じ電車を使っていたため、それ以来会えば挨拶をしてくれるようになり、今ではこうして雑談する仲になっていた。


「結城さん」


 トントン、と小清水さんが背中を叩く。


「着きましたよ」


 前を見れば、電車のドアが開いている。


「ああ、ボーっとしてた」


「お疲れですね」


 どこか楽し気に小清水さんは言った。


 俺にもこんな風に、なにもなくても楽しい頃があったんだろうな。今となっては、この若い子の無邪気な顔を見ているだけで癒される年齢だ。


 降車すると、小清水さんも隣に並ぶ。


 最寄り駅も一緒だったので、途中まで帰り道は同じだ。


「そういや、小清水さん、友達は近くに住んでないの?」


「近く? どうしてですか?」


「いやあ、見かけたことないし、いつも俺みたいな知らないオジサンと帰ってるからさ」


「結城さんは知らないオジサンじゃありませんよ」


 小清水さんはなぜか得意げに言った。


「知ってるオジサンです」


「小清水さん」


「なんですか?」


「オジサンには触れなくてよかったんじゃないっ!?」


 俺は少し恨みがましく言ってみた。


「自分で言ったんじゃないですかー。面倒くさい女子みたいですね。平成レトロの話でもしましょうか?」


「するな! どうせついて来れなくて俺が傷つく」


「大丈夫ですよっ! 沢山勉強しましたから!」


 大船に乗ったつもり来い、とばかりに小清水さんは自分の胸を叩く。


「昔さ、友達と待ち合わせしても会えないことあったんだよな」


「え? なんで?」


「なんでじゃねえよっ!」


 ケラケラと小清水さんは笑った。確信犯の顔だ。


「次、いきましょう! 次は大丈夫です! 任せてください」


「嘘つけっ! じゃ、そっちから話題出せよ」


「いいですよっ!」


 意気揚々と返事をした小清水さんは、口を開いて、


「…………」


 声を出さず、にっこりと笑って誤魔化そうとした。


「なんにも知らねえじゃねえかっ! 勉強どうしたっ!?」


「違いますよっ。イップスですって!」


「平成レトロ、大っ嫌いなんじゃねえのっ!?」


 そう言ってやれば、また小清水さんは笑って誤魔化した。


「あ」


 なにかに気がついたように声を上げて、小清水さんが立ち止まった。


 目の前には三叉路がある。帰り道は俺が右、小清水さんは左だった。


「あー……家がもっと遠かったらよかったですね……」


 少し残念そうに小清水さんが言った。


 俺は彼女を振り向いた。


「小清水さん」


 反射的に言葉が口を突いていた。


 社会的に許されるのか?


 いや、許されないだろうから、これが最初で最後になるだろう。


「俺は――」


 その瞬間、車のブザーが大きく鳴り響いた。


 視線をやれば、制御を失った乗用車が猛スピードで車道を逸れて、こっちに向かってきている。


 俺は反射的に小清水さんを庇うように手を突き出し――次の瞬間、ドガンッとけたたましい音を聞いた。


 視界は真っ暗だ。


 それを最後にプッツリと意識は途絶えた。



   ◇



 目を覚ますと、そこは森の中だった。


 どう考えても、東京にこんな場所はないだろうという鬱蒼とした森である。


「なんだよ、ここ……」


 記憶を振り返ってみれば、小清水さんを庇って車にひかれたところまでは覚えている。


 俺は死んだはずだ。


 いや、生きてたなら、目が覚めるのは病院に決まっている。


 なら、いったいここは――


「きゃあああああああぁぁぁっ!!」


 悲鳴を耳にして、俺は咄嗟にそちらの方向に走っていた。


 見えてきたのは人間の五、六倍以上あるであろう巨大な鬼――オーガだった。


 そいつは右手に巨大な石斧を携えている。


 そして、オーガの足元には震えている女の子がいた。


 見覚えのある制服だった。


「小清水さんっ!!」


 彼女が振り向く。


 涙目で怯えている小清水さんのもとへ俺は全力で走った。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 耳を劈く唸り声をとともに、オーガは大きく石斧を振り上げる。


 アレに潰されれば、一瞬でミンチだろう。


 俺は全速力で小清水さんのもとまで辿り着く。


 だが、遅かった。石斧が容赦なく振り下ろされ、俺は小清水さんを庇うように彼女に覆いかぶさる。


 そうして、恐怖に耐えるように目を閉じ、歯を食いしばった。


 だが、その瞬間はやってこない。


「ふむ。珍しいこともあるものですね」


 静かに声が響いた。


 目を開ければ、オーガの体が刃物に切断されたかのようにバラバラになる瞬間が見えた。


 そこに立っていたのは、髪の長い一人の青年だ。


 アイドルが裸足で逃げ出すほど整った顔立ちをしている。


 纏っているのは見たこともない真っ白な法衣である。


「お二人とも、この封印の森にどのようにして入られたのですか?」


 俺は小清水さんを見た。


 彼女はまだ震えたまま、俺の腕の中でぶるぶると首を横に振った。


「わ、わからない……」


 どうにか俺は声を絞り出した。


「わからない、とは?」


 殺気だった視線で青年が問いかけてくる。


「ほ、本当にわからないんだ。ここは俺たちにとって、全然知らない世界だ。異世界、そう異世界なんだっ。車にひかれて死んだと思ったら、ここにいた!」


「車?」


 なにかが引っかかったように青年は言う。


「なるほど。古い伝承によれば、あなた方は転生者のようですね。その御召し物も私たちの世界には存在しません」


 俺のスーツと、小清水さんの制服を見ながら、彼は言った。


「……転生? それは、俺たちは死んで、この世界に生まれ変わったってことか?」


「ええ。転生者であれば不問とします。それでは」


 青年はそう言って、踵を返す。


 俺は咄嗟に口を開いていた。


「ま、待ってくれっ!」


 青年が振り返る。


「この世界のことが全然わからないんだ。こんなところにおいていかれたら、またあのでっかいのに襲われて死んじまう。助けてくれないか?」


「それも確かにそうでしょうが」


 青年はじっと俺を見つめ、次に小清水さんに視線を移した。


「ふむ。あなたたちからは、潜在的な恋氣リビドーを感じます」


「り、恋氣リビドー?」


「この世界アイラビューで戦うための特別な力、恋愛能力者になるための才能です」


 青年はこちらへ歩み寄り、そして言った。


「一つ問います。オジサンが若い子に告白することの是非について、あなた方はアリ派ですか? それともナシ派ですか?」


「は?」


 なんだって?


「オジサンが若い子に告白することの是非について、あなた方はアリ派ですか? それともナシ派ですか?」


 いや、質問がわからなかったわけじゃないんだが。


「その、それが今なんの関係が……」


「お答えください。もしも、その答えが邪悪なものなら、あなた方はここで私が斬ります」


 どこからともなく、青年の手に長剣が現れた。


 彼はそれを俺の喉元に突きつける。


「さあ!」


「…………」


 ふ、普通に考えれば、オジサンが若い子に告白することは間違っているのかもしれない。


 社会的に終わってもおかしくないだろう。


 日本じゃオジアタックなんて言って社会問題にもなってる。


 それが、この世界じゃもしかして邪悪とまで言われてるってことなのか?


「お、俺は……その、確かに……あんまりいいとは……」


 ギロリ、と青年の目が殺気立った。


「わたしは!」


 小清水さんが言った。


「わたしは、別にいいと思います。だって、なんにも悪いことはしてないじゃないですか」


 すると、僅かに青年の表情が柔和になった。


「あなたも同じ考えですか?」


「……あ、ああ。気持ちを伝えるぐらいは……まあ……」


 フッと青年が笑えば、持っていた長剣が消えた。


「私はジークフリート・ゼオラム。お二人を、私たちのギルドへ案内しましょう」



   ◇



 俺たちはジークフリートにつれられて、大きな都市の建物にやってきた。


「ここが私たちの恋愛ギルド『バーニング・ラバーズ』の本拠地です」


 目の前にあるのは無数のバラの花である。


 内部はバラの温室になっているのだ。


「まず、お二人には恋愛能力者として覚醒していただきます」


「さっきから、気になってたんだが、恋愛能力者ってなんなんだ?」


 俺は聞いた。


「恋愛経験値を力に変えることができる者。より多くの恋愛、より強い恋愛を経験すれば、それに比した能力を使うことができます。たとえば」


 ジークフリートの手に、長剣が現れる。


「このように」


 彼がその長剣を振り下ろせば、凄まじい斬撃が飛び、遠く離れた大岩を真っ二つに切り裂いた。


「……マジか……恋愛を経験すると、こんなことができんの……?」


「ええ。今日はまず基礎の基礎から」


 ジークフリートが二本のバラを、俺と小清水さんに飛ばす。


 それも恋愛能力の一つなのか、バラは目の前でピタリと止まった。


「お二人の恋愛の流儀、すなわち流儀スタイルを確認します」


「恋愛の流儀スタイル?」


「言うまでもありませんが、恋愛には様々な流儀が存在します。追いかける恋があれば、じっと耐え忍ぶ恋もある。それぞれの流儀により、発現する恋愛能力が違うのです」


「……なるほど。つまり、押しが強い奴は押しが強い能力を、変態は変態的な能力が使えるってことか?」


「現実には恋愛とはもっと複雑なものですが、単純化すればそういうことになります」


 そうジークフリートは言った。


「その真実のバラを使い、恋占いを行えば、隠すことのできないあなた方の流儀スタイルがわかるでしょう。バラを手に取り、恋氣リビドーを出してください」


「そう言われてもな……」


恋氣リビドーって、どうやって出せばいいんですか?」


 小清水さんが聞く。


「恋愛のことを考えてください。自ずと、恋氣リビドーが放出されるでしょう」


「恋愛のこと……」


 小清水さんは恥ずかしそうにそう言うと、こっちを見た。


 俺が見返すと、彼女がばっと顔を背ける。


 次の瞬間、彼女の全身からハート型のオーラのようなものが溢れ出た。


「わっ! なんか……すごいの、出てます……!」


「それが恋氣リビドーです。そのまま、お待ちください」


 やがて、バラの花が開き始め、小さな天使が姿を現した。


「え? あ、あの……」


「恋のキューピッドです。彼らは私たちを導いてくれる存在。恋愛にまつわる様々なことを教えてくださいます」


 恋のキューピッドは小清水さんの耳元で囁くように言った。


「可愛いお嬢さんは奉仕派の恋愛流儀スタイルだね。ラッキーアイテムは青いネックレスだよ!」


 そう言うと、恋のキューピッドは手を振りながら消えていった。


「奉仕派ですか。悪くありませんね」


 ジークフリートは俺の方を見る。


「さて、お次は」


「お、おう……」


 恋愛のことを考える。


 ごく自然に俺が思い浮かべていたのは、小清水さんの笑顔だった。


 すると、俺の全身からハート型のオーラが溢れ出す。


 それも、先程の小清水さんとは比べ物にならない。バラの温室を光で満たすような、膨大な恋氣リビドーだった。


「これは……これほどの恋氣リビドーを秘めているとは……」


 やがて、先程と同じようにバラの花が開き、恋のキューピッドが現れた。


「働きもののオジサンは純愛派の恋愛流儀スタイルだねっ! ラッキーアイテムは、女の子用のアクセサリだよっ!」


 そう口にして、恋のキューピッドは消えていった。


「……純愛派ですか。ふむ……」


 若干、陰のある表情でジークフリートが呟く。


「なにか、問題があるのか?」


 俺が聞く。


「そうですね。まず、恋愛流儀スタイルは大別して六つに分かれます」


 ジークフリートが紙に書いてくれた説明によれば、以下の通りだ。



【恋愛六流儀】


◇肉体派

肉体に重きを置いた恋愛流儀スタイル恋気リビドーにより、肉体の働きを強化する。また発射能力を高める。


◇独占派

支配・独占に重きを置いた恋愛流儀スタイル恋氣リビドーを注ぐことで、様々なものを支配する。


◇純愛派

純愛に重きを置いた恋愛流儀スタイル恋氣リビドー自体を強化し、質量を持たせる


◇奉仕派

奉仕に重きを置いた恋愛流儀スタイル恋氣リビドーを注ぎ込み、自分以外のものに様々な付加能力を与える。


◇刹那派

刹那的な衝動に重きを置いた恋愛流儀スタイル恋氣リビドーを一瞬で爆発させる。


◇禁忌派

禁忌的な行為を行う恋愛流儀スタイル。流儀の枠を超えた禁忌的な恋氣リビドーを発揮する。



「たとえば、奉仕派の恋愛能力者は、他人を世話する、奉仕することに愛を感じる人種であることが多い。しかし、奉仕派であれば、純愛でないと言い切れますか?」


「それは……言い切れないよな。相手に奉仕する純愛だってある」


「その通りです。つまり、恋愛流儀スタイルというのは多様なため、実際にはご自身の最も核となる流儀スタイルの他に異なるスタイルを組み合わせ、構築されるのです」


 ジークフリートが言う。


「核となる流儀スタイルは最初から一〇の力を出せますが、付随する流儀スタイルは一か二。育てていったとしても、核には劣ります。しかし、恋愛能力者としては、外せない流儀スタイルが一つございます」


 ジークフリートが指さしたのは『肉体派』である。


「肉体を強化する『肉体派』は攻防ともに優れており、発射能力も高まることから、遠近問わず攻撃可能な、まさに戦うための恋愛流儀スタイル。しかし、『肉体派』は『純愛派』と相性が悪いのです」


「……それは、どういう……?」


「あなたは愛していない女性を抱くことはできますか?」


「え、いや、それは……」


「『肉体派』の恋愛能力者なら抱けます。つまり、恋愛経験値に圧倒的な差が生じます」


「あ……」


 ジークフリートの言わんとすることをようやく理解した。


「一〇人を抱いた男の拳を、一人しか抱いていない男の手のひらで受け止めることなど不可能。他の流儀スタイルでしたら、熟練度次第ということもありますが、純愛派にはもう一つ重大な欠点があります」


「それは、なんだ?」


「『純愛』である以上、一人の相手しか愛することができません。そして、その一人が愛を返してくれるとは限りません」


 それは当たり前の欠点だった。


 つき合えるかどうかわからない、結婚できるかどうかわからない。要するに、だ。


「……片思いでは永遠に恋愛経験を積むことができない」


「そうです。成長が圧倒的に遅い。これが純愛派の致命的な欠点なのです。残念ながら、純愛派恋愛能力者は、覚醒しても年間生存率は僅か2%です」


 ジークフリートは言った。


「そ、その2%はどうやって?」


「純愛を捨てたのです」


「え……?」


「純愛を捨てて、不慣れな肉体派の経験をひたすら積むのです。本職には敵いませんが、それでも、生き残ることはできるでしょう」


 純愛を捨てる?


 この気持ちを……?


 いや、だけど、あんなオーガみたいな化物がいる世界なんだ。そんなことにこだわっていちゃいけないのかもしれない。


「幸いあなたの恋気リビドーは桁外れです。肉体派に流儀スタイルを変えれば、早くから戦えるようになるでしょう」


「…………」


 俺は答えない。


 答えられない。


 命がかかっているのはわかっている。

 それでも、言葉が喉に引っかかって、どうしても声が出なかった。


「すみません。急ぎすぎましたね。今日はこちらでゆっくりとお休みください。また後日、話し合いましょう」


 ジークフリートがそう口にして、今日の話は終わった。



   ◇



 用意された寝室のベッドに俺は仰向けになっていた。


 眠れない。


 恋愛経験値が力に変わる異世界。ここで俺はどうやって生きていくべきなのか。


 ぐるぐると様々な考えが頭の中を回っているが、答えは出ない。


 ベッドの上でひたすら天井を眺めていたら、コンコン、とノックの音がした。

 

「あの、起きてますか? 小清水です」


 ドアを開けると、寝間着姿の小清水さんがいた。


「どうした?」


「その、眠れなくて……ちょっと怖くなっちゃいました……」


「ああ……俺もだよ」


 あんな化物が蔓延っている世界だ。


 街がどれだけ安全なのかも、正直わかっていない。


 俺は小清水さんは部屋の中に招き入れる。


「椅子が一つしかないが」


「大丈夫ですっ。ここ、借りますねっ」


 と、小清水さんはベッドの端にちょこんと座る。


 俺は椅子だ。


「そういえば、まだお礼を言ってませんでした」


「お礼?」


「はい。助けてくれましたから。ありがとうございます」


 俺は記憶を振り返る。


「車のことなら、結局、小清水さんもひかれて死んだから、助けられてないような?」


「でも、助けようとしてくれました。それに、あの化物が現れたときも」


「まあ、あれも結局、助けてくれたのはジークフリートだけどなぁ」


 俺だけだったら、あの馬鹿でかい石斧に二人とも潰されていただろう。


「でも、助けにきてくれました」

 

 そう言って、小清水さんははにかむように笑った。


「あの……車にひかれる前、結城さん、なにか言おうとしてませんでした?」


 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。


「……ああ」


 気持ちを落ち着かせようとしながら、どうにか返事をする。


「なんの話だったんですか?」


「…………」


 告白しようと思っていた。


 だけど、俺は純愛派の恋愛能力者だ。あの話を聞いた後じゃ、小清水さんは同情して断れないかもしれない。


 それはだめだ。

 まずこの先どうするのか、俺が答えを出さないといけない。


「いやあ、ちょっと記憶が怪しい。思いっきり、頭にぶつかったからな」


「あ……そうでしたか」


 心なしか、気落ちしたように小清水さんは言う。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。って言っても、死んだんだけどな」


「そうでした」


 と、彼女は僅かに笑みを見せた。


 瞬間、ドガンッとなにか破壊したような音が鳴り響いた。


 あまりの爆音に、俺も小清水さんも一瞬固まってしまっていた。


「……な、なんでしょうか……?」


 少し怯えたように彼女は言う。


「見てくるから。ここで待ってて」


 そう口にして立ち上がると、袖口を引かれた。小清水さんがつかんでいた。


「……わたしも行きます……」


 俺たちは音がした方向へ歩いていく。


 辿り着いたのは、バラの温室だ。


 天窓が破壊されており、一人の男がそこに立っていた。


 スキンヘッドで、筋骨隆々とした巨躯である。年齢はかなり若い。

 

 そいつは俺と小清水さんをギロリと睨んだ。


「見ない顔だが、バラ派だな」


 鋭い口調で男は言ったが、俺には意味がわからない。


「ば、バラ派……?」


「とぼけるつもりか。ならば、こう言い換えよう。オジサンが若い子に告白することの是非について、お前たちはアリ派だな?」


 バラ派って、そういう意味だったのか。


 しかし、なんだ? こんな他愛もない質問だってのに、異常なほどの圧を感じるのは?


「お、俺は……」


「いいや、もう回答は不要。その逡巡こそ、お前たちがバラ派である証明だぁっ!!」


 男は吠えた。


 瞬間、その全身からハート型のオーラが煌々と放たれる。恋気リビドーだ。


「バラ派は殺すっ! 愛に満ち溢れた世界のためにっ!!!」


 奴の足が床にめり込み、次の瞬間、姿が消えた。


 瞬く間に奴は俺の目の前に移動したのだ。あまりにも速すぎる。まさかこれが、肉体派の恋愛能――


「がっ……はぁっ……!!!」


 奴の拳が俺の鳩尾に突き刺さった。


 内臓が悲鳴を上げ、全身の骨にヒビが入る。血をどっと吐き出して、俺はそのまま殴り飛ばされた。


「結城さんっ……!!」


「心配するな」


 男は小清水さんの首をわしづかみにした。


「……っ……! ぁ……!」


「すぐに後を追わせてやる」


 小清水さんの体から恋気リビドーが放出される。だが、まったく意に介さず、男は首を絞め続ける。


「見たところ、覚醒したてか。無駄なあがきだ」


 少しずつ小清水さんの恋気リビドーが小さく、弱々しくなっていく。


 助けに行こうにも、体がまるで動かなかった。


 どうすればいい? どうすれば?


 俺はまだ戦い方も知らない。


 だけど、このままじゃ、小清水さんが――


『従え――』


 声が聞こえた。


 頭の中に、直接響くような。


『恋に従え。我らはすべからく恋の奴隷なれば、その全霊をもちて証明せよ』


 バラの花びらが舞っていた。


 俺の目の前で、今まさに小清水さんの恋気リビドーが消えていく。


 その細い手が力を失ったかのように、だらりと下がった。


『従え』


 頭の中に声が響く。


 それとともに、俺の衝動が膨れ上がる。


『恋に従え』


 彼女の命の灯火が、消え去ってしまう。


 そんなことはさせない。


 なぜなら、


 俺は、


 なぜなら、俺はまだ――


『我らはすべからく恋の奴隷なれば、その全霊をもちて証明せよ!!』


「伝えたい言葉があるんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっっっ!!!」


 俺の全身から膨大な量の恋気リビドーが立ち上り、それは天井を突き破って、雲をかき混ぜた。


「なにっ……!?」


 男が警戒するように俺を振り向いた。


「なんだ……? この莫大な恋気リビドーは……? こいつはいったい……!?」


「俺は」


 ぐっと拳を握れば、そこに恋気リビドーが集う。


「この恋とともに生きるっ!!!」


 拳を開き、放たれた膨大な恋気リビドーは文字通り光と化して、男を飲み込んだ。


「ぐっ……う……ぁぁ……あ!! 馬鹿な、これは、なんて眩しい……! こ……こんな光り輝くほどの恋気リビドーが……馬鹿なああぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」


 そのまま恋気リビドーの光線に押しやられ、男は建物の外まで吹っ飛んだ。


 その体は、光に焼かれ、黒焦げとなっていたのだった。


「はあ……はあ……小清水……さん……」


 俺は彼女のもとまで駆けつけようとしたが、思うように足が動かず、視界は斜めに傾いていく。

 そこで意識が途絶えたのだった。



   ◇


 

「小清水さんっ!!」


 目の前の空をつかむように俺はベッドから身を起こした。


「はい」


 返事をした小清水さんは、俺が伸ばした手を握っている。


「……あれ?」


 記憶が飛んでいる。


「確か、スキンヘッドの大男に襲われて、それで……」


「彼はマーガレット派、恋愛ギルド『フィジカル・エクスタシー』に所属する恋愛能力者、ガモンです」


 寝室に入ってきたのはジークフリートだ。


「……マーガレット派って?」


「私たちバラ派とは異なり、オジサンが若い子に告白することをナシとする勢力です」


「なんだその勢力?」


「転生者のあなたたちには理解しづらいかもしれませんが、私たちにとって世界に愛を満たすことは極めて重要な正義です。そして、今、この、オジサンが若い子に告白するという愛についての見解が大きく割れ、各勢力が愛のために戦っているのです」


 よくわからないが、一つだけわかった。


「俺たちがバラ派だから、襲われたってことなのか?」


「申し訳ございません。すぐに助けられればよかったのですが」


「いや、本気で死んだと思った」


「しかし、収穫もあったのでは?」


 と、ジークフリートはウインクをした。


 俺が純愛派の能力を使ったことを言っているのだろう。それを知っているということは、あの瞬間を見ていたということだ。


「まさか、わざと……?」


「限界まで追い詰められなければ、走り出さない恋もあります」


 涼し気な表情でジークフリートは言った。


 肉体派を進めたのは、俺に純愛派の能力を覚醒させるためだったのか?


 危うく死ぬところだったが、しかし腹が決まったのも事実だ。


「改めてお聞きしましょう。私たちの恋愛ギルドに入りますか?」


 俺は小清水さんと目を合わせる。


 彼女はほんのりと笑みを見せ、こくりとうなずいた。


「よろしくお願いします」


 すると、優雅な所作で、ジークフリートはお辞儀をした。


「ユウキ、コシミズ。ようこそ『バーニング・ラバーズ』へ。私たちはあなたたち二人の愛を歓迎いたします」


 突如としてやってきた異世界アイラビュー。


 恋愛経験値が力に変わり、愛の価値観が世界を二分している。


 正直、まだまだわからないことは多いし、これから先、予想だにしない危険なことが山ほどあるだろう。


 それでも、なんとかやっていける気がした。


 俺のそばに、彼女がいてくれるのなら――


お読みくださり、ありがとうございます。

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だいぶ毛色の違う作品だなあと思いましたが面白くなりそうだとも思いました。
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