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親失格

「彩音ぇ。今日送ってってよ」

 三信がへらへらとそう言ってきたのは雅春を寝かし付けた直後だった。現時刻は9時半過ぎ。寝かし付けに苦労してようやく寝てくれたと安堵して寝室を出た瞬間にこれだ。

「送ってくのは無理だよ。雅春寝ちゃったんだから」

「いいじゃん。送ってってよ。外、雨だしさ」

 運転免許を持たない三信は彩音の運転が無ければほぼどこにも行けない。仕事の送迎を頼んでくるのは日常茶飯事だ。雅春が生まれてから多少減ったかと思っていたが最近また増えてきたように思える。

「だから。雅春寝ちゃったから無理だって」

「寝たんなら大丈夫でしょ」

「は?」

 この男の話はいつも要領を得ない。子供が寝たと言うのに何故大丈夫なのか…そう考えて彩音は1つのあり得ない可能性に気付いた。

「まさか…雅春だけ置いていけっての?」

「ちょっとぐらい大丈夫だって。ね?ね?」

「何言ってんの?ダメに決まってんじゃん!」

「いいからいいから」

 三信に手を引かれ、家から無理矢理に連れ出される。外は確かに大雨で雷も鳴っていた。自転車や徒歩での出勤はつらいだろうが、だからといって幼子を独り家に残して行く理由にはならない。

「ちょっ…せめて雅春連れてかないとっ…」

「寝たの起こすの可哀想じゃんよ」

「置いていく方が可哀想でしょうが!」

 大の男に敵うはずもなく…彩音は運転席に乗せられてしまった。ここから三信の職場までは片道10分ほど…飛ばして行って往復15分ほどだろう。彩音は盛大に舌打ちをして車を急発進させた。

「ちょっ…速くねっ?安全にっ…」

「うっさい!」

 いくつか黄色信号を無理矢理通り過ぎ、三信の職場であるラブホテルの駐車場に車を入れた。

「早く!さっさと降りるっ!」

「わ、わかったよ…」

三信を見送ることもなく、すぐにバックで駐車場を出ると彩音はその場を離れた。雷鳴が強まり、雨も弱まらない。

(どうしようっ…いない間に起きて泣いてたらっ…不審者が入ってたらっ…突然死してたらっ…!)

 襲い来る不安を必死に追い払いながら家に着くとすぐさま寝室に直行した。そこにはすやすやと穏やかに眠る雅春の姿があった。

「はぁ…良かった…」

 へたり込む彩音。安堵すると同時に雅春への申し訳無さから涙が溢れた。

「ごめんねぇっ…雅春っ…」

 途中で抵抗を止めて車を出した立場で何を被害者ぶっているのかと思う冷静な自分もいた。他人が知れば批判されるのは間違いなく自分だ。何故連れて行かなかったのか、そもそも何故旦那の言われるがままなのか、と叩かれるに違いない…

「雅春っ…私、どうしたらいいっ…?」

 三信に父親としての自覚が無いのは明らかだ。居ない方がマシなのではないかと思う強い理由もある。だが、彩音はまだ行動が出来ないでいた。

(実家の親にも心配かけたくないし…)

 弱い自分がほとほと嫌になる彩音であった。

(…決めた。次になんかされたら離婚を切り出そうっ)

 目の前で眠る可愛い存在を守るため、彩音は強く決心したのだった。


決心は思っていたよりずっと早く決行された。

 雅春が熱を出し、病院でRSウイルスの感染が認められたのだ。高熱に苦しむ雅春を彩音はかかりきりで看病し、三信も声をかける程度はしてきた。

「熱が下がらない…救急外来に行った方が良いかも」

 深夜も1時を過ぎた頃…体温計は39度を示し、雅春もつらいのか泣き続けている。彩音は電話で近くの大病院に問い合わせた。

「RSウイルスに感染してまして…ええ、はい。熱は39度…診ていただけますか?ありがとうございますっ。すぐ伺いますっ」

 電話を切り、着替えて上着を羽織った彩音の目の前で三信がリビングのソファに横たわった。

「俺、邪魔になるだろうし留守番してるわ」

「あっそ」

 雅春を抱き上げ、彩音は家を出た。車で5分ほどの大病院の夜間救急外来は何組か来ているようだ。

「雅春くん、どうぞ」

 当直の女医が診察室から呼びかけてきたため入室する。聴診器で胸や背中の音を聴いた後、真剣な顔で彩音を見てきた。

「RSにかかってると問診票にはありますが」

「はい。2日ほど前ですが小児科で」

「胸の音が少し異常です。レントゲンを撮ればわかるかと思いますが…どうされますか?」

「っ…はい、わかりました。お願いします」

 レントゲン室で防護衣を着た彩音が雅春を抱っこし、上半身のレントゲンを撮ると結果はすぐに出た。

「胸の辺りが白くなってるのがわかりますか?肺炎になりかけています。コロナでは無さそうですが」

 彩音はショックで言葉が出なかった。想定していたよりもずっと雅春は重症だったらしい。

「脱水気味みたいなので点滴をしましょう。ただ、今日は看護師が少ないのとコロナの感染者が多くて…」

 未曾有の新型肺炎の流行は大病院でさえも人手不足らしい。看護師の1人が雅春を受け取りにきた。

「お母さんは今のうちにトイレとか済ませといてね。時間かかるよ」

「は、はいっ」

 トイレを済ませてスマホを見ると三信から「どうなってる?」「まだ?」とチャットが入っていた。「肺炎なりかけてたから今から点滴」とだけ返し、治療室に入る。点滴の針が手首に刺されて固定されると雅春が痛みに泣き叫んだ。

(ごめんねっ…ごめんね、雅春っ…!)

 どうして肺炎になるまで気付かずにいてしまったのか…そんな今更考えても仕方ないことを考え、ひたすらに雅春に謝り続ける。

「たいー!たいーっ!」

「うん…うん…痛いね…ごめんね」

 包帯でぐるぐる巻きに固定されていてもやはり赤子の抵抗はいなしきれないのか、刺した箇所から出血が見られ始めた。液漏れもあるのかみるみる彩音の上着が血に濡れていく。ナースコールを押すも次から次に患者が入ってきてなかなか看護師は来ない。

「ごめんなさいねー。どうしました?」

「あ、すいません。血が出てきて…」

「あらら。ちょっとやり直しますね」

刺し直される痛みに雅春がさらに泣き叫んだ。

「すいません、すいません…」

「お母さんの上着血だらけになっちゃったのね、こちらこそごめんなさいね」

「いえ…」

 眠さと疲労で彩音の頭はぼんやりしてきていた。雅春の泣き声を聞きながら前後にゆらゆら揺れて少しでも寝てもらおうとするが、眠る気配はなかなか来ない。

 しばらく無言でひたすら揺れているとようやく目を閉じ始めた。

(ベッドで寝てくれたら助かるんだけど…)

 ベッドに寝かせようと置いた瞬間、火が付いたように泣く雅春。また振り出しである。

「よしよし…頑張っててえらいね…雅春が世界で1番頑張ってるよ…」

 点滴が終わり、彩音が雅春を連れて病院を出たのは日が昇った後だった。帰宅すると三信がサブスクのアニメを見ながらソファに座っているのが目に入った。

「おかえり。どうだった?」

「どうって?点滴してもらうって連絡したじゃん。5時間ぐらいずっと抱きっぱなしだったよ」

 彩音の不機嫌を察したのか三信が慌てたように雅春に腕を伸ばす。

「俺見てるから寝たらいーよ」

「雅春も今から寝るに決まってんでしょ?点滴の針が痛くてずっと泣いてたんだから疲れてるの」

「そっか」

 寝室に入り、布団に横たわった彩音。隣に寝かされた雅春は疲れからかあっさりと入眠した。

(疲れた…)

 彩音も瞼を閉じ、眠りに落ちていった。

 どれほど眠ったか…空腹で目が覚めた。雅春はまだ寝ているようだ。スマホで時間を見れば午前11時過ぎ。軽く5時間ほどは寝ていたらしい。

(なんか食べるか…)

 寝室を出ると、ソファに寝そべってテレビを見る三信が変わりなく居た。机の上にはコンビニで買ったらしい缶ビールに弁当ガラ、封を切った電子タバコのフィルターがある。

「………」

「あ、起きた?昼メシどうする?なんかデリバリーしねぇ?」

「その弁当ガラは何なの?」

「これ?朝買ってきたやつだよ?」

 妻や子供に何か買ってくるでなく、ゴミも片付けず、朝から酒を飲む…このトリプルコンボは彩音の限界値を振り切った。

「…あのさ」

「ん?」

「離婚したいんだけど」

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