ひょうず1
主人公 牧野 賢治
妻 牧野 志津
八戸港の賑わいが一段落した、薄暮どき。賢治は、商談を終えたばかりの疲れた足で、港に面した小さな通りを歩いでいた。
潮の香りに混じって、何かの焦げ付くような、しかしどこか香ばしい匂いが漂ってくる。
その匂いの元は、市場の隅で小さく店を広げた行商人だった。座り込んだ行商人の前には、白い小麦粉の団子を半月状に包み、ゆであげた後に軽く焼いだらしい食べ物が積まれている。
賢治は、八戸生まれだがこの食べ物には見覚えがない。地元で汁物に入れる「南部せんべい」の文化とは違う、全く未知の食べ物だ。
「兄さん、最後の一個だ。よかったら一口どうだべ。冷える前に腹に入れときな。」
宮古から来たという行商人が、自分用に一つだけ残しておいたらしい団子を、火鉢で温め直しながら差し出した。
「これは…?」
「『ひょうず』って言うんだ。小麦粉で、味噌とくるみの餡を包んだものよ。宮古じゃあ、小昼に食うもんだ。」
賢治は礼を言ってそれを受け取り、一口かじった。
外側の生地はもちもちと柔らかく、噛むと中から温かい餡が広がった。くるみの香ばしさ、黒糖の素朴な甘さ、そしてそれを引き締める味噌の塩気が絶妙なバランスだ。それは、故郷八戸の味ではない。しかし、仕事で張り詰めていた賢治の心と体を、静かに、そして力強く温めた。
「……美味い。こんなものがあるんですね。」
賢治は純粋に感動した。
「これを…これの作り方を、ぜひ教えてもらえませんか。」
行商人は目を細めて笑った。
「そうかい。あんた、気に入ったんだな。」
「いいさ。餡の秘訣を教える代わりに、少し話し相手になってくれれば、それでいい。」
二人は、市場の隅に座り、ひょうずを通じて、地域の歴史に思いを馳せた。
「あんたは八戸の人だが、昔はな、この八戸も宮古も、みんな南部藩の領地だったんだよ。大きな南部の土地で、山の恵みも海の恵みも分かち合ってきた。だが、今は県境で遠い。」
行商人は、遠くを見つめるように言った。
「そうですね。明治になり、お上が決めたことだからしかたがない。県境で、分断されてしまった。」
「ああ、だがな、兄さん。」行商人は賢治を振り返った。
「このひょうずに使われている小麦やくるみは、八戸の山でも採れる。線なんて引いても、大地の恵みはどこにも線なんて引いちゃいねぇ。この団子の味は、南部藩を繋いでくれる味なんだ。」
行商人は、団子の餡の作り方の「秘訣」を語った。それは、詳細な分量ではなく、「胡桃と味噌を火にかける時は、焦げる寸前の、香りが立つ直前で火を止めること」という、愛情と手間ひまを教える言葉だった。
賢治は、その言葉を胸に深く刻んだ。
ひょうずって、たまに食べたくなるんですよ。
私だけかもしれませんが、、、
ついつい話にしてしまいました。




