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月待ちの灯(あかり)  作者: しゅう


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86/88

ニッパチ

主人公 牧野 賢治

妻 牧野 志津

正午を告げるサイレンが八戸の街に響き渡ると、賢治は手にしていた万年筆を静かに置いた。

「さて、今日はここまでだな」

周囲の行員たちからも、安堵の混じったため息が漏れる。一月という月は、スペイン風邪への恐怖と戦い、欠員を補い合いながら、綱渡りのような緊張感で過ぎ去っていった。しかし今日、二月の初日は土曜日「半ドン」だ。正午で仕事が終わるというこの習慣が、これほどまでに愛おしく感じられることはなかった。

「牧野さん、お疲れ様です。二月は、少しは落ち着くといいですな。ニッパチ(二月と八月)はお客様が少ないし」

同僚の明るい声に、賢治も自然と笑みを返す。

「ええ。この静けさが、一番の薬かもしれませんね」

一月の喧騒が嘘のように、窓口に差し込む陽光が静かに床の埃を照らしている。この「ニッパチ」特有の静けさは、銀行員にとっては荒波を越えた後のなぎのような、一息つける休息の合図でもあった。記帳するペンの音さえ、どこか軽やかに響く。行員たちは皆、どこか晴れやかな顔で帳簿を閉じ、午後の自由な時間をどう過ごすか、小声で囁き合っていた。

賢治は、一月の間に溜まっていた重苦しい書類を棚に片付け、鞄を手に取った。銀行の重厚な扉を開けて外に出ると、頬を打つ風はまだ鋭いが、空の青さは一月よりもどこか深みを増しているように見えた。


いつもより早く上がれる土曜の午後。賢治は真っ直ぐ家には帰らず、あえて少し遠回りをすることにした。

道の端では、雪解け水がさらさらと小さな音を立てて流れている。一月には氷に閉ざされていた街が、春の気配を敏感に察し、わずかにその身を緩め始めているのを感じた。

向かったのは、電燈事業で最初に電柱を立てる予定の目抜き通りだ。

「ここに柱が立ち、あの角にトランスを据えて……」

鞄の中に忍ばせた設計図を頭の中で広げ、まだ何もない冬の空を見上げる。例えば、あの角にある老舗呉服屋の、鮮やかな藍色の暖簾の横に、最初の街燈が灯る。そうなれば、夕暮れ時の買い物客も、雪道を行く子供たちも、どれほど安心に包まれるだろうか。

一月の闇を生き抜いた街の人々に、真っ先に届けたいのは「安全な光」だ。ランプの煤で汚れることのない、ボタン一つで夜を昼に変える魔法のような光。

「改造というのは、暮らしを明るくすることから始まるんだ」

賢治の独白が、白い息となって空に溶けていく。一月のどんこ汁で得た活力が、冷たい風を押し返すように身体の芯から湧き上がってくるのを感じた。


家路につく途中、賢治はふと思い立って、馴染みの菓子屋の暖簾をくぐった。

「今日は二月の始まりですから」

自分に言い訳をしながら、志津の好物である甘い干菓子を包んでもらう。店頭に並ぶ色とりどりの菓子を眺めながら、「志津なら、この薄紅色のものが喜ぶだろうか」と思案する時間は、一月の緊張感の中では決して味わえなかった贅沢なひと時だった。

薄紙で包まれた箱を受け取ると、指先から砂糖の甘い香りが微かに漂い、かじかんでいた感覚が優しく解けていくようだった。一月、家と家族を守り抜いてくれた妻への、せめてもの労いだった。

明るいうちに自宅の玄関を開けると、台所からパチパチと薪のはぜる音が聞こえてきた。

「ただいま、志津。今日は半ドンで、早く終わったよ」

賢治の声は、一月よりも一段高く、弾んでいた。

二月の光を背中に受けて帰宅した賢治の手には、新しい事業への情熱と、妻へのささやかな愛が握られていた。

読んでいただきありがとうございます。

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