一升漬
主人公 牧野 賢治
妻 牧野 志津
外の風の音が、今日は少しだけ遠くに聞こえる。
数日続いた猛吹雪が、ようやくひと息ついた「凪」の午後。志津は床下の冷暗所に腰をかがめ、奥に鎮座していた陶器の瓶を慎重に抱え上げた。
「……そろそろ、良い頃合いかしら」
去年の秋、冬の入り口に仕込んでおいた「一升漬」だ。
「麹が一升、南蛮が一升。そして、大切に守ってきたお味噌が一升。……これで、一升漬ですわね」
志津は瓶を覗き込みながら、仕込んだ日の手応えを反芻した。
全てを同じ一升ずつの分量で合わせるから「一升漬」。あるいは三つの材料を合わせるから「三升漬」とも呼ばれる。
計り間違いのない、どこまでも潔い一対一対一の割合。けれど、それが時間を経て混ざり合うと、元の三つからは想像もつかないほど複雑で奥深い、ひとつの『味』に生まれ変わるのだ。
蓋を縛っていた紐を解き、中蓋を開けた瞬間。まず発酵した味噌の芳醇な香りが台所の冷えた空気に広がり、そのすぐ後から、南蛮(唐辛子)の突き抜けるような、熱を帯びた刺激的な香りが追いかけてきた。
志津は清潔な匙を入れ、中の味噌をゆっくりと掬い上げる。
仕込んだ当初は真っ白な花が咲いたようだった麹の粒は、今や味噌の色をたっぷりと吸って深い琥珀色に染まり、形を失うほどにとろりと溶け合っている。
志津はそれを、そっと舌の先に載せてみた。
「……ええ。いい塩梅ですわ」
ピリリとした鋭い辛味が、熟成した味噌の深いコクに包まれ、最後には麹の優しい甘みが喉の奥へ抜けていく。それは、厳しい冬を越すために北国の女性が用意した、小さな「火種」のような調味料だった。
味を確かめながら、志津の記憶は昨日のことのように去年の秋へと飛ぶ。
庭の隅で、寒露の光を浴びて真っ赤に熟した南蛮を収穫したあの日。
「南蛮を刻む時は、絶対に目を擦ってはいけませんよ」
そう自分に言い聞かせながら、志津は小刀を握った。まな板の上で細かく刻むたび、南蛮の揮発した成分が鼻を突き、目に染みる。堪えきれずにこぼれた涙が、頬を伝って顎から落ちた。
指先はいつの間にか、火傷をしたかのように熱を持っている。うっかりそのまま髪を直そうとしておでこに触れてしまい、その熱さに慌てて冷たい水で顔を洗った……。そんな騒ぎも、今となっては懐かしい冬への備えの記憶だ。
南蛮と合わせる「麹」を求めて足を運んだのは、町外れにある古くからの麹屋だった。
重い木戸を開けると、そこには真っ白な蒸気が立ち込め、お米が発酵する独特の甘い香りが充満していた。
「志津さん、今年もいい麹が仕上がりましたよ」
麹屋の主人が差し出した包みの中には、まるで新雪が降り積もったかのような、ふっくらとした「麹の花」が咲いていた。その温かな包みを抱えて帰る道すがら、志津はこの麹が、あの辛い南蛮をどう変えてくれるのかを想像して胸を弾ませたものだ。
そして、この一升漬の土台となったのは、さらに前、一昨年の春に仕込んだ「ひね味噌」である。
新味噌にはない、一年半という年月を樽の中で静かに眠り続けたからこその、重厚で黒々とした深み。
「あのお味噌が、新しく入ってきた南蛮の角を、こうして丸くしてくれたのね」
樽から味噌を掻き出す時の、あのねっとりとした手応え。それが、新しい命(南蛮と麹)をどっしりと受け止め、一つの「味」へと昇華させてくれたのだ。
居間の机には、賢治さんが今朝まで読んでいた新聞が置かれている。
「国際連盟」や「新しい世界」という、志津には少し遠い世界の言葉。けれど、夫が向き合っている現実は、この厳しい八戸の寒波そのものだ。
「お料理も、お仕事も、急いではいけませんのね。時間をかけて、じっくりと馴染んでいくのを待つのも、大切な仕事……」
志津は独り言を呟き、一升漬を小皿に分けた。
今夜は、この一升漬を熱々の「湯豆腐」に添えよう。あるいは、ふっくらと炊いたご飯の上に、ほんの少し乗せて出すのもいい。
寒さに耐え、電線と格闘して帰ってくる賢治さんの身体を、この「火種」が内側から温めてくれるに違いない。
夕暮れ時、凪は終わり、また少しずつ風が鳴り始めた。
けれど志津の心は、熟成した味噌のように温かく、落ち着いていた。
志津は再び包丁を握り、トントンと軽やかな音を響かせ始めた。その音は、吹雪の向こうにある春を、一歩ずつ手繰り寄せているかのようだった。
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私の住む地域では、一升漬といえば「醤油」を使用するのが一般的です。
ですが、青森近辺では「味噌」を使用して作る家庭もあり、今回は物語の温かみに合わせて味噌味の設定にしてみました。
厳しい寒さの中、牧野家の食卓が少しでも皆様に伝われば幸いです。




