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月待ちの灯(あかり)  作者: しゅう


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寒波

主人公 牧野 賢治

妻 牧野 志津

夜明け前、志津は枕元で響いた「ピシッ」という鋭い音で目を覚ました。

家のはりが寒さで鳴ったのだ。布団から出した鼻先が、まるで氷に触れたかのように痛い。

隣で身支度を整える賢治の吐く息は、行灯の微かな光の中で真っ白く固まり、そのまま闇に溶けずに漂っている。

「……今日は、一段と冷えますね」

志津の声さえ、冷気に吸い取られて細く震えた。

賢治を送り出した後、台所へ向かった志津は息を呑んだ。

昨日、水瓶みずがめにたっぷり張っておいた水が、底まで一塊の氷と化していたのだ。柄杓を差し込もうとしても、カチリと跳ね返される。手拭いは壁に掛けられたまま、板のように強張って動かない。

かまどに火を入れ、家の中にようやく血の通ったような温もりが回り始めた頃、志津は昨日の賢治の言葉を思い出していた。

(あの人は今、この極寒の街で、さらに冷徹な数字と戦っている……)

今日は虚空蔵さまの縁日。丑寅うしとらの守り本尊であり、知恵を司る仏様の日だ。志津は、賢治の代わりにその「知恵」を授かりに、外へ出る決意をした。


表の戸を開けると、そこには「空気」ではなく「薄氷」が充満しているかのようだった。

吸い込むたびに肺の奥がチリチリと焼け、鼻の粘膜が瞬時に凍りつく。雪はもはや踏んでも音を立てない。あまりの寒さに結晶が硬く締まり、砂の上を歩いているような乾いた感触が足裏に伝わる。

八戸の街角を曲がるたび、建物と建物の間から、カミソリのような北風が志津を襲った。それは単なる「風」ではなく、目に見えない刃物が肌を薄く削いでいくような、鋭利な痛みだった。

普段なら威勢のいい声が響く市場も、今日は不気味なほどの沈黙に支配されていた。

店主たちは、商品である魚や野菜が凍てつくのを防ぐ術もなく、ただ火鉢の残り火に縋るようにして丸まっている。すれ違う人々の顔には、寒さへの恐怖を超え、この極寒で仕事が止まり、明日を食い繋げなくなることへの「絶望」が泥のように張り付いていた。

誰も口を開かない。口を開けば、体内のわずかな熱が霧となって消えてしまうのを恐れているかのようだった。

志津は深く被った頭巾の下で頷き、虚空蔵さまを祀るお堂へと急いだ。

寒さはもはや「冷たい」を通り越し、肌を針で刺すような「痛み」へと変わっていた。それでも彼女を動かしていたのは、賢治が背負う孤独な責任への想いだ。

(どうか、あの人に道を照らす知恵を。この凍てついた街の人々が、春まで命を繋げるだけの灯を、彼の手で守らせてあげてください)

お堂の前に辿り着いたとき、志津の手首に巻かれた数珠さえも、冷気にさらされて石のように冷たくなっていた。彼女は凍えた手を合わせ、煙るような真っ白い吐息と共に、心の奥底にある祈りを静かに捧げた。


帰り道、志津は商店の軒先に吊るされた氷柱つららが、真昼の太陽にさえ溶ける気配を見せないことに気づいた。今日の冷えは、天さえも凍らせようとしている。

家に戻った志津は、すぐさま火鉢の準備に取り掛かった。

ただ暖めるだけではない。賢治が帰宅したとき、一瞬で「生」の温もりを感じられるよう、鉄瓶をかけ、火の粉が跳ねないよう丁寧に炭を組み直す。

さらに、虚空蔵さまから授かった「知恵」のお裾分けとして、今夜はいつもより多めに生姜を効かせた温かい葛湯を用意しようと考えた。

外で氷のような決断を下し続けてきた男が、唯一、一人の人間に戻れる場所。

志津は、窓の外の景色がキラキラと舞うのを見つめながら、賢治の帰りを待つ時間を、より深く、より温かく整えていく。

読んでいただきありがとうございます。

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