余韻
主人公 牧野 賢治
12月27日、午後三時。
銀行の重厚な扉が閉められ、表に「本日休業」の札が掲げられた瞬間、行内に漂っていた張り詰めた糸が、微かに、しかし確実に緩んだ。
これが実質的な、今年最後の営業だった。
「お疲れ様でした……!」
どこからともなく漏れたその声は、まだ残務があるにもかかわらず、行員たちの共通した祈りのようにも聞こえた。
まだ帳簿の整理は残っていたが、慣習に従い、執務室の煤払いが始まった。
賢治もまた、上着を脱ぎ、襷をかけて部下たちと共に埃を払った。普段は厳格な上司も、今日ばかりは顔を煤で汚しながら、机の隅々まで拭き清めている。
大掃除の騒がしさの中に、奇妙な高揚感が混じっていた。
二十五日の「決算」という地獄のような数字の海を、一銭の狂いもなく泳ぎ切った。その事実が、行員たちの間に、言葉にせずとも通じ合う「戦友」のような連帯感を生んでいた。
「賢治さん、どうやら無事に年を越せそうですな」
隣で本棚を整理していた同僚が、手拭いで額の汗を拭いながら笑った。
その「年を越せる」という言葉には、深い意味があった。預金者への責任を果たし、融資先の命運を繋ぎ、自分たちの生活をも守り抜いたという全き安堵。
賢治は、手に持った算盤を愛おしそうに眺めた。この一カ月、弾き続けた道具だ。
(ああ、今年も、なんとか納まるのだな。)
賢治の胸に去来したのは、華やかな喜びではなく、ただ「務めを果たした」という、重たくて温かな余韻だった。
埃が払われ、磨き上げられた執務室は、夕闇の中でしんと静まり返っていた。
明日は二十八日、御用納め。午前中に儀礼的な業務を終えれば、夜は待望の忘年会だ。
賢治は、誰もいなくなった自分の席に座り、最後にもう一度だけ帳簿を確認した。
八戸の街に流れる金の血液を、今年も滞りなく循環させることができた。その確信を胸に、彼は明日という最後の一日を迎えるための、静かな覚悟を固めた。
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