注連縄(しめなわ)
主人公 牧野 賢治
妻 牧野 志津
12月18日。本格的な冬の寒さが八戸を包み込む中、賢治は今日も朝早くから、「勘定」という重い責務を負って銀行へと向かった。
志津は、賢治を見送ると、静かに正月飾りの準備に取り掛かった。昨日までに煤払いは終え、この家は清らかさに満ちている。今日行うのは、注連縄や松飾りといった、年神様を迎えるための最後の、最も重要な飾り付けだ。
志津は、畳の上に広げられた藁の縄と松葉、そして奉書紙に包まれた御幣を見つめた。
この家は、外の世界の喧騒や、底冷えする八戸の寒さから、自分たち夫婦を守る「確かな場所」だ。梁や柱は、賢治が不在の今、まるで生きているかのように静かな存在感を放っている。志津は、この家を守るという行為そのものに、主婦としての静かな喜びと、根源的な使命感を見出していた。
飾り付けの手を動かしながら、志津はふと、一昨日訪れたお欄さんの華やかな残像を思い出した。
お欄さんが語った魚河岸の生々しい金銭の渦、それは、賢治が銀行で「厳格な勘定」を下さねばならない、この家の外側に存在する不安定な現実を象徴していた。
お欄さんの言葉は、志津の静かな生活とは対極にある華やかさと危うさを帯びていた。しかし、志津はそれに心を乱されない。志津の視線は、目の前で編まれる注連縄の藁へと集中する。
志津の役割は、外の熱や渦に巻き込まれることなく、この家という空間に、清らかな安寧を保ち続けることだ。
藁の縄を慣れた手つきで編み整えていると、幼い頃、祖母が語ってくれた言葉が鮮明に蘇ってきた。
「志津や。注連縄はな、ただの飾りじゃないんだよ。」
祖母は、庭の藁を編みながら、志津の小さな手を取って教えてくれた。
「これは、家に宿る魂を清らかに保つためのものなんだ。外から入ってくる濁りや悪いものを、この縄が静かに吸い取ってくれる。そして、新しい年の神様と、お前たち家族の魂を、この清らかな縄で強く結びつける。だから、藁は丁寧に編むんだよ。この家が、いつまでも家族の安寧の拠り所であるようにって、願いを込めてね。」
祖母の言葉は、注連縄が単なる「作法」ではなく、「魂の清め」であり、「家族の絆の象徴」であることを教えてくれていた。その温かい教えは、この寒い八戸の家の中で、志津自身の心の足場となっていた。
志津は、手を止めて、家の中をゆっくりと見渡した。
寒さの中で、志津は静かに、しかし一切の妥協なく、注連縄や松飾りの飾り付けを完了させた。
清められた家に、神聖な空気が満ちる。祖母の教えが、家全体を包み込むように広がった。
志津は、飾りの整った玄関と、火鉢のある居間を見つめた。師走の冷たい光の中、志津はこの家を守り抜くという静かで確かな決意を胸に抱き、賢治の帰りを待つ準備を終えた。
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