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月待ちの灯(あかり)  作者: しゅう


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37/80

年越し資金

主人公 牧野 賢治

妻 牧野 志津

12月15日。師走の喧騒は、銀行の分厚い扉を越え、内部へと渦を巻いていた。

銀行内の空気は、志津が自宅で行った煤払い後の清浄な冷気とは真逆の、熱気と焦燥感に満ちていた。年内最終の締め切りが迫り、顧客は年越しの準備、特に資金の引き出しや短期融資を求めて窓口に殺到している。

賢治は、奥の行員席で、分厚い貸付の査定書類と帳簿に向かい合っていた。賢治の仕事は、単に数字を扱うことではない。この数字一つ一つが、八戸で暮らす人々の生活や、地元の商家の年越しという「重い現実」に直結している。


賢治の脳裏に、昨日の朝見た、煤竹を握る志津の凛とした姿がよぎる。


賢治の目の前にある帳簿は、貸し手と借り手の信頼の証であると同時に、日本経済の冷え込みがもたらす危うさを映す鏡でもあった。

特に、この時期に舞い込む「年越し資金」の融資依頼は、賢治に重い決断を迫る。

ある老舗の漁師からの融資申請。この漁師の年越し資金が滞れば、何人もの家族の生活が立ち行かなくなる。しかし、市場の不況により、返済計画には不確実性が伴う。

賢治は、筆を握りしめた。一本の線を引くことが、一人の人生の明暗を分ける。その重圧は、鉛のような重さだった。


「賢治、この件、どうする?」

上司の声が飛ぶ。賢治は、過去の取引実績、担保の状況、そして八戸の地域経済全体を見据えた上で、「堅実な査定」を下さなければならない。


銀行の窓口の喧騒は、単なる雑音ではない。それは、大戦景気後の社会の揺らぎと、人々の年越しへの焦燥感が凝縮された音だった。

賢治は、ふと窓口を眺める。

年配の女性が、慣れない手つきで多額の現金を降ろしている。息子夫婦の年越しを支えるための資金だろう。

若くてモダンな服装の青年が、小切手の換金について、行員と口論になっている。新しい事業を始めようとしているが、資金繰りが厳しそうだ。

賢治は、志津が先日話題にした「大衆文化」や「新しい社会の動き」が、結局のところ、この「数字」と「金銭」という厳しい現実の上に成り立っていることを痛感する。政治的な理想や文化的な華やかさも、この銀行の帳簿の数字一つで容易に崩壊し得る。


午後の光が差し込む頃、賢治の疲労はピークに達していた。ここにあるのは、冷たい計算と制御できない熱気だけだ。

賢治は、一度立ち上がり、窓の外の八戸の街並みを眺めた。泥濘も雪に覆われ、静かさを取り戻しつつある。


業務が終わる頃、賢治の背負った疲労は、革靴の重さではなく、数千、数万という数字の重さとなっていた。

今日一日の決断が、来年以降の八戸の経済を左右する。その重責に、賢治の全身は硬く強張っていた。

同僚たちは、疲れた顔をしながらも、「年越し」という安堵に向けて語り合う。賢治もまた、その安堵を求めている。


銀行の分厚い扉を出ると、外は既に漆黒の闇に包まれていた。冬の夜の冷気は、銀行内の熱気を一瞬で吹き飛ばす。

賢治は、家路を急ぐ。

数字の重圧を背負いながらも、その家庭の光を求め、師走の夜の泥濘をしっかりと踏みしめて歩いた。

読んでいただきありがとうございます。

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