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月待ちの灯(あかり)  作者: しゅう


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20/31

初雪

主人公 牧野 賢治

妻 牧野 志津

その日、賢治は八戸の街で、その年初めての雪に出会った。

夕刻、仕事の用事を終えて家路についていた賢治が空を見上げたとき、鉛色の雲間から、白い米粒のようなものが、フワリ、フワリと舞い降りてきた。

それは、地面に積もるほどの重さを持たず、賢治の外套の肩に触れるか触れないかのうちに、湿った空気の中に溶けて消えていく、儚い雪だった。八戸では、本格的な冬の始まりを告げる兆しだ。


賢治は立ち止まり、しばしその静かな光景を見つめた。雪が降ると、街の音が吸い取られたように、静寂が訪れる。この沈黙と冷たさの中に、賢治は、自身の人生の歩みを顧みる静かな時間を見出した。


フワッと舞い、瞬く間に消える雪を見つめながら、賢治は自分の人生が残したものは何だろうかと考えた。

自分の仕事、残してきた言葉。それは、この雪のように、誰かの心に触れた瞬間に溶けて消える、取るに足らないものではないだろうか。志津さんや師匠から受けた教訓のように、深く心に刻まれることなく、やがて忘れられてしまうのではないか。

提灯の明かりは、賢治の周りだけを照らしている。この光の中で、賢治は以前、「焦げる寸前の火加減」を大切にすると心に誓ったことを思い出した。熱くなりすぎず、しかし消えてしまわないように。その「火加減」は、この世に「跡」を残さなくとも、「心」に温かさとして残るのではないか。

(目に見える功績よりも、温もりの方が、人の心には永く残るのかもしれない。)


体の芯から冷たさが忍び寄るのを感じたとき、賢治は、つい先日志津さんが冬支度で繕ってくれた外套の裏地を思い出した。チクチクと針を通した志津さんの手つきが、目の裏に蘇る。

そして、家に帰れば、きっと火鉢が静かに熾されているだろう。志津さんが、丁寧に灰を篩い、炎が上がりすぎず、底冷えしないようにと、心を込めて準備した火鉢だ。

賢治は、志津さんの細やかで完璧な準備に、深い感謝の念を抱いた。

(私の仕事の火加減は、いつも志津の準備に助けられている。私が外で進む足跡を、志津が家の中で、温かさという名の地盤を固めて支えてくれているのだ。)


志津さんが、決して派手ではないが、賢治の体を守る「布」と、心を温める「火」の準備を整えてくれたおかげで、賢治は安心してこの厳しい冬の到来を迎えることができる。


賢治は提灯の明かりを頼りに、歩みを速めた。

遠くに見える志津さんの家の明かりは、雪の静寂と暗闇の中で、さらにその温かさの輝きを増していた。それは、賢治の帰りを待ち続ける志津さんの静かな愛の象徴だ。

家の戸口に着き、雪の冷たさが染み込んだ外套を脱ぐ前に、賢治はそっと提灯の火を吹き消した。

(志津には、何と伝えようか。)

賢治は、心の中で感謝の言葉を幾重にも紡ぎながら、温かい灯りの中へと、静かに足を踏み入れた。

読んでいただきありがとうございます。

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