お茶っこ
妻 牧野 志津
娼館の女 お蘭
穏やかな午後の日差しが、八戸の志津の家の縁側を照らしていた。志津が裁縫を手にしていると、戸口で声がした。
「ごめんくださいませ、奥様。」
前回、賢治の手ぬぐいを届けに来たお欄だった。彼女は前回と変わらず端正な身なりだが、どこか親しみが加わっている。手には、八戸の市内で買ったらしい、包みを持っていた。
「あら、お欄さん。ようこそ。さあ、どうぞ中へ。」
志津は笑顔で迎え入れた。お欄が持参したのは、地元の店で買ったばかりの南部せんべいだった。素朴な小麦の香りがする。
「この間は、あの珍しい団子を頂戴してしまって。今日は、せめて八戸の普通の茶菓子をと思いまして。」
お欄が訪れるきっかけは、賢治の取引先である山中工業の件が、二人の間に壁のない関係を生んだことだった。だが、もう仕事の用件は終わり、純粋に志津の家を訪れた様子だった。
志津がお茶の準備をしようと立ち上がった時、お欄が軒先を見て声を上げた。
「まぁ、奥様。もう干し柿を吊るしていらっしゃるのね。」
軒下には、渋柿を吊るし、日光と風に晒され始めたばかりの柿が並んでいた。まだ硬く、外側は水分を多く含んでいる。
志津は微笑んで、その一つを指差した。
「ええ。でも、まだ触ってはいけないんです。じっくり待たないと、美味しい甘さは出ないですから。急いで食べようとしても、ただ渋いだけでしょう?」
お欄は、目を細めて頷いた。
「そうですね。何でも、熟成には時間がかかる。人の世も、柿も同じでしょうか。」
志津の視線は柿の先に向けられていた。それはまるで、賢治の出世や、夫婦の未来、あるいは二人が手に入れた自由な心が、ゆっくりと時間をかけて熟していくのを待っているようだった。
二人は座敷に戻り、熱いお茶と南部せんべいを囲んだ。
前回、「ひょうず」の珍しさで会話が弾んだが、何気ない日常の話題で楽しかった。お欄は、仕事場の喧騒とは違う、志津の家の静かで落ち着いた雰囲気に安心感を覚えているようだった。
志津は、お欄が身を置く華やかながらも厳しい世界に思いを馳せつつ、他愛のない話に耳を傾けた。南部せんべいは、二人にとって見慣れた味だ。素朴な小麦の香りとパリッとした食感が、穏やかな語らいの時間を優しく彩った。
気がつけば、日の傾きは随分と西に寄っていた。
「ああ、奥様。こんなに長居をしてしまいまして。ついお話し込んでしまいましたわ。」
お欄は申し訳なさそうに立ち上がった。志津もまた、時間を見てハッとする。
「いいえ、私も楽しゅうございました。さあ、お気をつけてお帰りなさい。」
戸口でお欄を見送った後、志津は急いで台所へ向かった。
(まあ、もうこんな時間。夕げの準備がすっかり遅れてしまったわ。)
志津の頭の中は、今夜の献立のことでいっぱいになった。
(今夜は、簡単なものにしましょう。)
志津は、干し柿と同じく、じっくりと時間をかけて育まれる友人との絆の温かさを胸に、簡素な夕げの準備に取り掛かった。
読んでいただきありがとうございます。
こんな感じの日常を書いてみたくて書きました。




