満ちる光
主人公 牧野 賢治
妻 牧野 志津
取引先 山中社長
山中工業は、山中社長の持つ投機とは無関係の確かな事業部分にのみ融資を限定し、銀行の監査の下で再建を進めるという代替案を提出していた。
銀行は八戸の街の景気全体を考慮し、賢治の案を採用。山中社長は激昂の末に賢治の信義を理解し、頭取室を出る際には賢治に対し深く頭を下げた。
賢治は、今も融資課で多忙な日々を送っている。夕刻、銀行を出ると、裏手にある『みどり楼』の前を通り過ぎるたび、賢治はふと足を止めた。あの店の格子窓の灯りは、もう自分にとって疑惑の影ではない。信義と生活の清さを再確認した、静かな思い出の場所だ。
誰かが賢治に声をかけた。振り返ると、そこには山中社長が立っていた。ふくよかさは消え、外套はくたびれていたが、その目は力強く、しっかりと賢治の目を見ていた。
「牧野君、ご苦労さんで」
山中は静かに、だが深く一礼した。
「社長、お疲れ様です。お変わりありませんか」
賢治も頭を下げ、誠実に応じる。
「おかげさまでな。事業はようやく安定の兆しが見えてきた。銀行の皆様にも、頭取にも、そして何よりあんたの真面目さと、あの時の決断のおかげで、八戸の看板に泥を塗らずに済んだ」
山中は、裏勘定を任せた賢治への懺悔と、再生の道を与えてくれた賢治への感謝を、短い言葉に込めていた。
「社長。あの時、、、正しい筋を通すことしかできなかった。しかし、山中工業の持つ技術と、再建に懸ける社長の姿勢もまた、守るべき八戸の財産でした」
「『守るべきもの』か…。まったく、あんたに一本取られたよ。わしも、家族や社員に顔向けできるように、泥水を啜ってでもこの信義を果たす」
山中は、賢治の胸に深く刻まれた「信義」を、今や自分自身の背負うべきものとして語った。二人の間には、立場や年齢を超えた、真の信頼関係が生まれていた。
「社長、どうぞご自愛ください」
賢治は心からそう答えた。
「ああ。ところで、牧野君。奥さんはお元気かね?」
「ええ、志津は。相変わらず、朝から晩まで家で布を織っております」
「そうか。お蘭さんから、志津さんの話を聞いていてな。あんたの真面目さを最後まで支えたのだろう」
山中社長はそう言って、再び深く頭を下げ、裏通りへと消えていった。
賢治は、お蘭さんが志津の友人として、今も見守ってくれていることを感じていたが、社長の言葉で心が温かくなるのを感じた。
その夜、賢治が帰宅すると、志津が火鉢の横で針仕事をしていた。卓袱台には、賢治の好物である鰈かれいの煮付けが湯気を立てている。
「お帰りなさいませ」
志津は穏やかに言った。賢治は、今日山中社長と交わした会話、そしてお蘭の存在について、すべて志津に話した。
志津は、針仕事の手を休め、微笑んだ。
「わたくし、お蘭さんから教えてもらっている気がいたします。」
賢治は、志津の手を取り、深く頭を下げた。
夜が更け、二人きりの八戸の家には、静寂と温かい火の光だけが満ちていた。
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山中社長を書いてみました。




