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ゼロから始める軍神少女  作者:
第二巻 初対決
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会場の準備

教師たちのオフィス。

アウグスト・バイロンは、シミアから差し出された申請書を、一言一句、ゆっくりと読んでいた。


シミアは、その傍らで固唾を飲んで見守っている。

頭には、カメル先生から贈られた炎の髪飾り。

いつもは落ち着いているその顔が、今は緊張で少し青ざめていた。

無理もない。今回の申請は、普通ではなかったから。

――教室を借りて、『シャル厨房』の営業活動を行いたい。

私的利用、それも営利目的だ。

どう考えても、却下されるのが当たり前だった。


やがて、アウグストが読み終える。

薄い紙を机に置き、顔を上げた。

午後の陽光が、ちょうど彼の眼鏡に反射する。

眩い光で、先生の表情がまったく見えない。


心臓が、どきりと跳ねた。


「原則として」


アウグストの声には、何の感情も乗っていなかった。


「学院の歴史上、教室を私的な営利活動のために貸し出した前例は、一度もない」


(やっぱり……ダメ、かな)


指先が、すっと冷たくなる。

覚悟はしていた。でも、いざ言葉にされると、やはり胸がずしりと重くなった。

教室が借りられなければ、女子寮でやるしかない。

そうなれば、レインやデイビッド、応援してくれている男子生徒たちは、誰も来られなくなってしまう。

客が半減した時の、シャルの、がっかりした顔。

それを想像するだけで、シミアは胸が苦しくなった。


もう一度だけ、どうにか食い下がろうと口を開きかけた、その時。

アウグストの声が、再び響いた。


「だが」


彼の口の端が、気づかれないほど、微かに綻ぶ。


「生徒の成長に繋がることであれば、慣例を守ることよりも、前例を作ることの方が、教師としての私の務めだと考えている」


シミアは、はっと顔を上げた。

ちょうど歴史教師が眼鏡を外す。

そこには、悪戯が成功した子供のような、穏やかな笑顔があった。


「それって……いいんですか? アウグスト先生」

「ああ。当日は学院の休日にあたる。授業に影響が出ることもないだろう。許可しよう」

「まったく。最初からそう言えばいいものを」


背後から、カメル先生の声がした。

いつの間にかそこに立っていた彼は、アウグストの肩をぽんと叩く。

そして、振り返ったシミアに、快活な笑みを向けた。


「カメル先生、その……贈り物を、本当にありがとうございました」


シミアは慌てて、深く頭を下げた。

オフィスの窓から差し込む光が、ちょうど彼女の髪飾りに落ちる。

ルビーは光を浴びて、まるで消えることのない純粋な炎のように、きらきらと輝いていた。


「よく似合っているぞ、シミア」


カメルの瞳に、心からの喜びが浮かぶ。


「本当に、それに相応しい者の手に渡って、俺も嬉しい」


アウグストは立ち上がると、申請書にさらさらと自分の名を署名し、シミアに手渡した。


「君たちの活動、楽しみにしているよ。そういえば、最近、君のレポートの文法が、目に見えて上達している。それが何より嬉しいことだ」

「ありがとうございます、アウグスト先生。先生から頂いた貴重な史料も、今、少しずつ読んでいます。今度、それについて、先生と議論させていただけませんか?」

「……君の考えを聞くのが、楽しみだよ」


アウグストの顔には、教師としての誇りが、隠しようもなく浮かんでいた。


二人の先生に別れを告げ、シミアは廊下の突き当たりで待っていたシャルとドードリン隊長のもとへ、早足で向かった。


「どうでしたか、シミア様?」


シミアは微笑んで頷き、アウグスト・バイロンの署名が入った申請書を、戦利品のようにシャルに差し出した。

先生の承認印を見たシャルの顔が、ぱっと輝く。


「やった! これで、お客さんみんなが満足できる料理を作るのに、集中できます! 後でトリンドル様とシメール様、レインさんも呼んで、お祝いしなくちゃ!」


シャルは振り返り、興奮でキラキラと輝く瞳で、隣に立つドードリン隊長を見上げた。


「護衛さんも、ぜひご一緒に!」

「え……いや、私はあまりお気遣いなく。公務を執行しているだけですので……」


シャルの勢いに、ドードリン隊長は少し慌てたように言った。


「ドードリン隊長、どうか、シャルの好意を受け取ってください」


シミアの口調は、どこまでも真摯だった。


「辺境の時も、あなたのおかげで、シャルは無事でした。ずっと、きちんとお礼を言いたかったんです」


シミアの言葉に、ドードリンは目の前の少女二人を見た。

その笑顔には、一点の曇りもない。

心のどこか固い部分が、そっと溶かされていくような気がした。

自分は、ただ命令をこなすだけの護衛ではない。

この二人が作る、小さくて、温かい世界に、一員として受け入れられているのだ。


彼は、少し照れくさそうに頭を掻き、そして、ついに頷いた。


「わ、わかった……」


いつの間にか、厚い雲は晴れていた。

午後の陽光が、再び明るく降り注ぎ始める。

少女たちは手を取り合い、未来への希望に胸を膨らませながら、寮へと歩いていく。

その温かい光は、彼女たちの後ろを歩く、寡黙な守護者の背中も、等しく照らしていた。

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