贈り物
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
一条の光帯となって、室内にまっすぐ伸びていた。
その光が照らし出すのは、深い眠りについているシミアの寝顔。
そして、ベッドのそばで彼女の手を握ったまま、うたた寝しているシャルの姿だった。
領主の子弟に与えられる寮の一室。
本来なら広々としているはずの空間は、今や色とりどりの花束や贈り物で埋め尽くされていた。
芳しい花の香りと、プレゼントの包装紙の匂いが混じり合い、部屋中にふわりと漂っている。
ベッドに横たわるシミアは、さながら眠れる姫君のよう。
シャルはそんな彼女の傍らで、疲れ果てたように身を丸めていた。
不意に、シミアの指先がぴくりと動いた。
手のひらに、自分のものではない、柔らかく温かい感触が伝わってくる。
鼻腔をくすぐる花の香りが、少しだけむずがゆい。
暗闇に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上してくる。
固く閉ざされた瞼が、微かに震えた。
瞼越しに、ぼんやりと温かい、赤い光を感じる。
背中に走る、引き裂かれるような激痛も、潮が満ちるように回帰してきて……。
すべての感覚が、交響楽のクライマックスのように、意識の舞台で一斉に鳴り響いた。
シミアは、目を開いた。
ぼやけた視界に、陽光がまっすぐ飛び込んでくる。眩しい。
思わず手で遮ろうとすると、すぐ側で聞き慣れた、一番安心できる声がした。
「シミア様? シミア様!」
シャルだ。
驚きと疲労が入り混じったその顔が、シミアの視界をいっぱいに満たした。
「シャ……ル……?」
「よかった……! ようやくお目覚めに……! すぐにトリンドル様とシメール様にお知らせしないと。お二人も、きっと喜びます!」
意識を失う直前の記憶が、頭の中をよぎる。
シャルが願った、平穏な暮らし。
その願いに、まだ、ちゃんと答えられていない。
立ち上がろうとするシャルの腕を、ぐいと掴んで引き留めた。
シャルが、少しだけ驚いた顔をする。
「待って、シャル。もう少しだけ」
シミアは、どうにか笑顔を作ってみせた。
すっかり様変わりしてしまった自分の部屋を見回す。
「このお花やプレゼントは、一体……?」
「ご覧になってください。すべて、シミア様へのお見舞いの品々ですよ」
シャルに支えられながら、ゆっくりと上半身を起こす。
見慣れているはずなのに、どこか知らない場所のようになった部屋。
積み上がった贈り物の〝小山〟を眺め、シミアはしばし呆然としていた。
「すごいでしょう? シミア様が眠っている間に、ここでは本当にたくさんのことがあったんです」
シャルはそう言うと〝小山〟に歩み寄り、一番上にあった包みを手に取って、シミアに手渡した。
綺麗なリボンが結ばれている。
それを軽く引くと、さらりと解けた。
包装紙を開くと、中から小さなカードがはらりと落ちる。
回復を祈っている。何を送ればいいか分からなかったが、気に入ってくれると嬉しい。
――カメル・フルより
綺麗な箱を開ける。
落ち着いた金色の地に、中央にはルビーでできた、燃え盛る炎を模した髪飾りが収まっていた。
陽光を浴びて、その〝炎〟はきらきらと輝いている。本物の炎みたいだ。
「こ、高価な贈り物……」
シャルの呟きは、シミアの心をそのまま代弁していた。
かつて、氷のように冷たい視線で自分を見ていたカメル先生。
でも、いつからだろう。先生は、少しずつ変わっていった。
もう彼の生徒ではないのに、授業の後にはいつも「気をつけろ」と声をかけてくれる。顔を合わせれば、最近の様子を気遣ってくれる。
そんな一幕一幕が、脳裏に鮮やかに蘇る。
「次の授業、これをつけていこうかな……」
「贈り主の方も、きっとその方がお喜びになりますよ、シミア様」
シミアは、こくりと頷いた。
「贈り物はまだまだありますよ。もう一つ、開けてみますか?」
そこからの時間は、ささやかなお祭りのようだった。
二人は次から次へと、贈り物を開けていく。
歴史教師のアウグスト先生からは、数多の戦役が記された貴重な歴史書。
ダミルからは、精巧な作りの訓練用短剣。
コーナからは、可愛い猫の絵が描かれた真新しいノート。
アルヴィン将軍からは、サイズの合った柔らかな革鎧。
デイビッド・ロスアンからは、上品なデザインのドレス……。
心のこもった贈り物たちを、ただ開けていくだけで、もうお昼に近い時間になっていた。
「シミア様、これで最後の一つです」
シミアは頷いた。
シャルは、何の飾り気もない、細長い包みを手に取ると、手慣れた様子で包装を解いていく。
すると、中から封のされていない手紙が、一通滑り落ちた。
「シミア様……」
シャルは、封筒の署名を見た。
――その、憎むべき名前を。
彼女の声が、瞬時に氷のように冷たくなる。
「ありえない……カシウス……!」
シミアの顔から、さっと血の気が引いた。
ベッドから降りると、震えるシャルの手から、その手紙を受け取る。
封筒を開き、三つ折りにされた便箋を広げた。
以前、カシウスから送られてきた手紙とは、どこか筆跡が違う。まるで、彼の字とは思えなかった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
言うことを聞かない生徒、シミアへ
君は私のアドバイスに従わず、その成長を縛る蔓から離れようとしなかった。
それどころか、優しさという名の沼に、ますます深く沈んでいくばかりだ。
あまつさえ、戦略家という貴重な命を、何の価値もない一人の平民を守るために使おうとは。
この私を、ひどく失望させた。
よって、君を待つのは、私が用意したささやかな罰だ。
過ちを悔い改め、再び、あるべき戦略家の視点から物事を考え、正しい道を選ぶことを期待している。
私が君のために用意した、新たな舞台にはもう気づいただろう。
その舞台で、この私が出す試練に、君がどう応えるか、楽しみにしている。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
シミアが手紙を置くと、ちょうどシャルが細長い贈り物の包みを開け終わったところだった。
中身は、鞘のない、剥き身の短剣。
冷たい刃が、陽光を反射して、森然とした光を放っている。
まるで、二人を無言で嘲笑っているかのようだった。
「シミア様……」
シャルが、心配そうにこちらを見ている。
シミアはシャルを見つめ返した。
いつもは穏やかなその瞳に、今は隠しようもない悲しみが浮かんでいる。
贈り物を開ける前には考えないようにしていた、避けられない問題。
それが今、胸の中に重くのしかかっていた。
「シャル。あの日、ずっと言えなかったんだけど……カシウスは、これと似たような手紙を、前にも私に寄越したの。きっともう、簡単には見逃してくれない。私たちは……もう、普通の生活には戻れないかもしれない。もし、シャルが望むなら……」
シャルは短剣をそっと棚の上に置くと、シミアの正面に歩み寄った。
その顔に、恐怖の色は微塵もない。
あるのは、どこまでも強く、揺るぎない、不敵な笑みだけ。
「シミア様、それ以上は言わないでください」
彼女は両腕を広げると、途方に暮れた、自分よりも華奢なその身体を、強く、強く、抱きしめた。
「私は、お父様とお母様が亡くなったあの日から、あなた様と寄り添って生きていくと決めたんです。どうか私を捨てないでください。私も、決してあなた様から離れません」
「でも、このままじゃ、シャルが……!」
シミアは、シャルを強く抱きし返した。
この世で唯一の、温もり。
この温もりと離れ離れになるかもしれない。
そう思っただけで、涙が後から後から溢れてきた。
「シミア様」
シャルは顔を上げ、澄み切った、強い決意の光を宿した瞳で、シミアをまっすぐに見つめた。
「もし私が死ぬ運命なら、どうか、あなた様の腕の中で死なせてください」
「死ぬのは怖いです。でも、もっと怖いのは、あなた様のいない世界で死ぬことです」
シャルの胸に寄りかかり、その命の鼓動を聴く。
彼女の決意に触れて、自分がどれほどちっぽけで、脆い存在かを思い知らされた。
シャルの覚悟は、最初からずっと変わっていない。
それなのに自分は、自己満足な考えに浸って、ただ足踏みしているだけだった。
「ですから、もうあんなことは言わないでください、シミア様。私、もっともっと、お役に立てるように頑張りますから」
「ううん、シャルは役に立ってる。むしろ私が、ずっと、あなたに頼りっきりで……」
「でしたら、私を連れていってください。危険な未来が避けられない運命だというのなら、シミア様、どうかその重荷を、私にも背負わせてください」
シミアは、悟った。
ある意味で、カシウスは正しかったのかもしれない。
自分の弱さ、自分の迷いが、周りの人々をより大きな危険に晒している。
この状況を、何としてでも打開しなくては。
王都に潜む、常に頭上にちらつく、あの黒い手の正体を突き止めなくては。
「うんっ!」
シミアは、力強く頷いた。
午後になり、陽光は厚い雲に覆い隠され始めた。
再び光を取り戻すため、シミアは、静かに決意を固めるのだった。