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ゼロから始める軍神少女  作者:
第一巻:二つの戦場、二人の将軍 (だいいっかん:ふたつのせんじょう、ふたりのしょうぐん)
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壊れた人形の涙

濃密な夜の色が、野営地の四周を覆い尽くしていた。


馬の蹄の音は、とうに地平線の彼方へと消え、ミレイユは伝令が去っていった方向を凝視しながら、その口元に、ゆっくりと、冷たく、そして残忍に近い弧を描いた。


「これは、私の復讐……あなたたちが好き勝手に私たちの運命を弄んだのだから、今度は、私が駒を動かす番よ……」


彼女がそう呟いた瞬間、性急な足音が背後から聞こえてきた。彼女は猛然と振り返ると、野営地の火光の中、一つの黒い影が猛スピードで駆けてくるのが見えた。その影は一本の松明の光輪を突き抜け、漆黒の長い髪が風に煽られ、次の瞬間には闇に飛び込み、そして再び光に照らされる。


その足音の主が、ついにミレイユの前に立ち止まった時、彼女は驚きに目を見開いた。


シミアだった。


彼女の胸は、激しい疾走のせいで急速に上下し、汗で濡れた数筋の髪が、蒼白な頬に張り付いている。彼女は一言も発さず、ただ、そのいつもは水面のように穏やかな瞳でミレイユを睨みつけ、一歩、また一歩と、詰め寄ってくる。


その無言の圧迫感に、ミレイユは無意識のうちに後ずさった。


「ミレイユ……さん」シミアはようやく口を開いた。その声は、息が上がっているせいで、微かな震えを帯びていた。「あなた……一体、何をなさったのですか?」


その、開口一番の詰問に、ミレイユの心は一瞬にして乱れた。だが、彼女は虚勢を張り、わざと、軽薄な口調で問い返した。「私は、私がすべきことをしただけよ。そ…それより、あなたこそ、シミアさん。こんな夜更けに、こんな辺鄙な場所で何を?」


シミアは彼女の問い返しを無視し、歩みを止めず、ミレイユを冷たい馬車のそばまで追い詰め、退路を断った。


「ミレイユさん、あなたには、その結果が分かっているはずです」シミアの声は冷静さを取り戻していた。だが、その冷静さは、いかなる怒りの叱責よりも、心を貫く力を持っていた。「あなたが送ったその手紙が王都に届けば、あなたの家族――ルルト家は、即座に女王陛下に対して、反逆の旗を掲げることになる」


ありえない! なぜ、彼女がここまで詳細に知っているの!?


ミレイユの心は狂ったように叫んでいたが、彼女はなおも、最後の足掻きを試みた。「何のことか、さっぱり分からないわ。私はただ……無事を知らせる、実家への手紙を送っただけよ」


「そうですか?」シミアの口元に、氷のような弧が描かれた。「我々は今朝、あなたの故郷を通り過ぎたばかりです。それなのに、今、あなたは、最も緊急の軍情においてのみ使われる伝令という方法で、『無事を知らせる』手紙を送る必要があると?」彼女は一歩前に出て、二人の距離は、互いの呼吸を感じられるほどに近くなった。「ミレイユさん、今回の観摩団の中に、トリンドルさん、シメルさん、そしてあなたを除いて、高い継承順位を持つ貴族の子女は、一人もおりません。あなたは本当に、あなた方のその程度の小細工が、全ての人の目を欺けるとでもお思いで? ……女王陛下の目を、欺けるとでも?」


シミアの一つ一つの分析が、重い槌のように、ミレイユの心を打ち据える。彼女はようやく悟った。自分は初めから「間者」などではなく、表に置かれた、いつでも切り捨てられる「捨て駒」でしかなかったのだと。自分は、運命を弄んだ者たちを裏切ったつもりでいたが、とっくの昔に、悪魔の導きの下、自ら進んで、最も深い火の穴へと飛び込んでいたのだ。


「ミレイユ」シミアの声が、和らいだ。その鋭さが消え、代わりに、心からの、胸が痛むほどの、憐れみの響きが加わった。「あなた方の今回の反乱は、決して成功しません。あなたの家族は、それによって滅びるでしょう。そして、あなたご自身は……あなたは、ご自分の未来を、考えたことがありますか?」


その、心遣いに満ちた叱責が、ミレイユの最後の防衛線を、完全に打ち砕いた。彼女は目を閉じ、再び開けた時、その顔から全ての偽装は消え失せ、ただ、歪んだ、ヒステリックな狂気だけが残っていた。


「未来ですって?!」彼女は猛然と一歩前に出ると、両手で、シミアの細い喉を、死に物狂いで締め上げた!そして、彼女を、冷たい馬車へと、激しく叩きつけた!


「うっ!」シミアの背中に激痛が走り、抑えきれずに、悲鳴が漏れた。


「あなたに、私の未来を語る資格があるとでもいうの! この……全てを持っているあなたが!」ミレイユの力はシミアの想像を遥かに超え、その顔は怒りで真っ赤に染まり、目からは、抑えきれない涙が溢れていた。「あなたに、この痛みが分かる!? 全ての人があなたの名前を口にする時、真っ先に思い浮かべるのが、別の誰かなんていう、その痛みが! あなたが全力を尽くして成果を上げた時、高みにいる女王と比較されて、ようやく、どうでもいいような賛辞を一つもらえるだけなんていう、その屈辱が! あなたのような、生まれながらにして太陽の下にいる人間に、この、影に喰われる絶望が、分かってたまるもんですか!」


彼女は手を離し、シミアの体が、糸の切れた凧のように滑り落ちるのを、なすがままにした。だが次の瞬間、彼女の膝が、横暴に、シミアの両脚の間に割り込み、両手で、彼女が地面に落ちる寸前の頭を、支えた。


二人の顔が、極限の距離で見つめ合う。ミレイユの温かい呼吸が、涙の塩辛い味と混じり合い、シミアの頬に吹き付けられた。


「私……」シミアの唇が動いたが、何も言葉にはならなかった。これまでずっと、彼女はブレン家の唯一の娘であり、シャルの唯一の支えだった。前世でさえ、彼女はずっと、クラスで最も輝く存在だったのだ。あの日までは……。


「誰もが、あなたのように、簡単に全てを手に入れられると思うな!」ミレイユの言葉が、鋭い刃のように、シミアの心臓に突き刺さった。「ほんの少しの注目を得るために、私がどれほどの努力を払わなければならないか、あなたに分かる!? あなたに、私の人生をとやかく言う資格があるとでもいうの! 人を見下すのも、大概にしなさい!」


彼女の左手は、荒々しくシミアの髪を掴み、白皙の右手は、固く拳を握りしめ、シミアの横顔の傍らで、力のあまり、微かに震えていた。


「今ここで、魔法を使わずとも、あなたを永遠に消し去ることだってできるのよ。分かってる!?」


その宙に浮いた拳を前に、シミアは、しかし、ゆっくりと、ゆっくりと、目を閉じ、全ての抵抗を放棄した。


「……では、どうぞ、お好きになさってください。ミレイユさん」彼女の声はとても軽かったが、はっきりと、ミレイユの耳に届いた。「あの日、剣術の訓練場で、武器を持たない私に、木剣を投げてくださったのは、あなたです。あなたは、私を救ってくださった。ですから、今……あなたが、私をどうなさろうと、構いません」


その言葉は、まるで氷の欠片が入った雪水のように、ミレイユの燃え盛る怒りの炎の上に、頭から浴びせられた。


彼女の目の前に、制御不能に、数日前の光景が閃いた。あの黒髪の少女が、熱いスープを手に、自分の天幕の入り口に立っていた、あの、少し不器用な姿が。


……まさか彼女は本当に、私が彼女を救うために、あんなことをしたとでも、思っているの?


……私は、この手で……この世界で唯一、私を理解しようとし、私に歩み寄ろうとしてくれた人を、殺すというの?


固く握りしめられた拳が、力なく、開かれた。髪を掴んでいた手も、力を失う。彼女はまるで、全ての骨を抜かれた砂袋のように、猛然と前に倒れ込み、その頭をシミアの首筋に埋めた。鼻腔に満ちるのは、相手の体から香る、あの、淡く、心地よい清らかな香りだった。


「どうして? どうして、一人で会いに来たの……」ミレイユの声は、抑えきれない、崩れ落ちるような、泣き声に変わっていた。


腕の中から、か細い返事が聞こえる。シミアの呼吸が生み出す温もりが、一点一点、彼女の、とうに凍てついた心を、溶かしていく。


「ミレイユさんのこと、誰にも、話していませんから」


「……お願いだから、もう、間違いを重ねないで。私が、何とかしますから……私が、必ず、あなたが安全に生きていける方法を見つけます。あなたの人生は、まだ、これから長いのですから」


『あなたの人生は、まだ、これから長い』


その言葉に、ミレイユは、さらに声を上げて泣いた。彼女は、家族に冷遇された子供時代を思い出した。誰かが、ちゃんと自分のことを見てくれるのを、待ち望んでいた、幾夜もの夜を。しかし、目の前のこの少女は、自分を女王と比較などしなかった。彼女の目には、ミレイユは、ただのミレイユとして映っていた。


かつてないほどの、名を「貪欲」という感情が、彼女の心の中から湧き出てきた。一つの……生き続けたいと願う、渇望が。


彼女は両腕をシミアの背中に回し、自分よりもさらに華奢なその体を、強く、強く抱きしめた。


良久、泣き声が次第に収まっていった。ミレイユの頭脳は、感情の廃墟の上で、かつてないほどに明晰になっていた。彼女は、ゆっくりと、慎重に、ここ数日の経験を思い返す。一つの、恐ろしい考えが、彼女の脳裏で、急速に根を張り、芽吹いていった。


「シミア……」彼女は顔を上げ、その泣き腫らした瞳で、シミアを凝視した。「気をつけて……カシウス先生に、気をつけて」


「彼が、最初に、私の目的を指摘したの」ミレイユは、背後を吹き抜ける風が、異常に冷たいのを感じた。「そして、彼が、私に、『復讐』の方法を、教えてくれた」


それが、彼女が、この瞬間、シミアのためにできる、唯一の、そして最後の、償いだった。

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