歴史の証人
休日の王立図書館は、時間が凝固したかのように静まり返っていた。陽光が巨大な透明の穹窿を突き抜け、目に映るほどの光の柱となって、緩やかに浮遊する塵の中で、まるで沈黙の巨人のようにそびえ立つ書架を照らし出している。
この広大な知識の海の中心で、ただ「サラサラ」という、軽やかで規則正しい頁をめくる音だけが響いていた。ミリエルは領主学院の制服を身にまとい、ごく普通の学生のように、静かに机の前に座っている。だが、彼女の周りには、その小柄な体よりも高く積まれた古い巻物が置かれ、その姿は、目に見えぬ重みに包まれているかのようだった。
ノックの音が聞こえ、それに続いて扉の向こうからコーナの声がした。「女王陛下、アウグスト・バイロン領主様がお見えになりました」
「お通しして」
ミリエルは席から立ち上がった。やがて、王立図書館の大扉がゆっくりと開かれる。礼服には一筋の皺もなく、微笑みを浮かべたアウグストが部屋へと入ってきた。
彼は手慣れた様子でミリエルの前まで歩み寄ると、片膝をついた。「臣、六階領主アウグスト・バイロン、女王陛下にご挨拶申し上げます」
ミリエルは素早く歩み寄り、自らアウグストを支え起こす。その所作は軽やかでありながら、拒むことを許さないものだった。
「先生、今日ここに女王はおりません」彼女はわずかにスカートの裾をつまみ、完璧な学生の礼をしてみせた。銀白色の長い髪が、その動きに合わせて柔らかな弧を描く。「ただ、歴史に困惑し、ご指導を仰ぎに参りました一人の学生、ミリエ-ル・ローレンスがいるだけです」
アウグストの目に、驚きが一瞬よぎった。目の前の少女は、君主の威厳を脱ぎ捨て、そこにあるのは、ただ純粋な、知識への畏敬の念だけだった。その姿に、彼の張り詰めていた神経は、知らず知らずのうちに緩んでいった。
彼は表情を一転させて晴れやかな笑顔を見せると、ポケットから普段かけている眼鏡を取り出し、かけた後、慎重にその位置を調整した。「では、ミリエル殿は、どのようなことをお尋ねになりたいのですかな?」
ミリエルは先ほどまで座っていた机の前まで歩くと、アウグストにまず向かいの席に座るよう促し、それから自身もゆっくりと腰を下ろした。そして、先ほどまで読んでいた古書を、アウグストの正面へと向きを変えて見せた。
「先生、こちらをご覧ください」ミリエルは開かれた古書を彼の前へと押しやった。「三百年も前の劳伦斯王国は、隣国との貿易によって、王室が最も富裕であった時代を築きました。史書はそれを『平和と繁栄』の黄金期と絶賛しております。しかし……」
彼女は言葉を切り、顔を上げた。その澄んだ瞳には、古書の上のデータが映っている。だが、その視線は、まるで三百年の時を見通しているかのようだった。
「……なぜ、同じ『平和』が、我々の代になって、王国から血を流し続ける『慢性的な毒』へと変わってしまったのでしょうか?」
その問いは、まるで一本の精密な針のように、表面上の平穏を突き破った。アウグストの顔から、笑みが凍りつく。彼は身を乗り出し、ほとんど貪るように古書の貿易データを読み耽り、眉間の皺をますます深くしていった。
ミリエルは急かすことなく、ただ静かに待っていた。しばらくして、コーナが湯気の立つ紅茶を二杯運んできた時、アウグストはようやく夢から覚めたように顔を上げた。彼はティーカップを手に取り、お茶を飲む仕草で、内心の動揺を隠した。
「ミ……女王陛下……」
「ミリエルとお呼びください、先生」アウグストは頷いた。
「ミリエル君……失礼を承知で申し上げます」アウグストはティーカップを置き、その表情は極めて真剣なものへと変わっていた。「書中の方法は、今となってはもはや、舟に刻みて剣を求めるが如し。王国のかつての『平和』は、王国が絶対的な軍事的覇権を有していたという土台の上に成り立っておりました。しかし、今の我々は……」彼はそれ以上言わなかったが、その言外の意味は、火を見るより明らかだった。
ミリエルは静かに耳を傾けていた。その答えは、とうに予期していたかのようだ。
アウグストの目に、複雑な感情がよぎった。彼は何かを思い出したかのように、自嘲気味に笑った。「お恥ずかしい話ですが、つい先日のこと、学院でも一人の学生が、満座の前で、私が授業で引用した史料の誤りを指摘したのです。その時の私は、怒りに堪えませんでしたが……」彼は一息つき、その目には心からの感慨が浮かんでいた。「しかし、後になってようやく理解しました。彼女が正しかったのだと。我々のように書物を研究する者は、しばしば傲慢に陥り、紙に記されたものが全ての真実であると思い込んでしまう。だが、歴史とは『人』によって創造される、生きた、変化するものであることを、忘れてしまうのです」
彼は長く息を吐いた。まるで、何か重い荷物を下ろしたかのように、その眼差しは、かつてないほどに澄み切っていた。
「陛下、先ほどの問いですが、かの学生が、実はすでに私に答えをくれました。古い地図が我々を霧の中から導き出せぬ時、我々に必要なのは、地図がいかに精巧に描かれているかを研究することではなく――全く新しい地図を描き出すことなのです!」
ミリエルは一口紅茶を飲むと、アウグストの言葉に同意するように頷いた。
「では、アウグスト・バイロン。もし、これからの革新が、大貴族の利益を損なうことになったとしても、あるいは現在の政治の形を変えることになったとしても、あなたは、それでも革新は必要だとお考えですか?」
アウグストの目に驚きの色が浮かんだ。彼は目の前で自分を見つめるミリエルを見ていたが、その脳裏に浮かんだのは、あの反抗的な学生――シミアの姿だった。
「革新は必要だと考えます、女王陛下」アウグストは、自らの考えを、固い決意と共に述べた。
「では、アウグスト・バイロン」ミリエルは立ち上がり、その声は君主の威厳と重みを取り戻した。「もし、この『新しい地図』の作成が、一部の大貴族の利益を損なうことを代償とし、ひいては王国が百年続けた政治の形を根底から覆すことになったとしても、あなた様は、それでも筆を執ってくださいますか?」
その問いは、最後の試練だった。
アウグストの脳裏に、再び、教室であの鋭い眼差しで理を尽くして争った、黒髪の少女の姿が浮かんだ。彼は背筋を伸ばし、かつてないほどに固い決意を込めた口調で答えた。「陛下。臣が忠誠を誓うは、歴史の真実であり、特定の家の利益ではございません。もし変革が王国を救う唯一の道であるならば、臣は、その茨の道を切り拓く最初の一人となる所存にございます」
「よろしい」
ミリエルは、本当の笑みを浮かべた。彼女はコーナの手から、とうに準備してあった、あの古書と全く同じ表紙の、白紙の書物を一冊受け取った。そして、陽光の下で金色の光を放つ羽根ペンと共に、その全てを、自らの手でアウグストの前に差し出した。
「では、あなた様に、この歴史を記録していただきましょう。私はあなた様に、全ての御前会議への傍聴権を授け、そして、王室が有する最も核心的な記録保管庫を開放いたします。私に必要なのは、この変革における、最も公正な『証人』、そして……私にとって、最も厳格な『諫言官』なのです」
アウグストは震える両手で、その書物とペンを受け取った。彼は書物を開き、書かれるのを待つ一片一片の白紙の頁を見て、その目に、かつてないほどの光を放った。
彼は片膝をついた。それはもはや、臣下の礼節から来るものではない。一人の学者が、これから自らの手で歴史を創造するという使命に対し、忠誠を捧げる儀式だった。
「臣、御意のままに。我が女王陛下」
一片の雲が流れ去り、眩い陽光が王立図書館の穹窿を突き抜け、アウグストとミリエルの上に降り注ぐ。新しい歴史が、静かに始まろうとしていた。
またあとがきか、と皆様にうんざりされていないでしょうか。そんな不安を抱きつつも、やはり今回も書かせていただくことにしました。
というのも、執筆とは孤独な作業でして、毎日が不安で仕方ないのです。今日こそは一万字を超える素晴らしい原稿を書き上げられるのか、それとも、たった千字か二千字の短い章を何度も何度も手直しすることになるのか、自分でも分かりません。
ですが、たとえたった一節か二節でも、「これは我ながら会心の出来だ」と思えた瞬間があると、言葉にできないほどの達成感に包まれるんです。
皆さんにも、そんな瞬間はありませんか?ほんの些細なことでも、その満足感に浸れる、そんなひとときが。もしよろしければ、皆さんのそんな瞬間を、私にも教えていただけると嬉しいです!