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ゼロから始める軍神少女  作者:
第一巻:「黄金回廊」の誕生 (だいいっかん:おうごんかいろう の たんじょう)
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二つの戦場、交わした誓約

 秘密の通路から流れ込む冷気に、シミアは思わず身震いした。コーナが持つ手提げランプの光が周囲を照らし、二人の足音が、暗い通路にこだましている。


 シミアは、大きくあくびをした。熟睡しているところをコーナに起こされたのだ。眠気のせいで、体はまだ少し気だるい。


「コーナ先生、こんな夜更けに、女王陛下は一体どんなご急用で?」


 コーナは振り返り、彼女を一瞥した。その眼差しは複雑な色を帯びていたが、ただ首を横に振るだけだった。


「着けばわかります、シミア君」


 ……


 通路の出口が開かれた時、ミリエルは片手に燭台を、もう一方の手をシミアへと差し伸べていた。


 女王ミリエルは、この時、質素な寝間着を身にまとっていた。彼女の背後には、王立図書館の巨大な穹窿を通して、広大な星空が広がっている。体香なのか、それとも部屋に長年染み付いた紅茶の香りなのか、芳しい紅茶の香りが、ふわりと鼻先をかすめた。


 三人は、四つのテーブルを繋ぎ合わせた大きな机のそばまで歩いて行った。コーナが手提げランプを掲げると、机の上の広大な地図が照らし出される。国境に近い地域には、目障りなほどの赤い矢印で、鋼心連邦の軍勢が示されていた。彼らは、ローレンス王国の国境の要塞まで、もはや三日の行程もない距離にまで迫っていた。


 シミアの眠気は、その赤い矢印を見た瞬間、跡形もなく消え去った。


「お座りなさい、シミア」ミリエルは燭台を、地図の銀潮連邦とローレンス王国の国境の間に置いた。長い影が、ローレンス王国の辺境地帯全体を覆い尽くす。


 シミアはミリエルの向かいに座り、地図に記された軍事状況を丹念に眺め、何かを思うように頷いた。


「シミア、私は軍を率いて、自ら辺境の救援に向かうつもりよ。私がいない間、あなたには、私の代わりに王都の雑事を処理してほしいの」ミリエルは、横顔のまま、懇願するような口調でシミアに言った。


「ご親征とは、胆力のあるご決断ですわ」シミアの視線は、ローレンス全土の地形へと向けられた。彼女は何かを考え、眉をひそめた。「ですが、あなたが行ってはいけない、ミリエル」


 シミアはローレンス王国の辺境を指差し、その指をゆっくりと鋼心連邦の辺境へと滑らせた。「今回の侵攻は、奇妙です。ミリエル、鋼心連邦からローレンス王国までは、長い補給線がある。彼らは何の前触れもなく侵攻を開始し、まるで矢のように、弓の射程外にあるローレンス王国へと向かっている。この裏には、必ず何かがある」


 彼女は立ち上がり、ミリエルの前に歩み寄り、その瞳を見つめた。「それに、あなたが前線に行けば、反乱を企む貴族にとっては、絶好の機会となる。あなたの留守中に王都を奪うか、あるいは反乱軍と呼応して挟み撃ちにするか。そうなれば、あなたはもう、二度と戻っては来れない」


 シミアの分析を聞き、ミリエルは頷いた。


「わかっているわ……でも……」ミリエルの眼差しはためらい、憂いに満ちた表情でシミアを見つめた。「昼間、カシウス先生が、学生の観戦団を組織し、辺境の前線で戦争を学ぶことを提案したの。根拠のない考えだとわかっているけれど、彼の狙いは、あなただと思う……シミア、私は、あなたを失うわけにはいかない」


 女王の、あまりにも人間的な言葉に、シミアの心が、どきりと跳ねた。


「シミア、あなたはただ、王都にいてくれればいい。辺境の戦争は、私が何とかできる。私が前線に到着しさえすれば、現地の領主たちを団結させられる。この侵攻は、最短の時間で終わるわ」ミリエルは両手をシミアの肩に置き、懇願するような口調で訴えかけた。「もし、私が戻れなかったら……もうコーナには手はずを整えてある。あなたは、私の代わりに、この王国を継いで」


 シミアは、一筋の寒気を感じた。ミリエルの決意。その言葉から、シミアは死を覚悟した勇気を感じ取った。しかし……。


「では、万が一、反乱軍が王都を占領し、鋼心連邦が辺境を占領するという結末になったら、考えたことはある?」シミアの言葉に、ミリエルの目に一瞬の動揺が走った。「あなたの手はずも、あなたの決意も、全て反乱軍と敵国に食い物にされる。王位を継ぐ理由など全くない私を、領主たちの討伐の的にするつもり? あなたは、自分の剣を置き去りにして、一人で逝ってしまうつもりなの?」


 シミアは膝をつき、潤んだ瞳でミリエルを見上げた。


「私は、あなたの剣。あなたのために生きると、約束したわ。だから、私を信じて。私を、辺境へ行かせて」


 ミリエルは、蝋燭の炎を映して澄み切ったシミアの瞳を、長く、長く見つめた。その眼差しには、揺るぎない決意と、年齢を超えた知恵、そして……彼女が今まで見たことのない、胸が痛むほどの、一途さが宿っていた。


 ついに、ミリエルは、何かを決意したかのように、身をかがめた。抱きしめるのではなく、両手で、シミアの頬を包み込む。シミアが、いかなる反応も示す前に、ミリエルの柔らかく、少しひんやりとした唇が、彼女のそれに、重ねられた。


 一瞬、シミアの世界から、全ての音が消えた。


 鼻腔に流れ込んできたのは、ミリエルから香る、あの馴染み深い、紅茶と何かの花の蜜が混じったような、甘く清らかな香り。唇に伝わるのは、言葉にできないほど、柔らかく、繊細な感触。シミアの頭脳は、まず真っ白になり、次いで、巨大で、混乱した嵐に巻き込まれた。相手を突き放したいのに、体は硬直して言うことを聞かない。目を閉じたいのに、ただ呆然と、ミリエルの、近すぎる、かすかに震える長いまつ毛を見つめることしかできなかった……。


 やがて、ミリエルは名残惜しそうに、シミアの体から離れた。


「シミア、生きて、帰ってきて」


「ええ、約束するわ」ミリエルの艶やかな顔を見つめ、シミアは頷いた。


 ……


 蝋燭の光に照らされ、シミアは、ミリエルの持つ羽根ペンが、まるで妖精のように紙の上を舞っているのを見ていた。その横顔から、彼女の頬が赤く染まっているのが見える。さっき、ミリエルは何をしたのだろう? そうか、私が嗅いでいた紅茶の香りは、ミリエルの香りだったのか。そんな、とりとめのないことを考え、シミアは少しぼうっとしていた。


 すぐに、コーナの手助けのもと、二通の手紙が書き上げられ、封筒に入れられ、王家専用の封蝋で封をされた。


 ミリエルは、どこか上の空のシミアを見て、小悪魔のような笑みを浮かべた。そして、自分の隣に座るよう促す。


「シミア、決めたわ。あなたが辺境へ向かうこの間に、私は、この剣が鞘から抜かれた好機を利用して、王国内の脅威を一掃する」


「まさか?」


「そのまさかよ。これは、反乱軍にとって絶好の機会。王都の軍の半分が留守になり、そして前線からは、あなたが戦況不利を報告する知らせが届く。軍が到着したその瞬間に、この手紙をアルヴィン将軍に渡しなさい」彼女は手にした一通をシミアに渡した。「彼らは、自分たちが夢にまで見た時が、ついに来たと、信じるでしょう」


 シミアは、息が詰まるのを感じた。ミリエルの計画は、決して練り上げられた采配から生まれたものではない。人の心の弱さを利用し、敵に自らの墓穴を掘らせる、そういう類のものだ。


「そして、こちらの手紙は、私があなたのために用意した、最高の武器。あなたは、これを公開することで、アルヴィン将軍から、今回の戦争における全権指揮権を得ることができる。あなたは、自分が適切だと判断する、いかなる約束も、していいわ……」


 ミリエルの腕が、シミアの背後に回り、彼女をぐっと抱き寄せた。女王特有の香りが、シミアを包み込む。その様子は、まるで夢を語る子供のように、シミアのために全てを整えてくれていた。


「シミア、あなたは、絶対に生きて帰ってこなければダメ!」


「コーナ・ヘルヴィス」


 女王の呼び声に、コーナが闇の中から進み出た。


 ミリエルはシミアの瞳を凝視し、優しい笑みを浮かべた。


「シミア・ブレン。私は、私の背中をあなたに預ける。その代わり、私は、私の未来をあなたに託すわ――もし私が王都でのこの大博打に敗れ、王都が陥落したなら、あなたこそが、ローレンス王国の第一位継承者となる。その時は、コーナ・ヘルウィスが、全世界に、私の遺詔を布告するでしょう」


「御意に、ミリエル女王陛下」


 コーナは片膝をつき、その目には、忠誠の他に、どこか憧憬にも似た光が宿っていた。


 シミアは、反乱の危機を同時に誘爆させるというミリエルの決断を、諌めようと思った。だが彼女の直感が、女王の決定こそが最善の選択だと告げていた。これは、二つの戦場で、同時に行われる二つの戦争なのだ。この二つの戦争の、どちらか一方の勝敗が、ローレンス王国の運命を決定づける。


 シミアが、最後の諫言をしようと口を開いた時、ミリエルは指を彼女の唇に当て、もう何も言うなと合図した。


「私は、ただ剣に守られるだけの、お飾りの女王にはならない。あなたの力、見せてみなさい、シミア将軍。あなたは王国の辺境を、私はあなたの背後を守る。私は負けない。あなたは?」


 シミアはごくりと唾を飲み込み、自信に満ちた笑みを浮かべた。


「無論!」


 シミアは、そう宣言した!

ついに、『二つの戦場、二人の将軍』が開幕します。


思わず自分に拍手を送りたくなります(少し自惚れが過ぎるかもしれませんが)。長い間計画を練り、多くのストック時間を大綱の修正に費やしたこの章を書き上げるにあたって、私はかえって自分にそこまで高い要求はしていません。ただ、自分が想定した通りの物語を書き出すことさえできれば、ここまで読み続けてくださった読者の皆様には、きっと楽しんでいただけると信じています。


今日の章についてですが、もしかしたら少し全年齢の境界線を超えてしまったのではないかと、投稿する際に少し心配しておりました。もしこの点について何かご意見がありましたら、コメントで教えていただけると嬉しいです。

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