その手に握るべきもの
王宮の密室でのあの会話から、すでに二日が過ぎていた。
危険が、すぐそこまで迫っているのを、シミアは感じていた。女王ミリエルの信頼、王国がやがて迎えるであろう内戦の未来、カシウス先生の真意。その全てが、まるで巨大な山のように彼女の身にのしかかり、息もつけないほどだった。
ミリエルの後ろ姿、家族であるシャルの心配そうな顔、親友であるトリンドルの笑顔。大切な光景が、彼女の脳裏で代わるがわる閃く。自分が背負っているのは、王国の興亡だけではない。これらの、かけがえのない人々の運命でもあるのだと、彼女は悟っていた。
「力が……もっと多くの力が……みんなを守れる、力が欲しい」
シミアの渇望は、ある種の執拗な衝動へと変わり、彼女を寮の外れにあるこの森へと導いた。学院で最も実直にして、最強の剣士の前へと……。
シミアは激しく息を切らしていた。一本の木剣が、その首筋に突きつけられている。汗が首筋を伝い、雪のように白い服は汗で濡れそぼり、中の下着の形がうっすらと見えていた。少し離れた場所には、もう一本の木剣が地面に突き刺さり、物悲しさを増長させている。
「シミア……」
「もう一度、お願いします!」
シミアの気力に満ちた様子を見て、シメル・ディエスは困ったように頭を掻いた。朝から訓練を続け、今はもう昼に近い。シミアは地面に突き刺さった木剣を拾い上げ、真剣な表情で構えた。
だがすぐに、拾い上げた木剣は、またしても打ち負かされて宙を舞った。
剣を握る手のひらの、とうに皮が剥けた箇所が、焼けるようにひりひりと痛む。一度剣を振るうたびに、まるで傷口を紙やすりで擦られるかのようだ。剣がぶつかり合うたびに、骨身に染みるような痛みがシミアを襲う。もはや剣を構え続けるだけで精一杯で、さらに悪いことに、視野も集中力も、最初とは比べ物にならないほどに落ちていた。それでも、シミアは諦めたくなかった。
「もう一度、お願いします!」
シミアが木剣を拾いに行こうとした時、シメルがその手を掴んだ。
シミアは激痛を堪えようとしたが、シメルが少し力を込めただけで、思わず悲鳴を上げてしまった。
「シミア様、どうか、そのような無駄な行いはもうおやめください」シメルはシミアの手を悲痛な面持ちで見つめた。訓練されていない手で、これほど強度の高い打ち合いを続けたのだ。彼女が指で少し触れただけで、シミアは痛みのあまり涙を流した。
「わ、私は……まだやれるわ、シメル」
「おやめなさい、シミア様。もしシャルがこのようなあなたを見たら、どれほど心を痛めることか」
シャルの名を聞き、シミアはこくりと頷いた。
シメルはシミアの手首を握り、彼女の歩調に合わせ、わざとゆっくりとした速度で歩く。シミアはシメルの導きに従い、ベンチに腰を下ろした。
「シミア様がどうお考えなのかは存じませんが、今のあなたに、剣の稽古は不向きです」シメルはシミアの手を握り、ゆっくりと揉みほぐしていく。
「まだやれるわ、シメル。私は……」
一度、少し強めに揉まれただけで、シミアは痛みに歯を食いしばった。隠そうとしても、シメルの前では、ただの意地に過ぎなかった。
「声を出しなさい。我慢すると、歯を食いしばりすぎて欠けてしまいますよ!」
これほど怒りを露わにしたシメルを、シミアは見たことがなかった。瞳に涙を浮かべながら頷き、次の痛みが訪れると、シミアはようやく声を上げて叫んだ。
その様子を見て、シメルはため息をつき、小声で呟いた。
「まったく……主従揃って、そっくりだな」
……
午後、シメルが寮から出てきて、シャルが作ったサンドイッチをシミアのために持ってきてくれた。
自分で食べさせてほしいと頼んだが、シメルがその手を握っただけで、彼女はまた痛みに泣き出してしまった。
「シメル、お願い。午後も……」
「いい加減になさい!」
「……」
「シミア様、あなたの生活環境は、あなたの体を華奢にしました。そもそも、短時間の訓練で剣術を会得するなど、不可能なのです」
シミアは、以前のダミールとの戦いを思い出した。ダミールは弱くはなかったが、あまりにも油断していた。一方、シメルはシミアの願いに応え、一撃一撃、常に全力を尽くしてくれた。その結果、午前中、シミアは一度も好機を見出すことができなかった。
「……」シミアは、シメルの言うことが正しいと分かっていた。彼女は、シメルが支えてくれるサンドイッチを一口かじる。野菜のシャキシャキとした食感、ベーコンの塩気と香り。特別な食材を使っているわけでもないのに、シャルの作るサンドイッチは、どうしてこんなに美味しいのだろう。
「シメル、私は、大切な人たちを守れる力が欲しいの。私には魔法が使えない。だから、剣を学ばなければならないの」
シメルは、シミアの理由を真剣に聞き終えると、彼女の髪を優しく撫で、そして、率直に笑った。
「どうかしたの、シメル?」
「わかるよ。自分には何もできないと感じる時、私はいつも、この手に何かの重みを求める。剣を振るう重みが、いつも私を満たしてくれるんだ」
「ですが、シミア様」シメルは話題を一転させ、その表情をひどく真剣なものに変えた。「それは、ご自分を侮辱し、そして、私達をも侮辱する行為です」
シメルの言葉に、シミアはひどく戸惑った。
シメルはシミアの目を真剣に見つめ、問いかけた。「あなたは、閉ざされたドアの向こうに囚われていたシャルさんを、剣術で救い出しましたか?」
シミアは、首を横に振った。
「では、悪党に誘拐されそうになっていたトリンドルお嬢様を、魔法で救いましたか?」
シミアは、首を横に振った。
「あなたは、歴史的な証拠が揃っていたあの弁論を、腕力で勝ち取りましたか?」
シミアは、首を横に振った。
彼女は、シメルの言葉の深い意味に、気づき始めていた。
「ええ、あの時はそうだった。でも、未来には、剣が必要になる時が、きっと……」
「その時は、私を呼べばいい」シメルは、恥ずかしそうにシミアから視線を逸らした。
「魔法が必要な時は、トリンドルお嬢様に頼めばいい。後方支援が必要な時は、シャルさんに頼めばいいのです。シミア様、どうか、もうその、あなたのものではない鈍を振るうのはおやめください。それは、あなたご自身の、本当の才能を侮辱する行為です!」
彼女はシミアの手を固く握り、一言一句、区切るように言った。
「あなたの力は、堅固な城壁を打ち破り、目まぐるしく変わる戦場を掌握することができます。あなたは、誰もがうろたえる中で冷静でいられる、特別な資質をお持ちです。そして、いかなる困難にも決して屈しない、強靭な意志も。この王国に、これほど強大な力を持つ剣士も、魔法使いも、メイドも、一人として存在しません! それは、あなただけの力なのです! あなたはただ、私達の前に立ち、進むべき道を示してくださればいい。それだけで、私達は何倍もの力を発揮できるのです。あなたの武器は、案山子を壊したり、木の的を撃ち抜いたりするだけのものではない。あなたの武器は、私達を勝利へと導くことができるのです」
シメルの言葉を咀嚼しながら、シミアは頷いた。
「ありがとう、シメル。朝から、ずっと付き合ってくれて」
シメルは、シミアの頭を撫でた。シミアの頬が、緋色に染まる。
「あ、いや、弟の頭をよく撫でるものだから、つい……」
「ううん、大丈夫。シメルは、きっと良いお姉さんね」
「ははは、シミア様、褒めすぎですよ」
「事実だと思うわよ?」
「これからは、存分に周りの人間を頼ってください。何か悩み事があったら、私に話してくださいね」
「うん」
暖かい陽光が、寮の周りの森に惜しみなく降り注いでいた。そびえ立つ大樹も、名もなき若木も、皆、春の訪れと共に、成長を始めていた。